「……………………何で避けやがる」
「お前の蹴りなんざ、誰が受けてやるかよ」
「……フン。そうかよ。なら、受けざるを得なくなるまでやってやる」
「おーー、大口叩きやがって。やってみな? 尻尾撒いて逃げるんじゃねえぞ?」
「それは俺の科白だ」
──己の世界に行ってしまった龍麻を置き去りに、そこそこは本気だった蹴りを避けられたとの悔しさも相俟って、甲太郎は京一に八つ当たりを始め、へへへー、と軽い調子で笑いながら、京一は甲太郎の相手を務め。
「京一さん。俺は前々から、ずっと心に誓ってたんだ」
「何を?」
「何時か、絶対、あんたを蹴り飛ばすってなっ!」
「だから、何度も言ってるじゃねえか。やれるもんならやってみな?」
すっと瞳を細めた甲太郎は、かなり本気の蹴りを京一へと浴びせ掛け、でも京一は、何時もの紫色の竹刀袋に入った得物すら構えず、又、飄々とそれを避けて、ふふん、と生意気で天邪鬼な年下の彼を鼻で笑った。
「こ……っの…………っ」
「ひーちゃん、やる気満々だからよ。二ヶ月、死ぬ気で鍛えて貰えよ。ちったぁ違うぜ? ──お前が強えぇってのは、きっちり認めてやるけどな。やっぱり、前に言ったろ? 俺には『力』があって、お前にも《力》があって、『人外』の部分に関しちゃ互い五分だが、俺にはガキの頃から続けてる剣術がある、ってな。それが、俺とお前の違いだ、って。……あいつが、そうするって決めたら。九龍の──宝探し屋の、バディになるんだろ? あいつと一緒に、一瞬先には何が起こるか判らねえ場所を、それこそ、世界中廻ることになるんだろ? だったら、『人外』ってだけじゃ足りねえよな? だから俺等に、頼み、なんて言い出したんだろ? ……嫌って程、ひーちゃんと一緒に鍛えてやっから、反吐でも吐くまで励みやがれ。これしきのことで、歯噛みしてる場合じゃねえぞー?」
再び、呆気無く蹴りを避けられてしまったことと、当分は埋められそうにもない実力差に、キリ……っと甲太郎が唇を噛めば、京一は、笑いながらもそんなことを言って。
「…………判ってる」
はあ……、と構えを解いた甲太郎は、『遠い道程』を思ったが為の溜息を吐いた。
「めげるなめげるな、青少年」
「そうそう。めげてる場合じゃないって」
そんな彼と京一とのやり取りに、漸くトリップから戻って来た龍麻も加わり。
「俺達は、『借り返し行脚』とか、多分当分は断れない『仕事』とか入らない限りは、何時でも付き合えると思うけど、皆守君は?」
善は急げとばかりに、彼は早速、『日程』を決めたがった。
「そうだな……。他にもすることがあるから、何時でもって訳にはいかないと思うが、極力は。頼んでおいて、勝手だとは思うんだが……」
「他に? ……ああ、カレー屋の方に話が進むかも知れねえ可能性があるからか?」
「それもあるし、今まで授業をサボった分のツケを払わなけりゃ、卒業自体が危ないようだし、覚えなきゃならないことも、多分山のようだろうし。……兎に角、色々だ」
「ふーん。所謂、『お勉強』って奴か。うへぇ……。俺、そっちの話だけは駄目なんだよ。聞きたくもねえ……」
「……京一が駄目なのは、勉強の話だけじゃないじゃん」
「あっ。ひーちゃんっ! 本当のこと言うんじゃねえよっっ!」
「いいじゃんか、それこそ、本当のことなんだから。──あー、でも、そうなら皆守君も大変だね、覚えること沢山で」
「京一さんも、龍麻さんも。京一さんの勉強嫌いは、俺も充分過ぎる程知ってる。──まあ……大変と言えば大変なんだろうが、放っといたって物事覚える質なんだ、自分から覚える気になれば一発だろうし、多分、他人が思う程大変じゃない」
「ああ……」
「……そっか…………」
だが、突発な話の予定が、すんなりと決まる筈は無く、三人の会話は少しずつ逸れて行って、至極当然のように甲太郎が告げたことに、龍麻も京一も、僅か顔を顰めた。
イヴの夜、彼が九龍に打ちまけた『過去話』を、この二週間の間に、何だ彼
「……? それが、どうかしたのか?」
青年達の浮かべた表情に、甲太郎は少しばかり不思議そうな顔をし。
「いや、そのー……よ。…………お前、変に開き直っちまったって訳じゃねえよな?」
あー、だから、と。要らぬ心配かも知れないが、と。
京一はボソボソ言う。
「ああ……。そういう訳じゃない。開き直りと言えば開き直りだが、悪い開き直りじゃない……と思う。多分。何がどうなったって、その質とだけは一生手を切れないんだ、だったら、グダグダ言ってないで、折角だから有効活用しようと思っただけだ。そうすれば、あいつの為になるんなら、俺の持てるモノは何でも。どんなモノだって。使わない手はないだろう?」
「………………心から、そう思える?」
大丈夫か? と問い掛けて来ている風な京一の瞳に、軽く笑みながらさらっと甲太郎は答えて、でも、龍麻は念を押すように。
「ああ。心から」
だから。一瞬、くどい、と思いはしたけれど、甲太郎は、変に心配症な大人達へ、しっかりと頷いてみせながら、手にしたままだった似非パイプを、何とはなしに、ふいっと、唇の端に銜え、今日から真面目な生徒にならなきゃならないから又後で、と笑みつつ冗談めかして言って、二人に背を向けた。
三学期が始まってから数日と経たぬ内に、この冬休み中に、屋上の支配者でサボりの代名詞で怠惰の権化の三年寝太郎に、一体何が起こったのだろうと、三年生は固より、下級生達もがヒソヒソコソコソ噂を始めたくらい、青年達に宣言した通り、甲太郎は真面目過ぎる程真面目に、授業だの補習だの帳尻合わせの追試だのに挑み続ける日々を送り始めた。
担任の亜柚子や明日香などは、人が変わったような、としか傍目には思えない彼の『真面目』っぷりを手放しで喜んだが、何も知らせず、連絡先も教えず行ってしまった九龍を思う余り、明日香以外の九龍のバディ達は、「何時まで続くやら」と、ここを去って行く彼を見送った唯一らしいと噂の甲太郎に、八つ当たりとやっかみから来る科白をぶつけたりもして、が、当人は、誰に何を言われても何処吹く風で、未来と人生をくれてやった恋人が己の許へと帰って来た時、如何なる選択をしていようとも、共に未来を歩めるようにと、来る日も来る日も勤しんでいた。
今まで怠惰に過ごして来た為に積み上がったツケの所為で、無事の卒業をもぎ取る為の授業や勉学は、想像よりも大変で、宝探し屋のバディになる為に、又はカレー屋になる為に覚えなくてはならないことも思っていたより膨大で、暇を見付けては嬉々として呼び出して来る、鍛錬や修行ということを前にすると、九龍の予想通り人が変わる青年達に仕込まれることはかなりしんどくて、雑音に気を留めている暇も脇目を振っている暇もなく、一月が終わる頃、甲太郎は、子供で言う処の『知恵熱』を出し、ぶっ倒れ掛け、「極端から極端に走り過ぎだ」と龍麻や京一には笑われたけれど、その山も何とか彼んとか乗り切って。
さて、もう何日かすれば二月の声を聞く、という頃。