「……《天御子》達が怖れた者を封じ込めた石の《墓》。今、その封印は解かれつつあります。ですが、それは、貴方が《墓》に入ったことだけが原因ではありません。長髄彦──いいえ、《荒吐神》の念が、千年以上もの時を掛けて、徐々に、地上を侵食して来た結果」
────一七〇〇年前の、本当の歴史を語る《巫女》の声は、未だ続いた。
暖かく湿った温室の中で。
密やかに。
「あそこの正体も……あそこに眠る『王様』の正体も、やっぱり…………」
「そうです。三ヶ月の時を掛けて、貴方が辿り着いた場所は、『真実』でした。ですが、今の貴方は未だ、真実に辿り着いただけ」
「そう、だね…………」
「彼が地上に放たれれば、この学園だけでなく、世界が狂気に包まれるでしょう。そうなれば、二度と私達に明日は来ない。眩い暁の光が地上を照らすこともない。何としても、完全に復活する前に《荒吐神》を倒さなければなりません。《荒吐神》が、《鍵》を見付けるのは時間の問題です。だから私は、ここに貴方を呼び出したのです。貴方に……、この世界を救って欲しいから」
「………………うん。俺は、『想いの墓場』なあそこを、只の遺跡に戻してみせるって、そう決めてる。皆の為にも、俺自身の為にも、俺の大事な人の為にも。……『王様』──長髄彦も、哀しい哀しいヒトだけど、俺達や世界の明日の為に、狂える《神》を倒さなきゃならないんなら、何としてでも倒してみせるよ。『彼』がもう、ナニモノにもなれないなら。ナニモノにも戻れないなら。命を絶ってあげることだけが、魂を解放する唯一の手段なら。俺は、そうする」
静かに流れる声で、荒ぶる神を倒して欲しい、そう乞う《巫女》に、九龍も静かな声で、約束を交わした。
「……有り難う、葉佩九龍。────《荒吐神》を倒す為には、彼と共に封印された《秘宝》の《力》を使うしかありません。伝説の、《九龍の秘宝》を。その《秘宝》の《力》ならきっと、《荒吐神》を倒すことが出来る……。そして、貴方なら──人間の持つ知恵と勇気を武器にここまで辿り着き、数々の罠を乗り越え、化人達を倒して来た貴方なら、必ず、《九龍の秘宝》を手に入れ、《荒吐神》を倒すことが出来る筈です。私は、そう信じています」
にこりと、微笑みながら誓った彼に、《巫女》も又微笑み返し。
「貴方しか、それを成し得ることは出来ない。お願いです、《秘宝》を手に入れ……──。……誰か来ました……」
その時、温室の扉を開いた人影に気付いた彼女は、すうっと、幽花の姿に戻った。
纏っていた気配毎。
「………………こんばんは、皆守さん」
「え? あれ? 甲ちゃん? どったの? 寮で待ってるって言ってたのに」
「……悪い。唯、部屋で待ってるってのも、落ち着かなくってな。つい、来ちまったんだ。話は終わっ──」
「──………………あっっ」
歩道に建ち並ぶ街灯より届く灯りだけが今は頼りの、薄暗い温室にやって来た人影の主は、甲太郎だった。
仄暗くとも判る、バツが悪そうな顔をして、言い訳めいたことを告げつつ、彼は九龍へと近付き……、と、幽花が肩を震わせ、その場に踞った。
「幽花ちゃん?」
「あぁ……」
「おい、白岐? 大丈夫か? 顔色が悪いぜ?」
膝を折り、己の両肩を抱き、苦悶の表情を浮かべる彼女に、九龍も甲太郎も駆け寄る。
「どうやら、私の予感が的中したようね。貴方に、ここに来て貰ったのは正解だったようだわ……。貴方より先に《荒吐神》が私に辿り着いていたら、私はこうして、貴方と話すことも出来なかったかも知れない……」
唇を噛み締め、何かに耐えている風な様子を見せる幽花の顔を九龍が覗き込めば、彼女はブツブツと、白岐幽花のまま《封印の巫女》と化したかの如くな言葉を洩らし。
『うう……見付けたぞ……』
彼女のその声を遮るように、地の底から湧き上がる、不気味な声がした。
「この声は……」
「『王様』……? じゃなかった、《荒吐神》?」
「聞こえるのね……? 貴方達にも聞こえるのね、この声が…………」
『そこか? そこにいるな? 《鍵》よ!』
聞き覚えのある声に、甲太郎と九龍は顔を見合わせ、「これは悪夢ではないのね」と、幽花は一層顔を歪め、地の底よりの声──《荒吐神》の声は、益々音量を増して。
「えっ? ちょ……? 何だっ!?」
「《荒吐神》が、《鍵》を──私を見付けたわ……。九龍さん……、《秘宝》を……」
「秘宝? 九龍の秘宝のことか? ……おいっ、九ちゃん、何がどうなってるんだっ?」
「詳しいことは後で話すから! 甲ちゃん、今は幽花ちゃ──」
「──《荒吐神》から、この学園を…………っ!!」
「お、おいっ。白岐っ!」
「幽花ちゃんっ!」
「ああああああっ!!」
《鍵》を見付けてしまった《神》から、この学園を守ってと、幽花が叫んだ瞬間、何処より湧いた赤い光達が彼女の胸に集まり、首から胸許に掛けてを覆っていた鎖が飛び散って、彼女はそのまま倒れ込んだ。
「白岐っっ」
「幽花ちゃんっ! 幽花ちゃんっ!!」
「九龍さん……。今、道が開かれた…………。お願い……、彼を倒して……。《荒吐神》を……っ」
「大丈夫、判ってるからっ! だから、今は──」
「──その、植え込みの影を……探して……。《封印の巫女》の……役目を負う者の手に、代々伝わる宝を、隠してあるの……。きっと、その宝が、貴方の《力》となる、筈……。持って行って……。そして、長髄彦を…………っっ」
「判ったっ。甲ちゃん、幽花ちゃん頼むっ!」
頽れた彼女を九龍が抱き上げれば、絶え絶えの息で幽花は語り、震える指先で、直ぐそこの茂みを指差した。
腕の中の、力無い体を甲太郎に預け、九龍は示された植え込みの影を漁り、柄までもが黄金に輝く一振りの剣を探し当てる。
「黄金剣……? これが、切り札……? ……ん?」
薄明かりを眩く弾く黄金で出来た剣は、『宝』としては間違いなく超一級品だが、装飾を重視されているとしか思えぬこれが、果たして、本当に『切り札』に成り得るのだろうかと、手にしたそれを、九龍は一、二度振ってみて、一寸した、違和感に気付いた。
全てが黄金で出来ているにしては、軽過ぎる、と。
「うおっ?」
「何だ、この震動は……っ。まるで、何かの鼓動みたいな……」
しかし、感じたそれを深める間もなく、ぐらりと、足を掬うように大地が揺れ。
『急いで────』
再び、小夜子と真夕子が姿現した。
「小夜子ちゃん? 真夕子ちゃん?」
『急いで! 《荒吐神》を止めて! ……あっっ!!』
虚空に湧いた少女達は、必死の訴えを続け、だのに、景色を透かす双子の精霊の体に、冥い影が重なって。
「まさか、《荒吐神》っ?」
『《巫女》の《力》が弱まれば、《巫女》と一つだった私達の存在も消える。《荒吐神》を……。早く、地下に…………っ』
影の正体を九龍が叫ぶや否や、双子の精霊は、すうっ……と掻き消えた。
「何が、どうなってる…………?」
「要するに、エマージェンシーってこと! 甲ちゃん、幽花ちゃん女子寮に運んでっ。俺、部屋から装備取って来るからっ!」
「ああ、判った。じゃあ……そうだな、三十分後に、男子寮の裏手で」
「おうっ! ──気を付けて!」
《墓》の最奥──《荒吐神》へと続く《鍵》そのものだった、《封印の巫女》の幽花は倒れ、小夜子と真夕子は姿を消した。
最早、一刻の猶予もない、と。
幽花のことを甲太郎に任せ、九龍は、黄金剣片手に温室より飛び出した。