今にも雪が降りそうな、そんな寒さの中。
「今夜は──長い夜になりそうだな…………」
ぽつり呟いた、甲太郎の声を聞き流し、九龍は《墓》へ下りた。
甲太郎が滑り下りて来るのを待って、下り立った大広間の中央を振り返れば、全てが発光する石蓋で埋め尽くされた、十二分割された溝に取り囲まれる『円形舞台』が不意に輝き出し。
「おおおお……?」
ぱちくりと、目を瞬かせた九龍が見守る中、円形舞台の中央の石床は崩れ落ちた。
「あそこが……ラストバトルのステージ、ってこと……かな?」
「多分、そういうことなんだろう」
「じゃあ、未だ開いてない、残りの扉は何なんだろ?」
「そんなこと、後から考えろ。今はそれ処じゃない」
「……そーでした」
轟音を立てて崩れ落ちた床を遠目に眺め、ふむ……、と九龍は首を捻り、馬鹿、と甲太郎はそんな彼を蹴っ飛ばして、普段通りのノリのまま、現れた地下の壁面に設えられていた、梯子のような物を揃って下りた。
「こいつは……。まさか、初めに俺達が下りて来た大広間の下に、こんな部屋が隠されていたとはな……」
下り立った『最後の区画』は、上層階の大広間に匹敵する程の広さを誇っており、所々に、炎とも、鉱物の化学反応とも付かぬ、赤々とした光が灯っていて、辺りを見回した甲太郎は、ほう……、と唸る。
「うーーん。メーテルリンクの青い鳥の話、思い出した」
「お前な……。幸福の青い鳥と、こんな不気味な墓場とを同列に扱うな。あの世の作者に祟られるぞ」
「そんな、不吉なこと言わなくてもー……。意外な所に、終点があったって言いたかっただけでー……」
九龍も又、ふんふん、と辺りに視線を走らせ、愚にもつかぬ科白を洩らし、甲太郎に後頭部を引っ叩かれた。
「ったく……。だが、この玄室が、遺跡の終着点てのには間違いなさそうだ。──遂に、ここまで辿り着いたな。おめでとう、九ちゃん」
「おう! 賛辞を有り難う、甲ちゃん!」
「頑張ったもんな、お前。本当に、本当に……」
乱暴に九龍を小突き、悪態は吐いたものの、『終点』に辿り着いた喜びを振り撒く恋人を素直に褒め讃え、甲太郎は、何時しか消えてしまったアロマに、再び火を灯す。
「今夜の甲ちゃんは、随分と素直さんだこと」
「……今夜、だから。『ここ』で、お前と二人きりだから。────九ちゃん」
「何? 甲ちゃん」
「もっと早くお前と出逢えていたら、俺は──」
「──出逢いに、遅いも早いもない」
「…………かもな。──お前の歩んで来た道を、誰よりも近くで見て来たのは俺だ。例え何が起こっても、俺はお前と過ごしたこの三ヶ月を忘れない。お前がいたから、今の俺が在る。だから、お前も忘れないで欲しい。俺が、ここでお前と共に在ったことを」
「……なーに言っちゃってるんでしょうね、この人は。俺が、甲ちゃんのこと忘れる訳ないだろう? 甲ちゃんが俺にくれたことは、何一つ、絶対、忘れないよ。ここで、甲ちゃんと共に在ったことだって。そんなこと二度と御免だけど、もう一度、俺から記憶が消えて、『葉佩九龍』じゃなくなっても、甲ちゃんのことだけは、甲ちゃんが俺にくれたモノだけは、絶対に忘れない」
「そうか。…………じゃあ、もう一つ。忘れないでくれるか。この三ヶ月、お前と共に過ごして来た俺、俺の毎日、俺の全て、お前への想い。それは全て、嘘じゃない。偽りなんか、欠片も無い。俺は、今でもお前のことを仲間だと思ってるし、お前のことを、確かに想ってる。恋人として、な」
「知ってるよ。判ってるよ。……甲ちゃんは、嘘だけは言わなかった。絶対に、じゃなかったけど。甲ちゃんは、俺を裏切る嘘だけは言わなかった。だから、知ってるし、判ってる。この三ヶ月、俺と一緒にいてくれた甲ちゃん、甲ちゃんの毎日、甲ちゃんの全て、甲ちゃんが俺にくれた想い。何も彼も、嘘じゃない。偽りなんか、欠片も無かった。こうしてる、今だって」
アロマを香らせ、何処か淡々と告げる甲太郎と正面から向き合い、九龍は彼を見上げる。
「そう、か……。こうしてる、今も。お前は、そんな風に言ってくれるってのか……。……有り難うな、九ちゃん。言いたかったことを、ちゃんとお前に告げて良かった……」
「俺は、未だ言い足りない。でも、それは後回しにするよ。……甲ちゃん。そろそろ、本題、行こっか?」
「…………そうだな。今更って奴だが……けじめは必要だし。ここまで来て、お互い、現実に蓋をし続ける訳にもいかないしな。……九ちゃん──葉佩九龍。俺は、《生徒会副会長》だ」
真っ直ぐ見上げて来る九龍の視線を受け止め、甲太郎は、やっと……己が正体を、己が声で告げた。
「……自己紹介を有り難う、甲ちゃん。やーっと、白状したやね。……って、ああ、今だけは、《生徒会副会長》の皆守甲太郎君、って言った方がいいかな?」
「好きにしろ」
「そう? なら、やっぱり甲ちゃんで。……甲ちゃん。そんなこと、疾っくに知ってたし。俺が、疾っくに甲ちゃんの正体に気付いてたこと、甲ちゃんだって判ってたんだろうし。俺達は、今の今まで、現実に蓋をし続けて来ただけなのかも知れないけど。見て見ぬ振りをして来ただけなのかも知れないけど。今、この瞬間も。この先、何がどうなっても。俺は、甲ちゃんが好きだよ。大好きだよ」
「……ああ。俺もだ。俺なんかのことを好きでいてくれる馬鹿なお前が、俺も…………。────お前のことは忘れない。永遠に。『忘れること』を忘れて産まれ落ちたからじゃなくて。お前のことだけは、決して忘れたくないから。──さあ。本当の本題に入ろうか? …………葉佩九龍。《転校生》。ここで、お前の探索は終わりだ」
「それなんだけどさ、甲ちゃん。……甲ちゃんも、もう判ってるっしょ? この場所が何なのか。《墓守》は何だったのか。どうするのが、一番正解に近いのか。どうすれば、全てが救われるのか。…………なのに甲ちゃんは、《生徒会副会長》であり続けるの、止めない気?」
「それこそ、今更、だな。お前を想っていても。何が正解だとしても。お前の手を取れば、全てが救われるとしても。俺は未だ、《墓守》だ。本能のままに、《墓》を守る《墓守》。この場所の正体がどうあっても、《墓守》が何だったとしても、俺が救われる、その為だけに、お前だけを『例外』には出来ない。戦う以外に道はない。俺が犯した過去の罪に、これまで以上の罪を上塗りする訳には、な……。────始めるとしよう。俺が相手だ。悪く思うなよ……」
「……………………上等。じゃ、やろっか、甲ちゃん」
ほんの少しの距離を挟み、互い、真っ直ぐ見詰め合い続けた彼等は、それぞれの口で戦いの始まりを告げ。
刹那、一歩、踏み出した。
戦いを始める為でなく、抱き合う為に。
そして、接吻
隔てていた距離をかなぐり捨てた二人は、強く強く抱き合って、唇を求め合って。
…………やがて、静かにキスを終える。
名残りを惜しみながら。
「やり合う前に、もう一回。……甲ちゃん。大好き」
唇が遠退き、抱擁も解かれ。
けれど、九龍は甲太郎を見詰め、花のように笑った。
「……馬鹿」
何言ってる、と呟きながら。
甲太郎も、綺麗に、穏やかに笑った。
────そうして、彼等は。
胸を鷲掴みにされるよりも苦しい、本当は、泣き出したくて堪らない、愛する人との戦いを始めた。