一通の、ロゼッタ協会より齎された報告書の所為で沈んでしまった気分を振り切り、甲太郎と阿門と千貫の四人で、ミルクで坊ちゃまを健康な青年へとお育てした敏腕執事お勧めホットミルクを啜りつつの、楽しく穏やかなひと時を過ごし、寮へ帰って。

部屋に入るなり、うっかり遠い目をしてしまったら、何も言わずに抱き締め髪を撫でてくれた甲太郎に張り付く風にして眠り…………、が。

明け方近く目覚めてしまった九龍は、はあ……、と眼前にあった恋人の胸許に重い溜息を吐いた。

「どうしよう…………」

甲太郎のお陰で眠れはしたものの、ロゼッタの『理解不能な動き』に関する思いはやはり消えず、つらつら思い煩うことも止められず、グルグル思考を巡らせて、不意に。

九龍は、この数日、すっかり頭の中から飛ばしていた、喪部の捨て台詞を思い出した。

『材料にすらなれなかった、出来損ない以下の君』、との一言を。

「何で、あの野郎、そんなこと言ったんだろ。ってーか、あいつ、俺の何を知ってたんだろ……。まさかと思うけど、あいつの捨て台詞と、ロゼッタの馬鹿野郎な『不思議』と、何か関係あんのかな……」

思い出した一言は、そんな考えを『遠く』から運んで来て、九龍は又、ボソっと溜息を零した。

────憧れもなく、ロマンもなく、只の手段として、九龍は宝探し屋になった。

金の為でも名誉の為でもスリルの為でもなく、記憶の彼方に消えてしまった己の過去と正体を知りたくて。

何も無い、『空っぽ』な『葉佩九龍』を支えてくれる、家族のような人と巡り逢いたくて。

その為に、世界を巡りたくて。

己に選べた範疇の中にあった、望みを叶える為の最も手っ取り早い手段と目し、宝探し屋を選択しただけだった。

……だから。

彼の中には、知りたいことを掴んだら、望んだ人を掴んだら、何時、宝探し屋を辞めたって構わない、との思いが、本音の一つとしてあった。

ロゼッタと手を切って、ヤクザな商売から足を洗って、掴めた人──甲太郎と一緒に、もう少し真っ当な未来へと向かったって、構わない、と。

…………そう、だから。

夕べの出来事を切っ掛けに、ロゼッタ協会、という団体が信じられなくなってしまったなら、不審を抱くしかなくなってしまったなら、とっとと踏ん切りを付けて、見切りも付けて、「辞める!」と言ってしまえばいいと、九龍は確かに思って『は』いるのだけれど。

それは確かに、彼の本音の一つではあるのだけれど。

謎を謎のままにしておくのも、すっきりしないのも、彼の性分に合わなく。

「…………教えてくれるって言ってたよな……。全部のことが終わっても、あいつの言ったこと、気にするのを止められなかったら、全部、教えてくれるって、京一さん、言ってたっけ……」

『それ』を知ってしまったら、自分は一体どうなるのだろう、とか、『それ』を知るのは怖い、とか、思わない訳ではなかったけれど、知れる限りのことを知って、判る限りのことを判って、そうしてから、これからのこと──将来のことや、ロゼッタとのことを改めて決めよう、と九龍は決意した。

「………………朝っぱらから、お前は本当にうるせぇな。黙って寝てられないのか……?」

一人、うじうじ悩んでいるよりは、その方がきっと遥かにマシだと決心し、ぼそっと独り言を彼が洩らせば、何時から起きていたのか、甲太郎の苦情が、頭上より降って来た。

「……うお。御免、甲ちゃん。起こしちゃった……?」

「起こされたと言うか、起きちまったと言うか……」

「あはー……。御免」

「お前の騒々しいのには、もう疾っくに慣れた。………………九ちゃん。訊くのか? ……いや、知るのか……?」

寝起きの、「あー、不機嫌ー……」としか言い様の無い低い声で、苦情と悪態が入り交じった科白をぶつけて来た彼に、へらっと九龍が明るく笑ってみせれば、甲太郎は、不機嫌を呆れへと移らせ、叩き起こされた仕返し、とばかりに九龍を正面から羽交い締めしてから、ポソっと、耳許で呟いた。

「…………うん」

「そうか」

「……知ったから、判ったから、どうにかなるって物でもないとは思うんだけどさ」

「…………そうだな」

「でも、知らないよりは、知りたいんだ、俺。嫌な話になるかも知れないけどさ。泣きたくなるような話かも知れないけどさ。────丁度いい……、なんて言うのは、不真面目に聞こえるかもだけど、丁度いい切っ掛けって言えないこともないから、知れる限りのことを知って、判る限りのことを判って、そうしてから、この先のこととか、色々決めようかな、って。……そうした方が、いいような気がするんだ。只の勘って奴だけどね」

「お前がそう思うんなら、そうすればいいさ。何がどうなっても、俺は、お前の傍に付いててやるくらいのことしか出来ないがな」

「……ありがと、甲ちゃん。──なあ、甲ちゃん? 甲ちゃんは、この先、どうするか決めた……?」

『知るのか』と、何故か苦し気に甲太郎が問うことに、問われるまま答え、『あの夜』は勢いに任せ、一切合切を棚に上げてしまった『将来』を、徐に九龍は尋ねた。

「いいや」

「うわー。いい加減ね、こーたろーさん」

「そうでもないと思うがな。……未来も、人生も、俺の持ってるモノは全て、お前にやったんだ。だから、俺の未来も、人生も、お前の望む通りにすればいい。尤も、『最低最悪』の選択だけは許さないぞ、九ちゃん。俺の未来と人生をくれてやった代わりに、お前の未来と人生は俺のモノだ」

「承知してますともさ。甲ちゃんの未来と人生は俺のモノ。俺の未来と人生は甲ちゃんのモノ。それだけは、何がどうなっても、何をどう決めようと、変わらないよ。でなきゃ、宝探し屋なんかになった意味がありませーん。…………御免な、甲ちゃん。又一寸、暫く、迷惑とか心配とか掛けるかもだけど……、葉佩九龍君は少しの間、鬱陶しい野郎になるかもだけど……」

「お前が鬱陶しいのも暑苦しいのも馬鹿なのも、今に始まったことじゃない。今更なこと言ってんな、馬鹿九龍」

九龍から甲太郎への、『将来』の問いに返されたのは、ドライな性格を自負する彼にしては、箍が外れたか? と言えなくもない科白で、一歩間違ったら関節技、なきつい羽交い締めは、又少し強くなり、けれども九龍は笑っておどけてみせた後……、ぽつり、詫びを告げた。

すれば更に、一歩間違ったら関節技、は強くなって。

「甲ちゃん。言葉にも抱擁にも、余り愛が感じられません」

「俺は事実を述べただけだ。で以て、これは抱擁じゃなくて嫌がらせだ」

「えええー……。折角の、シリアスチックな朝なんだからさー。もう少し、スウィートなハグをしましょうや」

「……馬鹿に必要なのは、甘やかしじゃなくて、躾だと俺は思うがな」

「躾…………。言うに事欠いて、躾かい」

「異議申し立てがあるのか?」

「そういうこと言うから、甲ちゃんは、属性・オカンなんだよ」

「…………お前に必要なのは、躾じゃなくて、お仕置きか。よーーーーー……く、判った」

「えっ? お仕────。…………! ちょ、一寸待った、甲ちゃんっ! 御免っっ。御免なさいっ! 心から反省してます、もうしませんっ! もう生意気なこと言いませんっ! だから、ネックロックは止めてーーっ! 首関節ーーーーっ!! ぎゃあああああ!!!」

「お前は一遍、骨の随まで思い知っとけ」

「ギブ! ギブっ! 誰かタオル投げてーーーっ!」

────シリアスな雰囲気の中、溜息と、強過ぎる抱擁で始まった朝は、そんなもの、流してしまいたい、と二人同時に秘かに願ったが為、馬鹿馬鹿しい騒ぎへと流れ、そして溶けた。