ロゼッタ協会本部がある──即ち、ロゼッタが幅を利かせられる様々な施設のあるカイロに輸送された『拾われた』少年は、やがて、健康『は』取り戻した。

が、自主的に何かを喋ろうとはせず、一切の記憶も失っていた。

少年の回復を待つ内に、黄龍の力を巡る陰陽の戦いには決着が付き、ロゼッタも、万に一つの可能性の為に少年を拾ったハンターも、少年を持て余し始めたが、やはり、と或る日。

何が切っ掛けだったのかは、未だに誰にも判らないが、少年は、一九九八年の晩秋、己が身に起こった出来事に関する記憶を取り戻し、ポツポツ、誰へともなく語り始めた。

少年が取り戻した一部の記憶を頼りに、ロゼッタ本部が調査を進めた結果、彼は、黄龍の力を手に入れ、世界を陰で覆おうと企んでいた柳生宗崇が、己が野望の為に創り上げた陰の黄龍の器の『失敗作』──もっと有り体に言えば、陰の黄龍の器の『材料』だったことが判明した。

陰の黄龍の器に成り得なかった処か、『材料』にもなれなかったモノだと。

そこから先は推測でしかないが、陰の黄龍の器を創り上げる為、柳生が集めて来た男子高校生の一人だった少年は、命を落とす前に、何とか、外法が行われていた悪夢のような場所から逃げ出すことが叶ったのだろう、とも。

……その事実を掴み。

少年を持て余していたロゼッタは、少々方針を変えた。

そうだと言うなら、今は持て余すしかないこの少年は、深く、龍脈に絡んだ経験を持つ、ということになる。

ならば少年は、何年も前からやはり持て余している、天香遺跡──龍脈の力が何等かの影響を及ぼしている、厄介な古代の遺跡の《秘宝》を奪取する為の、『可能性の一つ』に成り得るかも知れない。

所詮、持て余していた、『偶然の拾い物』でしかない少年なのだから、『可能性の一つ』としてでも、使えるならば。

使い捨てとなっても構わないのだから……、と。

……そうして、それは、『偶然の拾い物』でしかなかった少年に対する、ロゼッタ協会にての最終方針になった。

だから、一九九八年晩秋から、三年半の月日が流れ。

一度は取り戻し掛けた記憶を、やはり誰にも判らない何等かの理由で再び喪ってしまった少年が、暫しの時を経て、『記憶のない我』を取り戻し。

己で己を『葉佩九龍』と定め、更に、一年半の年月が流れた、二〇〇四年、九月。

一切の記憶を取り戻せぬまま、心底の望みを叶える為、誑かされているとも知らず、宝探し屋となった『葉佩九龍』は、ロゼッタの思惑に乗り、天香遺跡の謎を暴き、《超古代文明》が齎す《秘宝》を、『ロゼッタの為に』奪取すべく、天香学園へと編入することとなって。

「俺、は…………」

京一と龍麻が、共に低い声で代わる代わる語った五年前から今日までの『秘密』を聞き終えて、九龍は、何時の間にか己の手を握り込んでくれていた甲太郎の左手を、ギュッと握り返した。

「そう、ですか…………」

「……ああ。俺達が調べたことと、アン子が調べてくれたことと、御門や如月や壬生達が調べてくれたことを繋ぎ合わせたら、こうなった」

「じゃあ、ロゼッタは最初から…………」

「そうだな……。最初から、そのつもりだった、ってことにしかならねえ。実際、天香遺跡探索の『本当の要請』を受けたのは、お前じゃない。もう一人のハンターだった。だから、その……要するに、ロゼッタは…………」

「…………お互い様だー、なんて思ってたんですけどね……。本当の処は俺もよく判らない、ロゼッタ協会って組織の実体や実情がどうだったとしたって、俺も俺で、自分の望みを叶える為の手段として、ロゼッタの宝探し屋になったんだから、持ちつ持たれつって奴かなー、なーんて思ってたんですけど……ロゼッタの方が、一枚も二枚も上手だったぁ……」

ぽつりぽつりと続く京一の話を、俯いたまま聞き、あは、と九龍は、何も彼もを誤摩化すように笑った。

「九龍…………」

「葉佩君……」

「……九ちゃん。大丈夫か……?」

どうして、今、そんな風に笑うんだと、京一も龍麻も甲太郎も、喉元まで出掛かったが、泣き出す道を捨てたら、諦めたように、誤摩化すように、笑ってしまう道しか残らなかったのかも知れないと、三人は、揃って眉を顰め。

「大丈夫。俺は、大丈夫……。……大丈夫だって。こんなことで一々へこたれてたら、やってけないじゃんか……。だから、大丈夫、だ、けど……。だけど…………っっ」

泣く以外、唯一残った、笑ってしまう道も限界だったのか、九龍は、甲太郎にしがみつくようにして、その胸に面を伏せた。

「しっかりしろ……」

若干、青年達の目が痛くはあったが、甲太郎は、己に抱き着くしか出来なくなった九龍を膝に抱え上げ、宥める風に、背を撫でてやり。

「…………うん。うん…………っ。大丈夫、ちゃんと受け止めるし、受け止めてみせるから……っ。但、流石に一寸、きつかっただけで……っ」

グリグリと、甲太郎の胸許に額を擦り付けつつ、九龍は己に言い聞かせる風に呟いた。

「……九龍」

受け止めざるを得なくなってしまったことから、何とかして九龍を守ろうとする甲太郎と、ひたすらに耐えている風な九龍とを眺め、京一が又、静かに唇を開いた。

「あ、はい……」

「先に、言っとく。きついかも知れねえが、小出しにするよりゃいいかと思うから。──お前がこの先、身の振り方をどうすんのか、それは判らねえけど。俺達は、ロゼッタを許す気はねえ。お前の昔のことだけでもムカッ腹立ってるし、あそこを解放したのはお前だってのに、目の前で鳶に油揚攫われるような格好になっちまったのにもムカついてるし、俺等に向かって、黄龍の器と剣聖って、はっきり言って退けた連中の売り言葉は、きっちり受けて立つつもりでいる。……俺達は……そう決めた」

「……はい」

己達はどうしても、ロゼッタとは相容れられない、ときっぱり宣言した京一を、微かに振り返りながら、九龍は頷く。

「それから……、あのね、葉佩君」

そして、今度は龍麻が口を開いて。

「君の……『葉佩九龍』じゃない君の話、なんだけど……。葉佩君にとっては辛い話ばかりだけど、色々判ったから、多分だけど、調べようと思えば調べられるよ。君の本当の名前も、何処で生まれて、何処に住んでて、五年前まではどんな生活をしてたのかとか、何処の高校に通ってたのかとかも。…………どうする?」

これ以上の『過去』を知る気はあるか? と彼は九龍に問うた。

「……………………いえ。いいです。それはもう、いいんです」

それを。

甲太郎に縋るのを止め、椅子に座り直してから、九龍は首を横に振り、あっさりと断る。

「……いいんだ?」

「はい。俺は……、俺は『葉佩九龍』です。俺は俺でしかないって、甲ちゃんがそう言ってくれたから。俺は『葉佩九龍』で、葉佩九龍じゃない俺のことは、もういいです。思い出したら思い出した時ですけど、少なくとも今は、もう……。『俺』でいいって、甲ちゃんが言ってくれるから……」

「そっか……。……うん、そうだね」

「…………そう言えば」

「何?」

「俺って、五年前にもう、高校生だったんですよね? ってことは、少なくとも甲ちゃんよりは年上ってことですよね?」

「ああ、うん。そういうことになるね」

「ですよね? ……そっかー。年上かあ……。…………これからは、年上として、俺を敬え、甲ちゃん!」

「お前に、俺よりも知恵が付いたら、多少は敬ってやってもいいが。まあ、無理だろうな。……ああ、そうだ、九ちゃん。ってことは、お前は今、大体二十二、三歳ってことになるよな?」

「……? 多分」

「残念だったな、成長期が終わってて。もうそれ以上、お前の身長は伸びないぞ」

「うっ……うるさーーーーーい! 気にしてることを言うなーーーーっ! くっ……。野望だったのに……。甲ちゃんよりもデッカくなるって、野望だったのに……っっ」

──己は、『葉佩九龍』以外には有り得ないのだと、まるで、過去の己と決別する風に言った九龍は、空元気を振り絞り。

意地悪く、ニヤリと笑った甲太郎にからかわれるまま、雄叫びを上げた。

それより暫く四人で与太話を続け、『未来』のことは考えてから結論を出すと青年達に約束をし、初詣や麻雀大会の約束も交わして、午後半ば、夕刻より始める予定になっている、己の仲間達との年越し騒ぎの準備をする為、少年達は寮へと戻った。

例え、自分達以外の者の目がなくとも、建前という物があるし、規則に関してお堅い者達も若干名いたので、店長の承諾を得て借り受けたマミーズの一角にて、少年少女達の年忘れは始まった。

九龍はひたすら馬鹿に徹したし、生徒会副会長であることをバラされてしまった甲太郎は、仲間達の追求を躱すのに忙しかったし、阿門も、先日のことは一言も洩らさなかったから、日没直後に始まった宴は、とてもとても明るく、そして賑やかだった。

時間があるなら参加して下さいと、連絡を付け、半ば無理矢理、瑞麗や鴉室や壬生やアルバイト警備員二人も宴会に引き摺り込んだ辺りから、騒ぎは徐々に、賑やかなそれ、ではなく、惨状、と化し始め、太鼓持ち──もとい、宴会部長の素質を持ち合せている京一や九龍や朱堂や鴉室が更に盛り上げたので、夜が更ける頃には皆が皆、「疲れた……」と思わず洩らす程、揃って笑い転げる羽目になって…………そうして。

そろそろ、除夜の鐘が聞こえて来る、という頃合い。

生理現象に立った振りをして、お開きの雰囲気を醸し出して来た宴から一人抜け出した九龍は、男子トイレの個室に籠り、こっそり、『H.A.N.T』を開いた。

十数分程前に届いた、メールを読む為に。

──多分……、と彼が予感した通り、メールは、ロゼッタ協会よりの『無情』なそれだった。

新たに確認された、《超古代文明》にまつわる遺跡の探索に、このメールを受け取ったハンターは、準備が整い次第向かうように、との内容が綴られたメール。

「人使いの荒いことで……」

それを読み終え、暫し目を閉じ考え込み……、が、やがて。

パクン、と『H.A.N.T』を閉じた彼は、制服の内ポケットに、丁寧にそれを仕舞い込むと、

「そろそろ新年のカウントダウンだよーー!」

と、明日香が叫んでいる宴の輪の中へ。

「あ、待って待ってーー! 俺もやるーーーー!」

……そう喚きながら、明るい顔して戻って行った。