──2005年 02月──

暦は、二〇〇五年、二月になった。

九龍の『単身赴任』はいまだ終わらず、龍麻と京一も天香学園を去って行った。

──九龍が学園より『消えた』日から暫くも、似たような想いを甲太郎は抱えていたけれど、無事の卒業をもぎ取る為に、卒業後にやって来る『未来』の為に、一月の間中、彼は忙しく過ごしていたし、何よりも、青年達に付けられた情け容赦の無い修行と、思うことがあれば何時でも訪ねられる距離にいた彼等の存在が、甲太郎の中に巣食っていた『その気持ち』を覆っていて……でも。

恋人は、遠い空の下に行ってしまったままで。

本当に本当の本音を打ち明けてしまえば、甲太郎の中でも実の兄達のような存在と何時しか成った京一と龍麻も、手の届く距離から離れてしまって。

巣食っていた、が、覆い隠されていた『その気持ち』──寂しい、という気持ち、それを、彼はしばしば持て余すようになった。

だが、あのクリスマス・イヴの夜、彼は、或る意味では『生まれ変わって』いたから、持て余し気味な孤独を何とか騙し、孤独に苛まされている暇があるなら、未来の為に、九龍と己の為に、少しでも、今の自分でも出来ることをと、至極真っ当に己を叱咤し、毎日を送った。

三学期が始まったばかりの頃は、やっかみや八つ当たりを見せることもあった仲間達も、彼の本気を認めたようで、無理をするなとか、余り根を詰めてもとか言いながら、気遣う風に接してくれて。

……最寒月の日々は進み。

同級生達の半数以上が、卒業後の進路を定め。

女子達が、『殺気』とも例えられそうな『気合い』を滲ませつつ、バレンタインデーの話で盛り上がり始めた、二月上旬の終わり。

二月十日、木曜日の放課後。

少しばかり寝不足な頭を抱えながら、甲太郎は俯き加減で、校舎中央棟二階の廊下を歩いていた。

このまま真面目に二月中の授業に出席し、一つ二つ追試を受ければ、無事に卒業出来ると、先日、亜柚子に保証して貰えたので、ならこれからは、卒業の為の勉学でなく、九龍の専属バディになる為に必要な知識と、カレー屋になる為に必要な知識を得る為の時間を増やそうと決めた彼は、図書室へ向かおうとしていた。

来年度より校則が大幅に変更となる為、一般生徒には『実験期間』と称し、この三学期より放課後に関する規則──下校のチャイムが鳴り次第、直ちに校舎から出ること、というあれ──を生徒会が緩めたので、生徒達は誰も彼もがのんびりと過ごし、これまでは放課後の活動が認められていなかった文化部の者達はその日も張り切っており、雑多な感が否めない廊下を行く人の波を、無意識に、流れるように避けながら彼は進んで。

「あっ! 皆守さんっ。良かった、探しに行こうと思ってたんですっっ」

視聴覚室から飛び出て来た月魅に捕まった。

「七瀬? 何か用か?」

去年まで程ではなくなったものの、何処か、己を苦手としている風な態度を垣間見せる彼女に、焦った声で話し掛けられ、あまつさえ腕まで取られて引き摺られ、思わず甲太郎は彼女の腕を振り払い掛けたが、いけない、と思い留まり連れられるに任せ、視聴覚室へと足踏み入れた。

「皆守くんっ」

デ部──デジタル部の活動場所でもあるそこには、『主』である肥後がいて、彼も又、月魅のように焦っている様子で、がたりとパソコンの前から立ち上がった。

又、どういう訳か、取手や瑞麗の姿まであり。

「何なんだ? 肥後や取手やカウンセラーまで。何か遭ったのか?」

流石に、甲太郎は顔を顰めた。

「それが……、八千穂さんが…………」

「八千穂? あいつは確か、何処だかの私大の受験に行って──。……ん? そう言えば……あいつ、もう帰って来てもいい頃なんじゃなかったか?」

「そのことです! そのことなんです!」

「そうなんでしゅ! 八千穂たんが……八千穂たんがー!」

「……おい。少し落ち着いて話せ。八千穂が、どうしたって?」

視聴覚室にいた四人全てが厳しい顔を崩さず、月魅や肥後に至っては、少々パニックに陥っている風で、甲太郎は一層顔を顰め、事情を語れと彼等に促してみた。

「あ、はい。それが……。────八千穂さん、本命の体育大学以外にも、一応、二つか三つは滑り止めを受けたいって、月曜日、長野市に行ったんです」

落ち着け、と低めた声で甲太郎に諭され、深呼吸を一つし、月魅は事情を話し出す。

「ああ、それは俺も知ってる。散々あいつに聞かされたからな。ここで唯一、大手を振って外出許可を取れるのは、大学受験の時だけだからと、外出許可証握り締めたあいつに、同じ話を幾度も──

──八千穂さんが、長野の私大を受ける為に取った外出届は、三日間の予定だったんです。月曜日の午後にここを出て、火曜に試験を受けて、水曜に帰って来る、って」

「………………今日は、木曜だぞ?」

「ええ……。……八千穂さん、水曜の午前に電話をくれたんです。本当はいけないんだろうけど、一寸ゆっくり出来るように外出届を申請したんだ、って。だから、夕方の新幹線に乗る前に、松代に行って来る、って」

「松代? ……太平洋戦争中に大本営が掘られた、あの松代か?」

「そうです。松代には皆神山という山があって、皆神山は、人工的な何かを想像出来るような山容をしている為に、『太古に作られた世界最大のピラミッド』だという説があるんですが、八千穂さん……、どうも、それを向こうで知ったらしくて、面白そうだから見学して来る、と。九龍さんや私が目を輝かせそうな『不思議』な話が知れるかも知れない、って……。でも…………」

「でも? 何だ?」

「彼女、午後にもう一度電話をくれて……、私はもう、半ば自由登校ですから、寮の部屋で、皆神山の頂上にある皆神神社に着いた彼女と暫く話してたんですけど、途中で、悲鳴みたいな声が聞こえて直ぐ、電話が切れてしまって……。それ以来、何度掛け直しても繋がらなくて……。朝まで待ってみたんですけど、八千穂さん、帰って来なくてっ……。……それで、ルイ先生に相談したんです……」

「八千穂が七瀬に、想像以上に面白そうだから、自分がレポートする話を録音してくれ、と頼んでいたんでな。肥後に、七瀬の携帯の録音データを解析して貰っていたんだ。私も聞いてみたんだが、電波状況が悪かったのか、最後の数分は、何を言っているのかよく聞き取れなくて、解析してみれば、何か判るかも知れない、と思ったんでね」

最後の方は涙声になった月魅の説明を、瑞麗が引き継いだ。

「で? 何か判ったのか?」

「朝から色々やってみたんでしゅけど、八千穂たんが何を言ってるのか、全部は判らなかったでしゅ……。でも、皆神神社の本殿の脇に、変な、怪しい穴がある、って言ってるのと、悲鳴の直前に、凄い地震が、って八千穂たんが叫んだのは判ったんでしゅ。だから、もしかしたら、八千穂たん…………」

「落ちた、ってのか? 穴に?」

「かも知れない……。……僕はたまたま保健室にいて、事情を知ったんだけど……、但……」

瑞麗に次いで、肥後も取手も、甲太郎へと向き直って、明日香が、只穴に落ちただけではないらしいことを匂わせた。

「地震の所為で穴に落ちたとかいう、単純な話じゃないんだな?」

「気象庁のホームページに行くと、地震速報が見られるんでしゅ。最新の地震速報から、大体一週間くらい遡って、全国各地で起きた、震度1以上を観測した地点と地震の発生場所と規模の情報が拾えるんでしゅけど……、昨日、八千穂たんが七瀬たんと電話していた時間に、長野では地震なんか観測されていないんでしゅ。昨日は、二十四時間、一度だって、長野市近辺で地震は起きていないでしゅ。なのに八千穂たんは、はっきりと、『酷い地震が』って言ってるんでしゅ。……おかしいでしゅ」

「『内輪』の話だが、皆神山は、霊的警戒地域に指定されている。判り易く言えば、ミステリースポットという訳だ。──皆神山は、丁度お椀を伏せたような形をしている、標高六五九メートルにある溶岩ドームだ。ピラミッド伝説があり、一部信仰の対象にもなっていて、電磁波で重力を制御し、物体が離着陸出来るように設計された、航空基地の役目を果たしていた、との説もある。それ等から鑑みるなら、皆神山は、山自体が巨大なオーパーツと言えるだろう。あの山は、昭和四十年八月より約二年間にも亘って起こった、松代群発地震の震源地だから、気象庁に観測されない地震が起こったとしても不思議ではないかも知れないが、当時の地質調査で、皆神山の中心部は、僅かだが重力が少ないことが判明している。……つまり、あの溶岩ドームは中心部が空洞ということになる」

──それより暫くも、肥後や瑞麗による、『不吉なデータ』の提示は続いて。

「……………………ここでこうしてたって、八千穂は見付からないさ」

パソコンデスクの一つに寄り掛かり、俯き加減で話を聞いていた甲太郎は徐に面を持ち上げ。

何かを思い定めたように、きっぱりと言い切った。