一月二十九日 土曜日。

一月最後の週末。

クラスメートの三分の一程が卒業後の進路の決まったその週末の日没後、あからさまに疲れたような顔して、甲太郎は、青年達に呼び出されるまま、警備員のマンションへ行った。

耳にタコが出来る程聞かされ続けた、「実戦が一番!」との龍麻と京一の持論を今日も聞かされ、「明日は日曜だから遠慮しなーい!」とも言われ、この約一ヶ月ですっかりお馴染みになってしまった真神学園旧校舎へ引き摺って行かれ、世界と異界の狭間の『穴』に叩き込まれて。

「今夜の目標は百階?」

「え、百五十階にしねえ?」

「んーーー……。じゃ、間取って、百二十階辺りで」

……などと、「あー、聞きたくない」と呟きたくなる青年達の会話をBGMに、異形と戦い続け、曰く『目標・百二十階』をクリアし…………夜半。

「………………体力馬鹿共め……」

端から疲れ切っていた表情を一層げっそりさせ、新宿駅方面目指して路上を辿り始めた甲太郎は、思わず、二人へぼそっと本音をぶつけた。

「そんなことないって。皆守君が持久力無さ過ぎるんだよ。旧校舎の百五十階ツアー程度、女性陣だって余裕でこなすよ?」

「普通の女共じゃないだろうが。『あんた等の』仲間内の女共だろうが……」

「でも、女は女だぜ? 少なくとも、野郎よりゃ体力ねえのが相場だろ。違うかよ?」

「それは、まあ……」

「そこんトコ悔しいと思うんなら、ひたすら励まないとねー。愛しい葉佩君のこと、心の支えにすれば踏ん張れるだろう?」

「そーそー。九龍の為だと思ってなー。頑張れよー?」

だが、龍麻も京一も、不機嫌そうにしている彼を横目で眺めながら、ケラケラと笑うだけで。

「処で、葉佩君からは連絡来てるんだ?」

「元気してっか? あいつ」

「ああ。まあ、それなりには連絡も来るし、元気にもしてるみたいだ。詳しい事情は知らないが、余り頻繁に『外』と連絡を取れる環境でもないみたいで、週一ペース程度でしか話はしてないが……」

「ふうん。でも、ちゃんと連絡あって、元気にしてるんだ。良かった」

「何時でも、元気溌剌だもんなー、あいつ」

道行く三人の話題は、何時しか九龍のことになった。

「んー、もう少しで十二時か。夜遊びするにゃ、いい頃合いだな」

「まあね、夜遊び的にはね。全く…………。……でも、今夜は」

その所為なのかどうなのか、甲太郎には判らなかったが、急に、京一と龍麻は彼を促しながら路地を折れて、駅とは若干逸れた方角へと進み始める。

「……? 何かあるのか?」

「うん。明日ね、あのマンション引き払うことになったんだ。警備員のアルバイトも、今日でお終いになって」

「つー訳で。ちょっくら、寄り道して帰ろうぜ? 多分、『高校生のお前』と、こんな風にのんびり出来る機会、この先滅多には取れねえだろうからよ」

自分を従え、さくさく歩き続ける二人へ、何処へ行くんだとか、何をする気だとか、ブツブツ甲太郎が問えば、『天香学園とのお別れパーティー』をするのだと、青年達は彼を振り返り、揃って笑った。

そういう訳で、日付が三十日へと変わる頃、学生時代から『プチ不良』だった青年達に甲太郎が連れ込まれたのは、通り一本挟んだ所に花園神社がある、古くからの繁華街の一角の、酷く狭いバーだった。

甲太郎とて、かなり肝っ玉は座っている方だが、場末とか、胡散臭いとかいうイメージが、約五十年の歴史にて培われたその繁華街のバーに、高校生という身分で踏み込むのは……、と彼は躊躇いを見せて、しかし、龍麻には、

「私服なんだし」

と相手にされず、

京一には、

「お前の風体なら大学生で通る」

と余り有り難くない太鼓判を捺され。

渋々、彼は、背中を押されるに任せた。

──そこは、六、七人が座れるか否か、と言った程度のカウンター席があるだけの、細長い、本当に狭苦しい店で、この手の店にすれば、所謂『稼ぎ時』な時間帯だろうに、客は一人もなかった。

「村雨の顔が利く店なんだよ」

「ああ、あのギャンブラーの」

「そうそう。だから、安心していいよー」

青年達は、最初から甲太郎をここへ引き摺り込む気満々だったようで、彼等にしては珍しく、『計画性』を匂わせるようなことも言われ、「だと言うなら、まあ……」と。

漸く、甲太郎は本当の意味で肩の力を抜いて、不意打ちの、『お別れパーティー』は始まった。

────それより暫し、それぞれが、思い思いのペースでグラスを傾けながら交わした話は、今は遠い地にいる九龍のことや、青年達の仲間内の噂話や、学園内の日々の出来事が中心で、九龍に教えたいからと、青年達の新しい『仮住まい』の住所を甲太郎が聞き出したり、『仮住まい』の地番など覚える気もなかった京一をド突きながら、龍麻がそれに答えたり、と言った一幕もあって。

……その席が始まって、二時間程が経った頃、へらへらーっと笑いながら、龍麻が立ち上がった。

「きょーいちー……」

「お。電池切れたか?」

「うんー。切れたああ……」

「大人しく寝とけ。後で起こしてやっから」

「んーーー……」

ああ、ひーちゃんが酔っ払っちまった目印だ、と龍麻のへらへら笑いを眺めながら京一は苦笑し、仕草でバーテンに軽く詫びてから、カウンター席の一番奥へと酔っ払いを引き摺り、改めて座らせ寝かし付け、毛布代わりにコートを掛けてやってから、己の席へと戻って。

「龍麻さんの肝臓は、人並みだな、あんたと違って」

くうくうと寝始めた彼と、ケロッとしている京一を見比べた甲太郎は、しみじみ呟いた。

「逆だろ。ひーちゃんが弱過ぎんだっての」

「いいや。京一さん、あんたや、あんたの仲間内の大部分の肝臓の出来は、明らかにおかしい」

「でも、お前だってひーちゃんよりは強いじゃんよ。ひーちゃんが人並みなら、お前は何だ?」

「あんた達の宴会に何度か巻き込まれた所為で、酒に慣れちまったんだろうさ。九ちゃんは、慣れなかったみたいだが」

「人聞きの悪りぃこと言うなよ。お前等巻き込んでの宴会なんざ、数える程しかしてねえっての」

「数える程でも充分過ぎる。あんた達の宴会の酒量は半端じゃない。普通、そんな宴会に、高校生は巻き込まないだろうが。良識ある大人なら」

私も様子を見ていますから、大丈夫ですよ、と。静かに言ってくれたバーテンにもう一度頭を下げた京一と、時折、彼に色々と突っ掛かりたくなるお年頃な甲太郎は、グラス片手にやり取りを続け。

「ひーちゃんもそうだけどよ。お前も、ホントーー……に一言多いよな」

口の減らない奴……、と肩を竦めつつ京一は苦笑する。

「……………………正直、あんたとやり合って俺に勝ち目があるのは、今の処は口先くらいだからな」

すれば甲太郎は、ふいっと、不服そうに呟きながら、そっぽを向いた。

「おーおー。拗ねてやんの。いっちょまえに」

「誰が、何時、拗ねたってんだ?」

「お前が、今、現在進行形で」

「……気の所為だろ」

「…………その態度で、気の所為って言い張れるってな、或る意味偉大だぜ。──ま、そこで、そーゆー風に拗ねんのも、又青春って奴だろ。コーコーの頃、真神一の伊達男と言われた俺に勝とうなんざ、十年早いしなー」

「伊達男…………? お調子者とか、太鼓持ちとかの間違いじゃないのか?」

「真顔で言うんじゃねえよ、ボケに困んだろうがっ!」

──そのまま彼等は、又暫し、やり合いを続け。