明日になれば終業式を迎える、しかもクリスマス・イヴの、寒い寒い、寒いその日、昨日の出来事は全てなかったことにされた天香学園の生徒達は、やっと訪れたイヴに浮かれていた。

午前も午後も、きっちり組まれている授業を受けながらも、少年達も少女達も、そわそわしている風だった。

だから、何時にも況して賑やかな、学内の喧噪を遠くに聞きつつ。

その日午前、京一は、マンションの和室で愛刀と向き合っていた。

彼の眼前に置かれた、黒檀作りの刀掛けには、この世に二つとない大刀と、阿修羅の二振りが掛けられており、先ず彼は、大刀の方を手に取った。

慎重な手付きで、時間を掛け、丁寧に手を入れたそれを刀掛けへと戻し、次に阿修羅を手にした彼は、神仏に祈るが如く、手を合わせる。

不信心の見本のような彼だけれど、だからと言って、武道の理に含まれる礼をも、ないがしろにすることはなかった。

「京一。終わった?」

──彼が、二振りの愛刀と向き合い始めた瞬間から、ずっとその部屋を満たしていた清廉な気配が薄くなった頃、そろっと、龍麻が和室に顔を覗かせた。

「おう。ひーちゃんの方は?」

「ばっちり。瑞麗女士に、新しい符、拵えて貰って来たよ。今度は、桃板に謹書した完璧バージョン。予備まで貰っちゃった」

「ん。なら、準備万端だな」

部屋から洩れていた気配が希薄になったのを察したのだろう、折良くやって来た彼に笑い掛け、何時もの紫色の竹刀袋でなく、玉虫色した、錦織の、幅広な刀袋に愛刀達を纏めて差し入れると、房紐できっちりと結び、それを手に、京一は立ち上がる。

「じゃ、行こっか」

「ああ。どう考えても、今日明日には……、ってことになるだろうからな」

「うん。だから、今の内に。アルバイトも、今日からは大っぴらにサボれるしねー」

「……有り難いんだか、有り難くないんだか。っとに、御門のヤロー……」

「まあまあ。警備員の皆、御門の部下でしたってことは、有り難く思っとこうよ。俺達、文句言える立場じゃないし」

「そりゃそうだけどよ……。気に入らねえっつーか。監視されてたみたいな気分になるっつーか……」

「ぼやかない、ぼやかない。そんなこと迂闊に言って、御門の機嫌損ねたら、俺達の企み、パァになるじゃん。御門に袖にされたら、裏密さんに頼むしかなくなるよ?」

「…………う。裏密は、一寸……。……しょーがねーな、文句言うのは後回しにするとすっか」

「そーそー。それが一番穏便。又、借り作りに行く訳だし?」

「だな。…………なあ、ひーちゃん。ここでの全部に片が付いたら……、どーやって、連中から逃げる?」

「……逃げられない気がする」

「やっぱり?」

────すっかり外出の支度を整えた彼を少しだけ待たせ、コートを羽織り、改めて刀袋を手にした京一と、くるりと部屋を見回し、再度、戸締まりを確認した龍麻は、ブツブツと、今は二人だけにしか通じない『企み』に付いて語り合いながら。

部屋を出て、至極当然のことのように学園の正門を抜け、新宿の街を包むクリスマス・イヴの喧噪の中に、五年振りに溶け込んで行った。

何とか彼んとか『戦い』の支度を整えて、三時限目から参加した午前の授業も、昼休みも、欠伸を噛み殺したくなる午後の授業も恙無く終え、迎えた放課後。

幽花に呼び出されているから、少し早めに夕食を摂る、と言い出した九龍と、それ程腹は減っていないが、付き合うことに異存はない甲太郎の二人は、マミーズに立ち寄った。

「あ、そうか。今日、イヴだっけ。あそこのことで頭一杯で、忘れてた」

クリスマス然としたデコレーションで溢れる店内と、サンタの帽子もどきを被りながら立ち働く店員達と、鳥料理をメインとした、クリスマス仕様の特別メニューに、今日が、十二月二十四日であることを気付かされ、ペロっと九龍は舌を出す。

「九ちゃんらしい発言だな。一つのことに夢中になると、直ぐに他を忘れる」

「う……。まあ、その……。それに関しては、余り反論出来ないけどさー。ダイレクトに突き付けなくてもさー……」

「事実は、粛々と受け止めろ」

「くっ。甲ちゃんの苛めっ子め。……そりゃそうと。甲ちゃんは何にする? 何時もの? 折角だから今日くらい、クリスマスメニューに挑まない?」

今の今まで、クリスマス・イヴのことなど失念していた九龍に、さらっと嫌味めいたことを甲太郎は言ったけれど、九龍はめげずに受け流し、今宵くらいは『何時もの』を忘れ、クリスマスらしいメニューにしないか、と誘いを掛けた。

「いいぜ。九ちゃんが選んでくれるならな」

「………………おや。随分と珍しい譲歩を。んーーー、じゃあ、何にしよっかなーーー」

クリスマスメニューに、と言ってはみたものの。

きっと、甲太郎は首を縦に振らないだろうと踏んだのに、思い掛けぬ返事を貰い、九龍は一瞬目を丸くし、が、気難しい恋人の気が変わらぬ内にと、いそいそメニューを繰って、『クリスマス特別メニュー』と銘打たれたページの中から、最もスタンダードそうな物を選ぼうとした、が。

「……う」

「九ちゃん? どうした?」

メニュー選びの途中で、誰の目にも判る程彼は固まり、何を突然、と甲太郎は不思議そうに首を傾げた。

「それが、その……。クリスマスの定番! みたいなメニュー、選ぼうと思ったんだけどさ……」

「けど?」

「御免。やっぱり甲ちゃん選んでくれよ。俺、クリスマスメニューって、何がスタンダードなのか判んないや……。ベタな物なら思い浮かぶんだけどさ。それこそ、漫画とかアニメとかに出て来る、七面鳥の丸焼きー、みたいなノリのなら。でも、現実のことになると、一寸……」

「……ああ、そうか。お前…………」

動きを止め、言い淀み、申し訳なさそうな上目遣いを寄越した彼の態度から、『九龍はクリスマスを過ごしたことがない』のだと気付き、甲太郎は目線を泳がせ、でも。

「うん……」

「だが……、俺も、本当にガキだった頃にしか、クリスマスなんてしたことがないからな…………」

甲太郎も、クリスマスのことなどよく判らない、と一層、眼差しを宙へと彷徨わせた。

「………………今日は、クリスマス・イヴっしょ?」

「ああ、そうだ。繰り返すまでもない」

「日本ではさ、イヴは、恋人なんかとラブラブで過ごす日、ってのが、定番っしょ?」

「……らしいな。正直、馬鹿馬鹿しい事この上無いと思うが」

「それ言われちゃうと、話が終わっちゃうんですけど、こーたろーさん。……まあ、何だ。とどのつまり、俺が言いたいことは何かと言いますと、俺と甲ちゃんは恋人同士で、クリスマス・イヴの今日、二人だけの晩餐ってぇのに挑もうとしてるのに、二人揃って、定番メニューの一つも判らないってのは、色気が無いと言うか、味気無いと言うかだなあ、ということです、はい。──しょーがない。芸がないけど、何時ものでいいやー。…………奈々子ちゃーーん! 何時もの二つー!」

すれば今度は九龍が、甲太郎の態度より、四つの時に母親を亡くし、且つ、実家とどうにも折り合いが悪いらしい彼も、己とは違う意味で『クリスマスを知らない』のだな、と気付き。

俺達って寂しー、とか何とか茶化しながら、奈々子を呼び付けて、結局、自分達の定番メニューをオーダーした。

「俺とお前で、色気を探求してみても、薄ら寒いだけだぞ?」

「俺だって、そう思うけどさ。いーじゃん、奇跡すら起こる聖なる夜とやらくらい、世間様に倣って、ベタに突き進んだって。年に一度のことだぞ、甲ちゃん! ま、今年は失敗しちゃったけどね。でも来年は! 来年こそは、うんざりするくらいベッタベタな、恋人同士のクリスマスってのを達成してやる! 頑張って、学習しようなー、甲ちゃん」

「何を学習するんだよ。下らない。それに。来年の話なんかするな、鬼が笑う」

「あっ。人が折角、未来の展望を熱く語ってるってのにーーっ。つれなさ過ぎるぞー?」

──そうして、クリスマス・イヴを祝う言葉もないまま。

彼等は、普段と何ら変わらぬメニューで、何ら変わらぬ夕餉を済ませた。

『来年』のことをさらりと流した甲太郎に、九龍は不安を感じながら。

『来年』のことを語る九龍に、甲太郎は遣る瀬無さを感じながら。