呪われた《墓》の、呪われたモノが眠る、最奥の玄室に相応しい色彩で埋められたその場所の片隅で。

伸ばした右手で九龍の髪を撫でながら、甲太郎は、彼が携えて来た八握剣を掴み上げた。

横たわる体の下より剣を引き抜き、左手に持ち替え数度振って、温室で見た時とは全く見た目の違うそれを、確かにあの剣だろうかと、彼は幾度も確かめる。

黄金色だった剣は、今、鈍い色を放っていて、とても同じ一振りには見えなかったが、装飾も形も同一だと確信し、傍らにそれを置くと、今度は、九龍のアサルトベストを探り、昼間、こっそりポケットの一つへ押し込んだアンクの護符を、彼は引き摺り出した。

「頼むから、直ぐには目覚めないでくれよ……」

持つ者に命の危機が訪れた際、その身を砕く代わりに危うくなった命を救ってくれる護符を、掬い上げても力一つ籠らぬ九龍の手に握り込ませ、ほんの少しでいい、『時間をくれ』と祈って、甲太郎は剣を手に立ち上がった。

……否、立ち上がろうとした。

一瞬後に目覚めてもおかしくない、《荒吐神》と自らが対峙しようと。

────……少し前から、甲太郎はそんな決意を固めていた。

この《墓》の正体は何か、《墓守》が何であるか、その答えに、九龍が辿り着いたあの夜に。

終わりが見えて来た、あの日に。

《墓守》となったヒトは、《墓守》であることを運命付けられた化人達の魂の、単なる容れ物でしかなかったのだ、と気付いた時、そうしよう、と彼は決めた。

──《天御子》達の、狂った実験の果てに産まれた歪な命、歪な研究、そんな『身勝手』を、永遠に封じ込める為だけの所詮道具でしかなかったというのに、それに今まで気付きもせず、知ろうとも思わず、興味一つ抱かず、唯、壊れた機械のように、『本能』に従い、数多、罪を犯した。

自ら望んで辿り着いた、この場所で。自ら望んで、《墓守》となって。自らこそが、化人であったかの如く。

……その罪を。

己は償わなくてはならない、と。

罪を購う為には、こうするのが一番いいんだろう、と。

彼は思い定めた。

それに。

京一が言った通り、『神』の御手により創られたモノではない《荒吐神》は、神でないヒトに倒すこと叶うのだろうけれど、どうしたって、酷く難しいことだろうとしか思えぬそれに、九龍を立ち向かわせたくなかったし。

ひと度、そう思い定めてみたら、それこそが『正しい』のだと言わんばかりに、それより過ぎた数日間の出来事は流れた──ように、彼には感じられたから。

こうするのが、最も『正しい』のだろうと、甲太郎は九龍を見下ろしつつ、剣の柄を握り締めた。

──この剣と、《九龍の秘宝》という名の古代の叡智が揃えば、《荒吐神》を倒すことは叶う、と幽花……否、《封印の巫女》は告げたけれど、九龍が導き出した答え通り、《九龍の秘宝》は、呪われた荒神を討ち滅ぼす為の叡智ではなく、永遠の命の為の叡智だ、としか彼には考えられなかった。

ほぼ全てが正解だった、九龍が掴んだ『真実』が、その部分だけ不正解、とは到底。

……そう、要するに。

永遠の命の為の道標と成り得る《九龍の秘宝》なら、何処かに転がっているかも知れないけれど、『最後の希望』と成り得る《九龍の秘宝》など、この《墓》の何処にも存在していないのだろう、と彼は看做していた。

………………だから。だとするならば。

人の身には重た過ぎるだろう、不可能ではないけれど不可能に近い戦いを、九龍に負わせたりせず。

延々と仲間達を救い続けた彼に、最後の決着をも押し付けたりせず。

購わなくてはならぬ罪の為にも、愛した人の未来の為にも、己こそが、この呪われた《墓》と、呪われた《神》と、共に滅び逝くべきだ…………、と。

立ち上がるべく、甲太郎は脚に力を籠めた。

……胸の中には、永遠に忘れないと誓った、最愛の人との想い出が在る。

過ごした刻は、たった三ヶ月だけれど、ナニモノにも代え難い『宝物』のようなそれは、確かに『此処』に在り。

一度限りとは言え、最愛の人の躰に、己を刻み付けることも出来たから。

彼に、『心残り』はなかった。

彼は、もう…………いや、最初から、『未来』など、諦めていたから。

最愛の人が欲してくれた、共に、の未来をも。

「九ちゃ────

──甲ちゃんは、俺よりも、ずっとずっと馬鹿だ」

…………………………だが。

これで最後だ、と九龍の名を呼びつつ立ち上がろうとした彼を、その九龍の声と共に、被弾した時よりも尚鋭い、灼熱と痛みが襲った。

ほんの少しでいい、『時間が欲しい』と、護符に捧げた祈りは届かず、甲太郎の思惑よりも遥かに早く九龍は意識を取り戻して、護符の力に癒された彼が、抜き去ったコンバットナイフを、甲太郎の腰に深々と突き立てたから。

「……くっ…………」

研ぎ澄まされた刃物に抉られ、灼熱と激痛を与えられ、ガラン……と、八握剣を手より零し、甲太郎はその場に倒れ込み。

「どうして、アンクの護符なん…………。……え……? 甲ちゃん……? 甲ちゃんっ!!」

自ら突き刺したナイフから、ボタボタと鮮血が滴り落ちるのを見付け、九龍は、悲鳴に似た声で叫んだ。

「嘘だ……。何でっ!? 《墓守》は、撃っても斬っても死なない体の筈……────。……甲ちゃんっ!? まさか、昨日のあの時、甲ちゃんから《黒い砂》は出ちゃってた……? あああ、だから、あの写真……っっ。……御免…………っ。御免、甲ちゃんっ! 俺、自分のことで頭一杯で、甲ちゃんのこと、気付いてあげられなかった……っ! ……待ってて……。待っててくれな、甲ちゃんっ! 今、誰か呼んで来るからっ!!」

思わず、甲太郎を抉ったままのナイフを抜き掛け、はたと、そんなことをしたら出血が酷くなるだけ、と気付き、ベストのあちこちから、ありったけの救命道具を引き摺り出しつつ、九龍は己の迂闊さを罵り。

「……九……ちゃん……っ。いい、んだ……。いいんだ、これ、で……っ。このままで……っ」

助けを呼びに駆け出そうとした九龍の手を、甲太郎は何とか掴み、押し留めた。

「何言ってんだよっ!! いい訳ないだろっ!! このままじゃ、死んじゃうかも知れないんだぞっ!」

「いい、って……言って、る……だろ…………。俺、は……俺が今まで……犯して……来た……つ、み…………っ……。……すまな、い……九ちゃん……。付き……合える所も……行ける所……も……、ここ、まで……でっ……。もう……守っては……やれな…………」

「うるさいっ! 甲ちゃんが良くても俺は良くないっ! 甲ちゃんが俺に付き合える所も、俺と一緒に行ける所も、ここで終わりじゃないっ! 今度は、俺が甲ちゃんのこと守るからっ! 何処までも引き摺ってってみせるからっ!」

が、九龍は、今ばかりは甲太郎の手を振り払って、諦め切った声を遮って、バッと立ち上がった。

「…………葉佩君。皆守君」

「……ド修羅場だな」

──と、そこに、声が響き。

「絶対、絶対、助けて────。……龍麻さん? 京一さん? よ……良かった……! 甲ちゃんが! 甲ちゃんがっ!!」

駆け出すべく振り返った先に何時しか立っていた、龍麻と京一と、見ず知らずのナースの姿を見付けた彼は、涙を滲ませつつ、三人へと駆け寄った。

「大丈夫だよ。だから、落ち着いて」

「でも……甲ちゃん……っ!」

「ひーちゃんの言う通り、ホントに大丈夫だって。しっかりしろ、九龍」

「でもぉぉぉ……っ……」

「心配しなくてもいいよぉ。舞子に任せてぇ」

縋り付かんばかりになった九龍を促し、甲太郎の傍らへ三人は寄って。

おろおろと、青年達と甲太郎とを見比べるしかない九龍の目の前で、ナース──舞子は両腕を広げ、掌より、治癒の『力』を迸らせた。