朝から重たかった空模様は、黄昏と日没を越えて、より重く苦しくなり、只でさえ低かった気温は、更に急激に下がった。

数日前から、繰り返し天気予報が告げていた通り、もう間もなくすれば、雪が降りそうだった。

「ホワイトクリスマスになるかなあ…………」

晴れ渡れば、月齢十二の月が拝める筈の、凍えるだけの暗い空を見上げ、ぽつり、呟きながら。

午後六時、約束通り、九龍は温室のドアを潜った。

「こんばんは……」

暖かく、湿度も高い、灯りは落ちたままのそこに、一歩、彼が踏み込んだ途端、待っていた幽花の声が掛かった。

「こんばんは、幽花ちゃん」

「九龍さん……。待っていたわ……」

「あれ? お待たせしちゃった? 御免、時間通りに来たつもりだったんだけど」

ぽつん……と、周囲の風景から浮き上がる風に佇んでいた彼女に、にこっと九龍が笑い掛ければ。

「きっと、そのね。貴方の瞳に映る自分の姿を見て、この子は感じたのでしょう。貴方なら、自分を救い出してくれるだろうと」

不可思議としか九龍には感じられぬことを、彼女は語り出す。

「この子…………? えっと……、幽花ちゃん……、だよね?」

「今、こうして貴方と話している私は、白岐幽花であって、白岐幽花ではないの。私は遥か昔、この子の血と肉に溶け込んで、生き存えて来た存在。長い長い年月としつき、この子の遺伝子こころの奥底で眠り続けて来た。でも……、今、その眠りは妨げられてしまったわ。そう……──

──《墓》より目覚めんと欲する者の意思によって』

風景より浮き上がったまま佇み続け、『今の己』は、白岐幽花であって、白岐幽花ではない、と告げた『彼女』の言葉を、不意に現れた双子の精霊──小夜子と真夕子が引き継いだ。

「おおおお? 小夜子ちゃんに、真夕子ちゃん?」

『……葉佩。私達は、かつて《封印の巫女》として、この少女の祖先と一つだった存在。この少女が《巫女》としての血を受け継いで来たように、私達も又、遥か昔よりこの《墓》と共に、この学園を見守って来たのです。お見せしましょう。これが、私達の真の姿です────

ふわり、気配と共に虚空より現れた双子の精霊は、ポッとその身を輝かせ、二つの青い勾玉と代わり、幽花の耳朶を飾った。

と、精霊の変化に合わせ、幽花も、白い、古代の衣装に包まれた、巫女の姿へと変貌する。

「幽花ちゃ……じゃなくって。《封印の巫女》……?」

「そうです。──葉佩九龍。私は、大和の巫女。貴方の活躍を、この子や双子の瞳を通してずっと見て来ました。貴方には、強い運と、運命を切り開く才能があるのかも知れません。そして、何よりも、貴方には強くてひたむきな想いがある。想う力が。だから、貴方はここまで……」

面立ちは確かに幽花だけれど、決して彼女では有り得ぬ『彼女』に唖然となった九龍へ、巫女は、厳かに告げ始めた。

「…………俺の抱えてる想いは、そんな風に言って貰える程、綺麗じゃないよ。もっとずっと汚くって、欲に塗れてる…………」

「……だとしても。貴方が望み続けることが、抱え続けることが、強い想いに支えられているのに、間違いはない筈です。ひたむきな、優しい想いであることも」

「有り難う…………。で、えっと? 俺に何か……?」

「ええ。この《墓》に封印されし存在──恐るべき《力》を持った存在が目覚めつつある今、貴方に真実を話しておきたいのです。少女の血と共に受け継がれた記憶と、双子達が見て来た光景が交わった時に示される真実を。この国の、血塗られた歴史の物語を」

──ここまで進み続けて来た貴方だから。

強い想いを携える貴方だから。

真実を話したいのだ、と言う彼女に、九龍は少しばかり弱々しく首を振ったが、巫女は微かに微笑んで、ひたむきな、優しい想いを抱える貴方に、と。

倭国の、隠された歴史を聞かせ始めた。

今より、一七〇〇年程も前の昔。

未だ、『神』と人の双方が存在していた、神代の時代。

倭国では、大和朝廷がその版図を広げていた。

長髄彦に率いられ、荒吐神という自然神を信仰し、自らも荒吐族と名乗っていた、東方の民・蝦夷と、大和朝廷は、幾度となく戦いを繰り返し、激しい戦の末、長髄彦は破れ、八握剣にて首を刎ねられることとなった。

──それが、古事記や日本書紀の中では、この国の正史とされている。

記紀神話で、神武東征として語られる件だ。

しかし、巫女が語った真実はそうではなかった。

歴史の表舞台には決して姿見せない、大和朝廷をも凌駕し、倭国を支配していた者達──天御子アメノミコ》と呼ばれた者達によって、長髄彦達は、歴史の彼方に葬り去られたのである。

──《天御子》は、天より目的を授かって地上に遣わされて来た者で、今でも、彼等の正体が何者であったのかは判っていない、と巫女は語った。

が、正体不明の彼等が、倭国に、類い稀なる《叡智テクノロジー》を有した高度文明を築いたことだけは確かで、現在では《超古代文明》と呼ばれる、天香学園に眠る《遺跡》のような建造物を幾つも造り上げていた《天御子》達は、大和朝廷との戦いに敗れた長髄彦を捕らえ、施設の一つ──現在の天香遺跡に収容した。

古代日本文明と古代エジプト文明の《叡智》の粋を集めて造られた、あの場所に。

そこには既に、長髄彦以外にも、他の荒吐族の民や大和朝廷の者達までもが捕らえられており、暗く、血と狂気が充満した、石造りのその場所では、秘かな研究が続けられていた。

…………そう、九龍達が導き出した答え通り。

天香遺跡は、ラボだった。

古代日本文明に於ける遺伝子工学と、古代エジプト文明に於ける死者蘇生技術を融合させた、永遠の命を求める為の。

そして、捕らえられた長髄彦達は、不老不死に到達する為の研究の、被験体とされた。

《天御子》の研究者達と、被験体を世話する為に選ばれた《巫女》達の見守る中、昼夜を問わず、忌まわしい場所での忌まわしい実験は続けられ、その果て、生み出された生命が──化人。

自分達がどのように創られたのか、何故産まれたのか、知る由もない生き物。

化人は文字通り、人と化す為に創られた、狂気の産物だった。

けれど、化人を生み出すというそれも、永遠の命を得る為の過程に過ぎず、実験は繰り返され、長髄彦も又、様々な実験に晒されながら、次第に人とは違うモノに変わって行った。

度重なる苦悩と激痛の中で、長髄彦は、研究者達も脅かす、人知を越えた力を身に付け、やがて、己こそが《神》なのだと思い込むようになった。

倭国──この国を支配する荒神こうじん、《荒吐神》なのだと。

……そうして。

迷走する技術が産み出し、創り上げてしまった異形の《神》は、『創造主』達にすら制御の叶わぬ脅威と成り果て、研究者達は、研究施設──天香遺跡を放棄し、研究データと共に、狂える《神》を封印すると、厳重に《鍵》を掛け、《鍵》を、人目に付かぬ場所に隠した。

つまり、一人の《巫女少女》の中に。