「……言いたいことでも?」

送られた視線に、嫌っそーーー……に甲太郎は顔を顰め。

「いーや? 気の所為じゃねえ?」

睨み付けて来る瞳に、意味有り気な笑いを京一は一層深め。

「……そりゃそうと。一晩経って、丸く収まったみてぇだな、お前等。あんまりヒヤヒヤさせんなよ? ガキ共」

勧めたのに椅子に座らない九龍を、座りたくても座れないのだと判っていながら、にっこー……、と『脅威の野生の勘』をお持ちの御仁は見上げた。

「あ、はい! お陰様で!」

甲太郎にしてみれば、針の筵以外の何物でもないその笑みの意味する処に一切気付かず、「ここまで押し掛けて来た事情を、甲ちゃんが上手く誤摩化してくれた! そういう風に言うつもりがあるんだったら、最初っからそう言ってくれればいいのにー」と能天気に喜びながら、九龍は元気良く応えた。

「お待たせー。……って、あれ? 葉佩君も皆守君も、座って待っててくれれば良かったのに。怪我してるんだろう? 無理は良くないよ?」

そこへ、魯班尺を引き摺り出して来た龍麻が戻って来て、極々ナチュラルに選んだ言葉を発しながら、九龍に結跏趺坐にての治癒を始め。

「…………おおおおお! 痛くない! もう何処も痛くないー!」

「そう? なら良かった」

「有り難うございました、龍麻さん!」

「いえいえ、どう致しまして」

「…………ふ……っ……。あっはははははははははは!! あーー、もう駄目! ぶははははは!」

治癒の技が生んだ光が褪せた途端、京一や龍麻には何も悟られていない、と信じ切ったまま喜び勇む九龍と、夕べの戦いで九龍は怪我を負ったのだと思っている龍麻と、ひたすら明後日の方向を向いている甲太郎とを見比べて、限界、と京一は腹を抱えて大爆笑し始めた。

「およ?」

「京一? どうかした?」

「何でもねえよ。お前達のナチュラルっぷりが、ツボに入っただけだって。気にすんな」

半身を折って、腹筋が痛い、と喚きつつ、ひーこら笑い続ける彼を、不思議そうに九龍と龍麻は眺め下ろし。

「………………何時か、絶対、蹴り飛ばしてやる……」

ボソっと、京一以外には聞こえぬように、甲太郎は小声で唸り。

「やれるもんならやってみな?」

カラカラと笑いながら京一は、物騒な呟きに、ウィンク付きの囁きを返した。

「あ、そうだ。龍麻さん。もう一つ、お願いが」

「何?」

そんな二人を、変な甲ちゃん、変な京一、と呆れ目線で見遣り、色恋の道に少々疎い天然二人組は、悠長に会話を続ける。

「甲ちゃんにも、同じことしてやって貰えませんか?」

「え、皆守君も、何処か怪我してるんだ?」

「怪我って言うか……、夕べ、俺が思いっ切り、二発もぶん殴っちゃったんで。甲ちゃん、唇んとこ、腫れたまんまなんですよ」

「……ああ、アレ、か。葉佩君がそうしてやって欲しいって言うなら、考慮しないこともないけど。アレに関しては、一〇〇%以上、皆守君に非があるからなあ……。放っとけば? 自業自得なんだし。馬鹿は、甘やかすと付け上がるよ?」

「…………相変わらず、激しく熱い実感の籠ったお言葉ですなぁ……。──もう、いいんです。ぶん殴ってやったことは消えませんし、夕べ一晩掛けてとっくり話し合いましたし、これまでのことはこれまでのこと! って、きっちりけじめ付けしたんで……、そのー……ぶっちゃけ、引き摺りたくないんですよね……。ははは……」

「成程。……そういうことなら、まあ……いいか。葉佩君がそうして欲しいって言うなら、俺もそれでいいよ。俺は俺で、後できっちり、皆守君に文句言うつもりだし。──皆守君? 小言垂れるまで、俺は許さないからねー?」

「あ、それはもう! 垂れてやって下さい。存分に、小言垂れてやって下さいっ! ってか、思い知らせてやって下さい! その辺は、俺は与り知らない話って奴ですしー。それに、甲ちゃんってば、京一さんや龍麻さんの言うことは、割合と大人しく聞くんですよ。俺には、ウルトラ馬鹿とか底無し馬鹿とか言うくせに」

ニヤニヤしっ放しの『野生の勘の御仁』と、そっぽを向くしかない『針の筵の上の御仁』が、相変わらず睨み合う中、天然二人組のやり取りは明るく続いて。

「実際、九ちゃんが底無しに馬鹿だからだろうが……」

「九龍が底無しに馬鹿なら、お前は底無しに天邪鬼だもんな。……ま、俺に言わせりゃ、可愛気のある底無し馬鹿と、可愛気のある底無し天邪鬼コンビってトコだけど」

「………………京一さん。今直ぐ、あんたと話を付けさせて貰えないか。あんた、俺に喧嘩を売るのを生き甲斐にしてるだろう」

「……あん? お前、俺とナシ付けてぇってか? いいぜ、別に。マジで今直ぐやっか? 返り討ちにしてやんぜ?」

睨み合いながら、空々しい笑みを浮かべ合った甲太郎と京一は、本当に椅子から立ち上がった。

「はぁっ? 甲ちゃんっ! 何、訳判んないこと言い出しちゃってんのっ!?」

「京一っ! 皆守君のこと煽ってどうするんだよ、このド阿呆っ!」

睨み合い、言い合い、とはしても、所詮戯れ合いの域を出ないことは判っていたけれど、今ここで暴れられて堪るかと、慌てて、九龍と龍麻は二人を止めに入り。

「ホントにもーー……。甲ちゃん、変な処好戦的なんだもんなー……」

「楽しいのは判るけどさ……。年上のくせして、そこまで年下からかってどうするんだよ、もー……」

「……判った。今『は』、しない」

「ちゃんと、反省してるっての。そうガミガミ言うなよ、ひーちゃん。俺も、今『は』しねえから」

「…………はあ……」

「やれやれ……」

垂れた小言に返された、ビミョーこの上無い応えに、彼等は揃って溜息を付いて、暫し苦笑した。

「……………………でも……、うん、何か、良かったです」

「葉佩君? 良かったって、何が?」

「夕べは、どうしようもないくらいハチャメチャな夜で、甲ちゃんは馬鹿だったし、俺も馬鹿だったし、京一さんや龍麻さんには凄く迷惑掛けちゃって、沢山のこと、何とかして貰っちゃったりとかもしたんですけど、遺跡のことも、俺達のことも何とかなって、お二人には、今まで通り変わらず構って貰えてて……。……色々、本当に、有り難うございました」

……でも。

付いた溜息も、浮かべた苦笑も瞬く間に消し、九龍は、龍麻と京一を見比べると、深々と頭を下げた。

「ほらっ! 甲ちゃんも、ちゃんとお礼を言うっ! 二人には、ものす……んごく、お世話になったんだからっ!」

そうしてから彼は、ゲイン! と甲太郎の向こう脛を蹴っ飛ばし。

「……あー、その…………。……色々と、世話を掛けて、面倒も掛けさせて、だから……」

確かに、九龍の言う通りだと思ったのだろう、蹴っ飛ばして来た彼を不服そうに見遣りながらも、甲太郎は青年達へと向き直って、でも。

ガリっと頭を掻きつつ、続きを言い淀み。

「『だから』、何だ? 甲太郎?」

「うんうん。『だから』、何なのかな、皆守君?」

意地の悪い笑みを、京一も龍麻も浮かべた。

「……だからっ! …………だから、その…………、感謝してるし、すまなかったとも思ってるし……」

「…………で? そういう時は、何て言うんだ?」

「……っっ…………。……有り難う……ございました。それから……御免……なさい」

その笑みに追い詰められ、ふいっと、有らぬ方へと視線を逸らし、甲太郎はモゴモゴ、『有り難うございました』と『御免なさい』を呟き。

「あはは。良く出来ました。皆守君も、中々可愛いよねー。ね? 京一?」

「捻くれ者だけどな。──ま、上等も上等だろうぜ、こいつにしたら。お前だって、そう思うだろ? 九龍?」

「……上等って言うか……。俺、甲ちゃんが、有り難うございますとか御免なさいとか言うの、初めて聞きましたよ。…………うわぁぁ! 甲ちゃんも、そういう言葉知ってたんだ! 意外! 甲ちゃんの辞書には、そういう単語、ないんだと思ってた!」

ケラケラと、青年達は笑い出し、九龍は目を瞠って率直な感想をぶつけ。

「………………安心しろ。もう二度と言わない」

拗ね切ってしまった子供のように、目許を恥ずかしさで赤く染めた甲太郎は吐き捨て、ゲシッと九龍の臀部を蹴り上げた。