歩道を駆けている途中、何とか、ではあったけれど冷静にはなれて、剥き身の剣を抱えたまま寮に突っ込む訳にはいかないと、脱いだ制服で覆った黄金剣を両腕で抱え、九龍は、イヴの夜に浮かれ切っている寮生達の間を縫い、自室に飛び込んだ。
乱暴に、ベッドの上に剣を放り投げ、クローゼット奥に隠した段ボールを引き摺り出し、濃硫酸で満たされたガラス瓶と、濃硝酸で満たされたガラス瓶とを引っ掴み、三対一の割合で混ぜ合わせ、王水を拵え。
もう一度だけ、確かめるように黄金剣を振って、「やっぱり、全てが黄金で出来ているとしたなら、軽過ぎる」との確信を得ると、蹴り開けて入ったシャワーブースの床に転がした黄金剣へ、躊躇いもなく、王水を打ち撒けた。
すれば瞬く間に、剣を覆っていた黄金は溶け流れ──シャワーブースの床も若干溶けたが──、鈍い色を放つ、黒打ち鉄の剣が姿を現した。
柄に、八つの飾りが着いている風な、刀身が、丁度、拳八つ分の長さの……────。
「これって……、まさか、八握剣……?」
──柄の装飾、刀身の長さ、それより、剣の名に思い当たって、九龍は、床に転がしたままのそれを、繁々と見詰めた。
「伝説では、長髄彦の首を刎ねたのって、確か八握剣の筈だからー。……成程、確かに『切り札』なのかも」
神話の中で剣が果たした言い伝えを思い出し、もういいかなー、と剣を引っ掴み。
「でも……、長髄彦の方は、これと気合いとド根性で何とかするとしてもー。問題は、甲ちゃんと帝等、か……。引き下がんないんだろーなー。二人共、変なトコ頑固だもんなー。今更、ブチブチ言ってもって奴だけどー……。────…………しゃーないっ! 一踏ん張りするとしますかっ! これも、愛と友情の為! 俺と甲ちゃんの未来の為っ! この学園と皆の為っ! 序でに世界の為っ! 行っくぞーーー!!」
うっしゃあ! と気合いを入れ直した彼は、整えておいた装備一式と、八握剣を引っ提げ、盛大に開け放った窓より、地上へと下りて行った。
約束の、三十分後。
十二月二十四日、午後七時十五分。
男子寮裏手で、九龍と甲太郎は無事落ち合った。
「お待たせー、甲ちゃん!」
「俺も、今来た処だ。……支度、出来たのか?」
「うんっ。ばっちり! さ、急ごう。早くしないと、長髄彦の目が覚める」
「……そうだな」
他のバディに九龍が声を掛けなかったことには、敢えて二人共触れず、凍えそうな寒さの中、墓地へと続く森の小径を、彼等は辿り始める。
「………………と、まあ、そういう訳でさ。俺達が立てた、あそこの正体に関する仮説は、ほぼ正解だったみたい」
「永遠の命の為の研究、か……。……本当に、碌でもない」
「俺も、そう思うよ。碌でもない以前だって。……そんなことの所為で、一七〇〇年前から今まで、どれだけの人が不幸になったんだろう……。被験体にされた古代人達も、産み出された化人も、《墓守》の皆も、歴代の《封印の巫女》も。不老不死なんて物の所為で、あそこに関わった人達、関わらざるを得なかった人達、皆々、不幸になった。…………決着、付けてやる。今夜で、何も彼も終わらせてやる。『想いの墓場』を、只の遺跡に戻してやる。見てろよー、どっか遠くから来た、何処かの誰か共めーーー!」
少しばかり足早に進みつつ、九龍は甲太郎へと、今宵温室にて起こった出来事を語り聞かせ、全ての決着を付ける、と宣言し。
「お前は本当に、暑苦しい」
「何をぉっ! こういう時に、熱血迸らせずにどうする、甲ちゃん! 静かになんかしてたら、今夜の、何となく嫌な雰囲気に飲まれちゃうかもじゃんか」
「……確かに」
熱血馬鹿に振る舞う九龍へ、甲太郎は苦笑を送った。
「そうだな……。九ちゃん、今夜は……確かに嫌な夜だ。何だか、何も彼もが変わっちまいそうな…………」
そうして彼は、空模様の所為だけではなく、空気までどんよりと重たい、嫌な、としか言えぬ雰囲気を漂わせる辺りへと目を走らせ、制服の胸ポケットより取り出した、アロマを銜える。
「……だね。折角の、クリスマス・イヴだってのになあ……」
「イヴ、か。……こんな夜に、荒ぶる神になっちまった、悲劇の王様『達』と一戦、とはな。全く、最悪な青春の一ページだ」
「そお? 最悪って言えないこともないかもだけど。これで全てが終わるんだし、甲ちゃんと一緒にいられるし。俺的には、悪い青春の一ページじゃないけど?」
「……馬鹿。何言ってんだ、こんな時に。生きるか死ぬか、だぜ、この先にあるのは」
「いーじゃん。生きるも死ぬも、甲ちゃんと一緒。……うん。悪くないなー」
「お前な…………。本当に、この先に何があるかも判らないってのに」
「そんなん、今更ー。この三ヶ月、ずーっとそうだったんじゃん。先に何があるかなんて、三ヶ月、ぜーんぜん判んないままだったけど。それでもここまで来られたっしょ?」
銜えたアロマに火を灯し、遠い目をし始めた甲太郎へ、九龍は笑い掛けた。
「……この三ヶ月、か……。お前が転校して来てから、もう三ヶ月……。長かったような、短かったような……何か、不思議な感じだな。たった三ヶ月だってのに、随分と変わって……全てが変わって……。………………なあ、九ちゃん?」
「ん?」
「俺達は、どうして、ずっとこのままでいられないんだろうな……。変化なんてのは鬱陶しいだけだ。そこにあるのが平穏なら、そのままであって欲しいと願うのは、間違いじゃないだろう……? なのに、何で……」
九龍が寄越した笑みを、確かに瞳で捉えたものの、甲太郎の眼差しは、益々遠くなった。
「……そこに平穏があるのなら。平穏であり続けられるなら。変化なんて求めず、そのままでありたいって願うのは、俺にも判るよ。間違いじゃないとも思うよ。でも、どんなに願ったって、何時か何かは変わる。それは、仕方の無いことなんだよ、甲ちゃん。……だったらさ。仕方が無いんなら。少しでも、望ましい変化を迎えられるように足掻いた方がいいって、俺は思うかな」
「…………だからお前は、何時でも元気一杯に、暑苦しく足掻くのか? 望む変化の……いや、望む未来の為に?」
「おうよ! その通り! 俺は、俺と甲ちゃんの愛の未来の為に、足掻けるだけ足掻く!」
少しずつ、少しずつ、甲太郎の眼差しは遠くなり、表情は憂いに満たされて行ったけれど。
遠い眼差しも、憂いも、全て振り払う風に、九龍は明るく叫び。
「そう……だよな……。九ちゃん、お前は何時もそうだ。何時でも、俺に向けてそんな風に……。俺みたいな、どうしようもない野郎に…………っ」
そうしても尚、甲太郎の言葉は苦く続き。
「どうしようもなくなんかないっ。甲ちゃんは、どうしようもない野郎なんかじゃないっ。俺の甲ちゃんだぞ? 俺の皆守甲太郎だぞ? どうしようもない野郎な訳ないだろ? …………甲ちゃんはさ。甲ちゃんは、結構な繊細さんだから、普通よりもちょびっと、変化が怖いだけなんだよ。人よりもちょびっと、自分を卑下しちゃうだけなんだよ。……大丈夫だよ、甲ちゃん。甲ちゃんが後ろ向きなこと考えても、俺が、甲ちゃんのこと引き摺ってくから! 腕引っ掴んで、何処までも引き摺ってくからっ。……な?」
きゅっと、一度唇を引き結んだ後、一層の大声で、九龍は言い切った。
「俺、は……──。……ああ、お前となら、俺は一歩先へ……、ここから先へと踏み出すことが出来る気がする。お前となら、きっと………………。──判ってる。お前が差し伸べてくれる手を取ってしまえば、俺はきっと楽になれるんだろう。だが、本当に、それでいいのか……?」
だと言うのに……、甲太郎の声は泣いているかの如く、酷く擦れ。
「……甲ちゃんっ。甲太郎っ!」
とうとう我慢出来なくなった九龍は、飛び掛かる風に、甲太郎へと抱き着いた。
「九ちゃん?」
「好きだよ。大好きだよ。俺、甲ちゃんのことが本当に好きだよ。だから……もう、そんなこと言わないでくれよ。……終わるんだ。今夜の戦いで、何も彼もが終わる。『想いの墓場』は、只の遺跡になる。絶対、そうしてみせる。幽花ちゃんに貰った剣と、もう一寸で手が届く《秘宝》を見付けて、長髄彦の魂を解放すれば。そうすれば、本当に、何も彼もが変わる。……だから……だからさ、甲ちゃん……っ」
「九ちゃん…………。馬鹿野郎、人の気も知らないで……。でも……有り難うな、九ちゃん……」
ぎゅうっと縋り付いて来た彼の背を、優しく撫でて、抱き締め返し。
有り難う、と。
甲太郎は、九龍の耳許で、密やかに囁いた。