「それに。皆守君も皆守君でっ!」
でも。
『酔っ払い』の言い分は続いた。
「あ?」
「自分のこと、思いっっっっっっっっっ……切り棚に上げて、したり顔であんなこと言っちゃってさ。そのくせ、京一の気持ちはよく解るー、みたいな雰囲気、プンプン匂わせてさ。自分は強くないから、今まで道を逸らせてばっかりだったから、葉佩君のこと守れてなかったかもー、みたいなニュアンスも漂わせちゃってさ。もーーーーー、二人揃って馬鹿で馬鹿で。京一と皆守君って、何処か似てるっぽいから、仕方無いのかもだけどねーーっっ。俺だって葉佩君だって、そんなこと思われたくありませんーーー、だ。…………だから、ちょーーーーーっと頭キて、葉佩君に告げ口してみた。馬鹿が二人、一寸見当違いのことで、顔付き合わせてしんみりしてるよー、って。でも、全部メールに打つ気力無かったから、端折った」
「…………ひーちゃん。お前の言い分はよく判った。確かにお前の言う通り、俺は、筋違いのこと悔やんでたのかも、とは思う。……けどよ。俺と甲太郎が、お前等の目ぇ盗んで、妖しい雰囲気醸し出してるってなメール、九龍の奴に送るってのは極悪だろ……」
留まることなく、ブチブチと垂れられ続ける『酔っ払い』の言い分に、余り多くは反論出来なかったが、京一はボソっと、細やかな苦情だけは訴えてみた。
「…………本当のことだろう? 馬鹿が二人、馬鹿を言い合ってるって気付きもしないで、やけにシリアスな顔して向き合ってるってのを、端的に説明しただけ。ちょーーーーっと、誤変換もあったかもだけどー」
「お前なーーー………………」
「何? 言いたいことでもあるんだ? まさか、文句じゃないよねえ? キョーイチくーーん?」
「文句はねえよ……。つか、今のお前に文句言ってみたって通じねえし。但、お前が、頭キたって言いながらやらかす『仕返し』は、碌なもんじゃねえってのを、改めて痛感しただけだ……。っとに……」
「ド阿呆な京一が悪い。俺だって、京一がド阿呆じゃなかったら、『仕返し』なんかしない」
「へいへい……。俺が悪ぅございました。……ひーちゃん。御免な? もう、下らねえこと、ぐちぐち言わねえからよ。勘弁してくれ」
けれど結局、細やか……な苦情も、ばっきり龍麻に握り潰され、泣く子とひーちゃんに俺は勝てない、と遣る瀬無い溜息を零して、京一は微苦笑を浮かべながら、『酔っ払い』の頭を撫でてやった。
小さなバーのドア脇の、埃の付いた壁に寄り掛かりつつ、一月末の丑三つ時の、刺すように冷たい風にアルコールで火照った頬を晒しながら、肩に引っ掛けただけのコートの中で、甲太郎は首を竦めた。
『ううううう……。御免。御免! 甲ちゃーん……。許してくれよぅ……』
握り締めたままの携帯からは、ゴニョゴニョとした声での、九龍の申し開きが続いていた。
「却下」
が、甲太郎はすげなく、一言のみ言い返す。
『えーーーーー……。全面的に俺が悪い訳じゃないって判断を下してやってもいいって、今さっき言ったじゃんか……』
「心臓に悪いメールを送り付けられて、焦ったのも喚きたくなったのも、理解はしてやる。だが、さっきも言った通り。高がメール一本で、俺のことを疑ったのは許してやらない」
『……高がメールの一本でも、自分がそんなん受け取ったら、俺以上の大騒ぎするくせに…………』
「ああ? 何か言いやがったか?」
『何でもないです。甲ちゃんの気の所為です。空耳かと思われます。俺は無実です。……御免ってば。御免ーーーっ。謝るからさー、甲ちゃーん……』
「嫌だね」
『こーたろさーん…………』
「………………何で、そんなことを思う?」
『へ?』
「どうして、俺が、お前以外の奴に現を抜かすなんて思うんだ。お前以外の誰かに心を移すなんて馬鹿げたこと、何で想像するんだ。お前は、俺の言葉が信じられないのか? 俺のことなんか、信じられないのか?」
『……っ! 違うっ! 違うってのっ!! そうじゃなくてさっ。そんなんじゃなくてーーっ! ……やっぱりさ、ここは遠いからさ……。新宿からは遠いから……。俺だって不安になるやい。タレコミメール一本で、あっさり動揺しちゃうやい。……御免な、甲ちゃん…………』
「…………もう、いい」
淡々と、咎めるでなく、詰るでなく、九龍を突き放すような声と科白を甲太郎は返し続けて、やがて、小さく溜息を付いた。
『甲ちゃん? あの、こーたろさん? それってまさか、見捨てるって意味の、もういい、じゃないよな……?』
「……見捨てて欲しいのか?」
『んな訳あるかーーーっ!』
「だったら、下らないことを言ってるんじゃない、この馬鹿。──早く、帰って来い。一日も早く。遠い所から。不安にならずに済む距離まで。そうすれば、こんな訳の判らない言い争い、しなくても済むだろう……?」
『甲ちゃん……。うん…………。……俺、頑張るから!』
「ああ。……九ちゃん? そっちは、寒いのか? ちゃんと、暖かくしてるか? 何時までも電話してて平気なのか?」
『大丈夫だって。心配ご無用! ちゃんと上手くやってるよ。何時もそう言ってるっしょ? 一分でも一秒でも早く、甲ちゃんの処に帰りたいけど、だからって無理したら、却って甲ちゃんに心配掛けちゃうからさ。無理とか無茶にならないギリギリのとこで踏ん張ってるよ。……本当だぞ?』
「…………信じてるからな、その科白」
『うん。……えへへへー……。────あのさあ、甲ちゃん』
「……ん?」
『会いたい、な。甲ちゃんに、会いたい……』
「九ちゃん……」
甲太郎が言った通り、訳の判らない言い争いはやがて終わり、電話越しの彼等の会話は、甘くて切ないそれになって。
ぽつり、泣きそうな声で、会いたい……、と洩らした九龍に、甲太郎は刹那、息を飲んだ。
『甲ちゃん?』
「聞いてる……。……九ちゃん。俺も……いや、何でもない」
──会いたい。
その素直な一言は、どう足掻いた処で互い手の届かぬ距離を隔てている彼等には、酷く重い、切実な言葉で、正直に想いを吐露した九龍に倣い、甲太郎も又、「俺も……」と言い掛け、が、この一言が、恋人の枷になってはと、彼は言葉と想いを殺した。
『あ、狡い。甲ちゃんもちゃんと言え! 「俺も」の先は何?』
だが九龍は、敢えてそれを問い質し。
「………………判ったよ……。──俺も、会いたい。お前に会いたい……」
苦笑しながら、殺した言葉と想いを甲太郎は甦らせ。
『……うん。一日も早く帰るからさ。待っててくれよな。────……それじゃ、お休み、甲ちゃん』
「ああ。お休み……」
暫しの沈黙の後、何時も通り、そう遠くない未来の再会を今宵も又誓い合って、彼等は自分達を繋いでいた、天上よりの細い蜘蛛の糸にも似た回線を、それぞれ同時にぷつりと断った。
「お。戻ったか? ……悪りぃな、甲太郎。ちょいと、俺がひーちゃんのこと怒らせちまったみたいで。お前等にも、とばっちりが行っちまった」
無情で耳障りな音を立て始めた携帯を一瞬だけ見詰め、コートのポケットに押し込んでから、未だ、どうするべきかをつらつらと悩み続けているアロマのパイプを銜えた甲太郎が、再び店のドアを潜れば、龍麻との『話し合い』が付いたらしい京一が、顔の前に片手を立てて、拝むように詫びて来たので。
「いや、別に。どうせ、龍麻さんに何か、思う処があったんだろう?」
「その通り。……んー、京一よりも、皆守君の方が殊勝だねーー」
席に着き直しながら彼が苦笑すれば、依然酔っ払った顔付きのまま、龍麻が口を挟んで来た。
「でも! 京一も皆守君も、一寸身勝手なトコがあってっ!」
気にしていない、との甲太郎の弁に機嫌良さそうにしつつも、又彼は、何処か酔った勢いに身を任せた風に捲し立て始め。
「……甲太郎。聞き流せ。ひーちゃん、未だ酔っ払ってる」
「聞き流させる前に、頼むから黙らせてくれ。あんたの連れ合いだろうが」
「それが出来りゃ、苦労はねえ……」
「…………甘やかしてるのか? それとも尻に敷かれてるのか?」
「そこっ! 二人共、俺の話聞いてるっ!?」
「あーー、聞いてる聞いてる」
「一応」
ボソボソっと言い合って、龍麻の『お小言』を右から左へと流すことに決めた『似た者同士』は、酔っ払いの機嫌を取りながら、少しばかり呑み直すかと、揃って、新しいグラスに指を掛けた。