今日より始まる三学期の為に、帰省していた在校生全てが帰寮し終えている学園が、はっきり動き出す前に、と。

何時の間にか『意地の悪い』ことも言えるようになっていた友と、正門前にて別れた甲太郎は、温室に寄ってから、『墓地の跡』へ向かった。

──九龍やM+M機関の者達の調査も、『封印』作業も数日前に終わって、一昨日より、陥没した遺跡跡は埋め立て工事が始められており、例の者達が眠らされていた墓も、既に跡形もない。

一般生徒達には、今日午前の始業式で、年末年始休暇中に起こった地盤沈下で墓地が陥没したこと、故の埋め立て工事が暫くの間行われること、工事が終われば、一先ず、生徒や教職員の為の憩いの広場として整備すること等々が、伝えられることになっている。

……そう。

永きに亘り、《生徒会》以外立ち入ることすら許されなかった墓地は、今日この日より、学内の誰もが、誰憚ることなく足踏み入れられる、開かれた場所と変わる。

だが、甲太郎が目指したのは、開かれた『そこ』でなく。

この先も、気付く者は殆どいないだろう、かつては墓地を内包していた鬱蒼とした森の片隅に、本当に本当にひっそりと置かれた真新しい墓石の許だった。

三十年前から今日こんにちまでの間に、《墓》の正体を知ってしまった者達の中の、『唯一の死者』の墓。

何時でもラベンダーの香りを纏っていた、例の女教師の。

──そこに、立ち寄った温室にて、勝手に切って来たラベンダーの花束を甲太郎は手向けた。

「……あんたが言っていた通り……、俺のことを本当に理解してくれて、俺だけを愛してくれる奴に、巡り逢えた。あんたの言葉は、真実だった。…………俺は、今、酷く、幸福なんだと思う。俺が、こんな風に幸せになっていいのか、本当は、未だ判らないけれど……。俺なんかが、って、未だ、心の何処かでそう思うことは、止められないけれど……」

立ち尽くしたまま、墓と、ラベンダーの花束と、開いた掌に乗せた、九龍が返して寄越したアロマの為のパイプを見比べながら、彼は小さく語り掛ける。

「あいつが……、九龍がいないからかも知れない。俺の隣にいないから……。だから、こんなことを思うのかも知れないが……、何を振り返っても、覚えるのは後悔ばかりで、この先どうやって生きていったらいいのか、本音の部分の理解が追い付かない。今の俺には悔やむしか出来ない過去の罪を、どうやって購って行ったらいいのか、そんなことばかりを悩んじゃいるが……でも。せめて……、せめて今は、精一杯生きようと思ってる。俺のことを本当に理解してくれて、愛してくれる奴の為に生きて、俺の全てに代えても、あいつを守り通そうと思う。…………今は、それでいいか……? 先生……?」

小声で語り続けて、掌の上のパイプをキュッと握り締め、甲太郎は、何処となく照れ臭そうに笑み、くるりと潔く、墓に背を向けた。

「よう」

「おはよう」

「……おう」

数歩、歩き始めればそこには、『こういう瞬間』は酷く底意地が悪い連中だと感じる、京一と龍麻が何時の間にか立っていて、苦笑しつつ、甲太郎は軽く片手を上げた。

「葉佩君、行ったんだ?」

「……何だ。あんた達にも判ってたのか?」

「ここんトコのあいつのツラ眺めてれば、嫌でも判る」

「…………成程」

『彼』は行ってしまったのか? と事も無げに尋ねて来た二人に、もう一度甲太郎は苦笑し。

「っとに……。俺等も他人ひとのことは言えねえけど、水臭ぇなあ、あいつも」

「ホントにね。『行ってらっしゃい』くらいは、言いたかったなあ……」

予想通りかと、青年達は揃って、寂しそうに、拗ねた顔付きになった。

「別に、九ちゃんのことを庇う訳じゃないんだが……、二人の所には、どうしても行けなかったそうだ。あの馬鹿なりに、複雑だったみたいだ。もう二度と会えなくなったらとか、色々考えたらしくて。あんた達がどう思ってるのかは知らないが、九ちゃんの中でのあんた達は、実の兄に等しくて、だから──

──それが、水臭ぇってんだよ。なあ? ひーちゃん?」

「そうそう。もう二度と会えなくなるなんて、そんなことないのにさ」

「だよなあ。あいつの中で、俺等が実の兄貴に等しいってなら、尚更だ。実の兄が、実の弟の前から、行方晦ましたりする訳ねえだろ?」

「…………あ、でも、俺達一回やった。弦月と、一年半音信不通になった」

「あーーー…………。……ま、まあ、それはそれだ。うん。再会はきちんと果たしたしな!」

「……あんた達は何時になったら、計画性って言葉を覚えるんだ……?」

ブーブーと唇を尖らせる二人から、一応、九龍を庇う科白を甲太郎が言い掛ければ、パッと聞く分には感動的な、でも、危なっかしいと言うか、いい加減な言葉が、龍麻からも京一からも飛び出て、「全く……」と甲太郎は、三度目の苦笑を拵える。

「行き当たりばったりでも、何とかはなんだよ。何とかして来たし」

「それは、京一さん達だからこそ通用する理屈じゃないのか? ……っと、ああ、そうだ。九ちゃんから伝言を頼まれたんだ。この間買った携帯の番号とアドレスを、二人『には』伝えておいてくれって」

「あ、そうなんだ? じゃ、後でメール打ってやろーっと。薄情者ー! って」

「とっとと帰って来いとも、言ってやらねえとなー」

そうして、やれやれと肩を竦めながら甲太郎は、買い替えさせられたばかりの携帯を取り出して、二人に、九龍の番号とアドレスを教え。

「ん、完了、完了」

「…………イタ電してやるかな」

メモリ登録を終えた龍麻は満足そうに、京一は何やら不吉にほくそ笑んだ。

「処で。あんた達は、何時までここにいるんだ?」

「あ? 未だ確定じゃねえけど、多分、今月中には出てくぜ」

「あっちこっちに、借りを返して歩かなきゃならないから、ここ出ても、暫くは日本にいるけど。それがどうかした?」

「日本にいるってことは、新宿にいるってことだよな?」

「うん。そうだよ。多分、マンスリータイプのアパートかマンション辺り、借りることになるんじゃないかなあ」

「そうか。……なら、頼みがある」

「頼み? 何だよ、そんな風に改まって言わねえで、とっとと言えよ」

この二人のことだ、本当に碌でもないメールやイタ電を、九龍の携帯にしそうだと、言葉にせず呆れながら、甲太郎は青年達へと向き直って、頼み、と言い出した彼に、龍麻も京一も、揃って小首を傾げた。

「時間がある時で構わない。少し、こう……稽古と言うか、鍛錬と言うか、そういうことに付き合って貰えないか?」

「え? 稽古に鍛錬っ? 皆守君がっ?」

「又……何で?」

「……九ちゃんと約束したんだ。あいつが宝探し屋を続けるって決めたら、俺もあいつの専属バディになるって。宝探し屋を止めるって決めたら、一緒にカレー屋でもやろうって。……だから。二ヶ月後、あいつが帰って来るまでに、専属バディになってもカレー屋になっても恥ずかしくないようにしといてやるって、つい、言っちまって」

「な・る・ほ・ど。それで。そうだね、バディやるなら、この先も戦う機会は多くなるだろうし、体、鈍らせない方が…………って、ん? ………………きょ、京一っ! 皆守君っ!」

「へ? 何だよ、ひーちゃん」

「龍麻さん? どうかしたのか?」

「うんっ! 皆守君ってさ、蹴り技がメインだろう? 分類するなら、俺みたいな戦い方が得意分野だろうっ!?」

「…………そうなる……な。だよな? 甲太郎?」

「ああ。で? それが何か?」

「ってことは! 京一よりも、俺の方が教えてあげられることが多いってことになってっ! だから皆守君は、俺の一番弟子になるってことで! …………おおおおおおお! 秘かに俺も欲しいと思ってたんだっ。京一には、霧島って弟子がいるのにって!」

『頼み』の中味と理由を甲太郎が語れば、フンフン、と龍麻は深く頷いて、直後、「俺にも弟子がっ!?」と無邪気にはしゃぎ始めた。

「いや、弟子入りまでしたい訳じゃ──

──任して! 葉佩君が帰って来るまでの期間限定だけど、仕込めるだけ仕込んであげるよっ!」

「………………龍麻さん、話を聞いてくれ……」

「……甲太郎。諦めろ。今のひーちゃんに何言っても無駄だ。てめぇの世界にトリップしてる。──覚悟決めとけ……? つか……死ぬな?」

「……っ、何を不吉なこと言ってやがる、あんたはっ!!」

要するに、『準備運動』に付き合って欲しい、との頼みを、『弟子入り』と勝手に曲解し、ポーっと一人舞い上がり始めた龍麻を、甲太郎は正気に戻らせようとしたが、時既に遅く。

深い憐れみの籠った顔で、ポン、と肩を叩いて来た京一を、甲太郎は勢い蹴り上げ……でも、それはするりと、物の見事に躱された。