「避けてっ!」

四人の視界を掠めた光は、結界の中より《神》へと進み出て来た、龍麻の物だった。

「おいっ! 龍──

──秘拳・黄龍っ!!」

神樹より削り出された木の神剣、阿修羅の許を離れた彼は、留めようとした京一の声を遮り、文字通り、秘拳である『黄龍』を放った。

瞬時に膨れ上がった氣に、四人はパッと散り、今の彼が放つ光と同一の色に染まった途方も無い大きさの氣塊は、一同の耳劈く程強い、龍の長の咆哮を響かせながら、《神》の全身を包み。

「あれで、膝くらいは付いた筈っ! 早く、今の内にっ!」

光の渦の向こう側で轟音が響いたのを確かめ、龍麻は叫ぶ。

「行け! お前等っ!」

声を受け、京一は怒鳴り、少年達は又駆け出して、《神》の背へと回り込み。

「九ちゃんっ!」

「葉佩、俺の背で跳べ!」

京一が《神》を引き付ける間に、九龍は軽く跳び上がり、跳んだ彼の足先を甲太郎は両手で強く押し上げ、阿門は肩を踏み台にさせ。

「倒れてくれよ、頼むからっ!!」

何とか、《神》の首筋に縋り付いた九龍は、握り締めた八握剣を、『急所』と見定めたそこへ突き立てた。

『飾り』の上を滑らせながら剣を走らせれば、チカっと剣は輝いて、両刃をルビー色に光らせつつ熱を帯び始め。

電子音としか思えぬ音をさせながら、ウォン、と一度唸った。

「何だか判んないけど、気張れ、八握剣っ!」

それが、何を示す変化なのかは理解の仕様がなかったが、ええいっ! と両手で掴んだ柄に思い切り彼がぶら下がれば、肉の焦げる臭いを放ちながら、剣は抵抗も示さず、そこに、ぴたりと嵌まる溝が設えられていたかの如く、《神》の中へと沈んで行った。

「うわわわっ!」

「九ちゃんっ!」

「葉佩っ!」

支えを失った彼は、そのまま重力に従い落下し、巨大な背を滑るように転げ落ちて来た彼を、甲太郎と阿門が受け止めた。

「サンキュー! 甲ちゃんっ。帝等っ。京一さんは? 龍麻さんはっ?」

衝撃さえ殺す風に受け止めてくれた二人に盛大に感謝し、九龍は青年達を目で捜した。

「龍麻っ。龍麻っ!」

「限界ギリギリだけど……、大丈……夫……かな……?」

「てめぇ……っ! この、ド阿呆っ!」

振り返ったそこには、駆け寄った京一が、龍麻の腕を引っ掴んで、ずるずると阿修羅の傍へ強制連行して行く姿があり。

「平気そう……?」

「多分な」

あっちはあっちで何とかなったみたいだと、九龍と甲太郎は、ホッと安堵を洩らし。

「そりゃそうと……」

「……ああ」

「うむ」

少年達は、ゆっくりと、《神》を振り返り、仰いだ。

────打てる限りの手は尽くしたのに、《神》の姿は、いまだ在った。

身を塵と化すこともなく、咆哮を上げることもなく、唯、動きだけを止めて。

「………………賭けに、負けたかな……?」

瞳を見開き立ち尽くす《神》へ、九龍は、Mk.23のセーフティーを解除し直す。

残されているのは僅かの武器と、この身一つだが……、と。

「……俺達だって、未だ、生きてる」

「やれることは、未だある」

再び《神》に挑み直すべく、甲太郎も阿門も、体に力を籠め掛けて…………────

『我は……《荒吐神》なり…………。我は……我は神ぞ……。我は…………』

──己達の『何』と引き換えにしても、との覚悟を少年達が改めて決めた時、《神》の口から、呟きが洩れた。

体からは、サラサラと、何かが静かに砕けて行く音が零れた。

『我は…………我、は………………』

呟きは、ひたすら力無く続き。

「もう……終わったのよ。貴方は、古の忌まわしい呪縛から解放された。もう、誰も貴方を苦しめはしない……」

その時、舞子に連れられ玄室から脱出した筈の、幽花の声がした。

「幽花ちゃんっ!? 何で戻って来ちゃったんだよっ!」

「九龍さんが、貴方の失っていたものを見付けてくれた。長髄彦と呼ばれていた頃の貴方を……」

声に、はいっ!? と振り返った九龍は、玄室の入口に佇む彼女を見付け、思わず声を張り上げたが、幽花は、《神》だけを見上げながら、《神》へと歩を進める。

『かい……ほう……? ながすねひこ……?』

「それが、貴方の本当の名前」

『ながすねひこ……』

「…………思い出して下さい。貴方は人間。雄々しく、勇ましい戦士だった。『私』は覚えている。決して忘れない。貴方の優しかった瞳を。……『私』は貴方を助けたかった。この呪われた場所から、貴方を連れ出してあげたかった。待っていて下さいと、貴方に誓った。……けれど…………、『私』は貴方を救うことが出来なかった…………」

真っ直ぐ、《荒吐神》──否、長髄彦の前へと進んだ『彼女』は、眦に涙を浮かべて語り。

「……幽花ちゃ──。…………違う。《封印の巫女》だ…………」

今の『彼女』は幽花ではなく、《封印の巫女》──大和の巫女なのだと九龍は気付いた。

「長髄彦様…………」

『……長髄彦……。……懐かしい響きだ……。……そう、我──私は、確かにそう呼ばれていた。長髄彦、と……。……お前は、あの黒髪の少女か……。《天御子》に化け物と呼ばれた私を、尚、人だと言ってくれた…………』

「…………思い出して下さったのですね、長髄彦様……」

『思い出したのでは……ない……。「目醒めた」のだ……。…………私は……夢を見ていた。果てしなく長い、悪い夢を。酷い悪夢を。その夢から、私は目醒めた。目醒めて……けれど…………。──……還りたい……あの頃へ……。あの懐かしき日々へ……。還り……たい…………』

「……還りましょう。長髄彦様。あの頃へ、あの懐かしき日々の中へ、共に還りましょう。今度こそ、『私』は、この呪われた場所から貴方を…………」

己が何者なのかを思い出した……いいや、己を《神》だと思い込むしかなかった長い長い悪夢より目醒めた長髄彦は、聞く者全ての胸を締め付ける、細く震える声を絞り、大和の巫女は、泣きながら、彼へと両手を差し伸べた。

……伸べられた白い手が、獣の爪持つ、彼の指先に触れた時。

玄室を、震動が包んだ。