全ての音をその身に包む雪が深々と降り続いているからにしても、静か過ぎる、と思えた学内を、甲太郎と九龍は、俯きながら、中途半端に寄り添い寮へと戻った。
阿門に命じられ、墓地に眠る人々を掘り返していた筈の仲間達の姿も何処にもなくて、阿門か、然もなければ青年達に、何か適当な言い訳をされ、彼等は部屋に帰されたかも、と。
つらつら思いながら、白い粒舞い散る中、歩道を辿った彼等は、裏口からそっと忍んだ寮の廊下を進み、甲太郎の部屋ではなく、九龍の部屋へ入った。
「…………あっはー……。明るい所で改めて見ると、俺も甲ちゃんも、ひっどい有り様……」
「まあ、な……」
頭の上から足の先まで埃塗れの土塗れで、もう捨てるしかないだろうくらい制服はズタボロで、唇の端や服のあちらこちらに、乾き切った血や吐瀉物はこびり付き、体の其処彼処が傷だらけで、甲太郎に至っては、二度立て続けに九龍にぶん殴られた左頬が、赤く腫れ上がり始めていて。
自分達の惨状を、蛍光灯の下でまじまじと眺めた九龍は、微かに笑った。
「取り敢えず、この有り様何とかしよっか」
「そうだな……」
「咲重ちゃんが、何かしたのかな? 夕べみたいに、今夜の寮も凄く静かだから、先ずは傷洗ってー、っと」
……怒濤、と言える夜を越え、互い、隠し事も、言いたかったことも、胸に秘めていた想いも打ちまけ合ったけれど、九龍にしても甲太郎にしても、今、己が取るに最も相応しい態度が判らず、何処となく余所余所しい感じで、制服を脱ぎ捨て、狭いシャワーブースに共に傾れ込んで、沁みるとか、痛いとか、ブツブツと零しながら、埃や土を拭い落とし、傷も洗って。
「うっわー……」
部屋の至る所より、ある限りの治療道具を引き摺り出し、上半身裸の短パン姿で床に座り込んだ九龍は、九龍のスウェットの下を分捕って、己のように床に直接腰下ろした甲太郎に、ジト目を向ける。
「……? 何だよ」
「俺のスウェット。甲ちゃんが履くとつんつるてん。そりゃ、ちょびっと身長差あるけどさ。甲ちゃん、脚長いけどさ。……ムカつくー……」
「しょうがないだろ、それこそ身長差があるんだから」
「けど、五センチじゃん」
「嘘吐け、六センチだろ」
「……っ、俺の身長は、一七〇だっ!」
「四捨五入すればな。正確には、一六九センチ」
「くぅぅぅぅ……っ! 一寸ばっか、自分の方が背が高いからって! 今に見てろよ、必ず追い抜いてやるっ!」
「成長期が終わってないといいな。終わってたら絶望的だが」
「このヤロー……。ああ言えばこう言いやがって……。世の中には、下克上って言葉もあるんだっ!」
九龍の目を奪ったのは、どう贔屓目に見ても、甲太郎には丈が足りない己のスウェットで、ぎゃんぎゃんと八つ当たりをかましてから、救急パックの封を切りまくり、フンっ! と鼻息荒く、スウェットのウエストを掴んで…………────。
「あーーー…………」
ずれた布地の影から出て来たモノから、気拙そうに、九龍は目線を外した。
「ん?」
「いやー、その。……腰のそれ、痕残っちゃうかなー、と思ってさ……。ピンクなナースさんの強烈な『力』で治癒して貰っても、痕、全部は消えなかったから。一生ものかな、と…………。……御免な、甲ちゃん……」
「別に、気にすることじゃないだろ? お互い、その……『覚悟』の上でやり合ったんだし。女じゃないんだ、傷痕の一つや二つ残った処でどうってことない。……それに。お前はもっと酷い目に遭わされたろうが。他の誰でもない、俺に」
「そりゃ、まあ……。でもさ、甲ちゃんはさ、俺が死なないように小細工してくれたけど、俺はさ……」
「愚にもつかないことを、グダグダ言ってんな。馬鹿。お互い様、それで流しとけ……と言うか……出来れば、それで流してくれないか? 勝手な言い分だと判っちゃいるんだが、その辺りの話を蒸し返されるのは、俺の精神衛生上、激しく良くない」
微妙に逸らした目線を、時折チラチラと流しつつ、灰となるまで残るかも知れない傷痕を、九龍は、汚れを落とす風に指先で何度も擦って、そんな彼の態度に、甲太郎は溜息を零し、苦笑を拵えた。
「そ、だね……。うん……。…………過ぎた話を蒸し返すのは、確かに良くないっ!」
「ああ、良くない。お前にも、俺にも。だから……」
「うん。人生、何事も前向きなのが一番だし! ……アハハハハ…………」
──何とか雰囲気を立て直してみたのに、たった一つの、けれど生涯消えぬかも知れぬ傷痕、その所為で、二人共にの、らしからぬ態度、らしからぬ雰囲気は、益々らしくない、ぎくしゃくとした物へと深みを増して。
「………………甲ちゃん」
「……何だよ」
「正直、俺、もー限界。耐えらんない、こんなの。きっと俺達二人共、未だ何か言い足りないことがあるんだよ。だからいっそ、とことんまで、過ぎた話を蒸し返そうっ! ──色々、御免っ! ほんっと、御免っ! 甲ちゃんは怒るかも知れないし、機嫌悪くしちゃうかもだけど、何遍言っても言い足りないんだよ。だから、御免っっ。あんなこともそんなことも、兎に角、御免っっ!」
一瞬の沈黙の後、揃って深い溜息を零してしまい、「もーー駄目だー!」と九龍は喚き出して、ガバリ、土下座せんばかりの勢いで、『御免なさい攻撃』を始めた。
「……だから…………。お前が謝る必要なんて何処にもないって、俺は言ったろう? 何遍ででも詫びなけりゃならないのは、許してくれってお前に乞い続けなきゃならないのは、俺の方だ。──とことんまで蒸し返せってなら、望み通り、ほんっきで、とことんまで蒸し返してやる。覚悟しろ。────九ちゃん。九龍。お前がここに転校して来てから今日まで、殆ど毎日一緒にいたってのに、俺はどうしても自分の立場をお前に打ち明けられなくて、三ヶ月もお前のことを騙し続けて裏切り続けて」
「へっ? 甲ちゃん、一寸待とうよっ」
「だってのに、心底身勝手な理由でお前の手を取って、お前を俺だけのモノにしたいって願って、実際そうして、挙げ句、何処までもひたすら身勝手な理由でお前と戦って、瀕死の目に遭わせて、どうしようもなく間違った覚悟なんか決めて、あそこに残る、なんて言い出して、お前のこと傷付けて泣かせて、トドメに、そこまで散々なことを仕出かしておきながら、許してくれなんて、都合のいいことを言い出して………………。…………ああ、真面目に落ち込んで来た……。自分が、救いようのない碌でなしの馬鹿に思えて来た……。まあ、実際、碌でなしの馬鹿なんだが……」
そんな攻撃を喰らって、ムッと、不機嫌そうに眉間に皺寄せた甲太郎は、そうまで言うなら仕返ししてやると、自虐行為以外の何物にもならぬ科白を立て板に水の如く捲し立て、己で己に痛恨の一撃を喰らわせたのか、がっくりと肩を落として項垂れた。
「アホかーーーっ! 自分からんなこと言い出して、勝手に落ち込んでんな、甲ちゃんのボケっっ! そんなこと言ったらなあ、俺だって、転校初日から今日まで、『皆守甲太郎《生徒会関係者》疑惑』を、ずーっとずーっと甲ちゃんに掛け続けて、疑惑が確定になっても、俺は何も気付いてないし、何も知らないしっ! って素知らぬ顔しながら甲ちゃんとずーっと一緒にいて、甲ちゃんが欲しいから遺跡の全部を暴いてやるー! って言い張って、挙げ句、甲ちゃんに…………。………………甲ちゃん。これも止めよう……。こんなことしてたら、俺達、本当に揃って馬鹿だよ……」
攻撃に攻撃を返されて、大馬鹿者! と更なる攻撃を返そうとして、九龍も又、己で己に痛恨の一撃を喰らわせ、はあああ……、と床の上に突っ伏した。
「…………確かに……」
「だからさー、何つーかさー。俺は、そーゆーことが言いたいんじゃなくってさー……」
「じゃあ、どういう風に、過ぎた話を蒸し返したいんだよ、お前は」
「どういう風にって言われると、困っちゃうんだけどさ。……兎に角、俺はもうこれ以上、甲ちゃんに謝って欲しくない訳ですよ。その辺、ラジャーですかー?」
「俺だって、これ以上お前に詫びられたくなんかない。口が酸っぱくなるまで、お前は何も悪くないって言っても、判らないのか?」
「だぁぁかぁぁらぁぁっ! そーゆー風に、過ぎたことを蒸し返したいんじゃないってのっ! それじゃ、何時まで経っても堂々巡りでしょーがっ」
「そんなこと、俺にだって判ってる。だから、どういう風に、過ぎた話を蒸し返したいのかって、さっきから訊いてんだろうがっ」
「…………あーー、それ、はー……」
胡座を掻いて、俯き加減になった甲太郎と、突っ伏した床から、上目遣いを彼に注いだ九龍は。
そのまま暫し、困った風に、唯、睨み合った。