一時間四十分程の新幹線の旅の間、九龍は、一月までの彼と何ら変わらぬ調子で喋り続けて、でも。
お前は、喋り疲れることがないのかと、あからさまに呆れながらも、甲太郎は、そんな九龍に薄い違和感を覚えていた。
おや、と感じ始めて暫くは、彼自身、その違和感の正体を中々掴めなかったが、もうそろそろ長野駅に到着する、という段になって、ああ、と。
やっと彼は、その理由に思い当たった。
違和感の原因、それは、九龍が喋り続けた話の内容にあった。
一時間半近く、途切れることなく話し続けたにも拘らず、彼が語ったことは、本当に、真実、他愛無かった。
天香学園を発ってより今日まで過ごした毎日のことを、詳細に告げていると見せ掛けて、その実、この一月九龍が何処で何をしていたのか、改めては誰にも説明出来ぬだろうくらい話は曖昧に構成されていて、ゴテゴテと飾り立てられた言葉の全てを剥ぎ取ったら、日本国内の、新宿よりも寒い、海が見える場所にある遺跡で、宝探しに励んでいる、という、甲太郎は既に弁えている内容しか残らなかった。
遺跡にまつわる話もそうだった。
天香遺跡に負けず劣らず面倒臭い遺跡、と文句を垂れながらも九龍は、どういう風に面倒臭いのか、何の古代文明にまつわる遺跡なのか、そこに眠っていると目される《秘宝》は何なのか、といった部分の話を全て濁した。
やはり、遺跡の『番人』が出る、とだけは打ち明けたけれど、どのような『番人』なのかが語られることはなく。
バディの有無も白状しなかった。
向こうでも友達が出来た、という話はされたが、身分を偽った彼の友人なのか、葉佩九龍当人の友人なのか、宝探し屋の彼『とも』友人なのかは明かされなかった。
だから、かつて、「お前の辞書には、守秘義務って言葉はないのか……?」と甲太郎に突っ込まれた、この人、と定めた相手には、如何なることでも包み隠さず話す筈の彼が、一時間半近くに渡り語った内容、話の運び、けれど普段と何ら変わらぬ態度、その全て、甲太郎にしてみれば、感じざるを得ない違和感、だった。
…………新たに潜り込んだそこの詳細な情報や、《超古代文明》にまつわる遺跡や《秘宝》の秘密を覆い隠されたことに関して、甲太郎は兎や角言うつもりはなかった。
この一ヶ月、週一ペースでして来た電話や、数日置きに交わしたメールでも、今度の遺跡や《秘宝》の仔細に関する話は出なかったし、電話やメールでは、睦言めいた科白をやり取りするので互い一杯一杯だったし、電波越しでなく、面と向かい合ったとて、おいそれとは明かせない事情その他があってもおかしくはないのだからと、理性『では』納得した。
どれだけ忍耐を総動員しても、感情の部分は納得などしてくれなかったが。
でも、バディが出来たとか出来ないとか、どんな友人を得たとか得ないとか、宝探し屋であることを打ち明けた相手がいるとかいないとか、そういうことくらい、直接向かい合っている今、覆い隠さずに話して欲しかった、と。
我が儘だと、判ってはいるけれど。己の心が狭い故だと、自覚してはいるけれど。隔てられてしまった距離が、どうしたって与えて来る不安を吹き飛ばす為に、と。
甲太郎は、秘かに思うこと止められなかった。
そうして、蟠り、とも言える彼のそんな思いは、新幹線を降りて、駅前にあった阿門が手配してくれたホテルに転がり込んだ頃には、坂道を転がり落ちる雪玉の如く膨れ上がって、大分改善されては来たが、基本的には後ろ向き、という彼の質を、存分に揺り起こした。
……故に。
親友で、相棒で、恋人で、家族、とまで定めてくれた己にすら、九龍は何も言えない、のではなくて。
九龍はもう、何も言うつもりがないのではないか、と甲太郎は考え始めてしまった。
そう思わせる何かが、『別天地』で九龍の身に起こったのではないか、と。
己の手を取り、親友で、相棒で、恋人で、家族、と九龍が定めてくれたそれすら、覆ってしまうような何かが、とも。
────自分達が離れ離れとなっていたのは、たったの一月。
だが、三十回の昼と夜は、人一人の想いを揺るがすには充分過ぎる時間だ。
事実、九龍と巡り逢って半月で、己は彼に惹かれている自分を自覚した。
何も変わらぬ、『永遠の繰り返し』の如くな『平穏』だけを望み、生きることすら億劫で、どんなことでも呆気無く諦めて来た自分だったのに、九龍を想うのを諦めることを諦め、伸ばしてはならない、との思い込みさえ振り払い、彼へと手を伸ばした。
未来も、人生も、僅か三ヶ月で塗り変わった。
……だから、九龍なら。
己の中を沢山のことで満たしたいと、与えられるモノを一つ一つ溜めていきたいと、心底願い、宝探し屋にすらなった九龍なら、たった一月の時間だろうと、強く想いを揺るがす何かを得ていてもおかしくはない。
新しい出逢いと、新しい想いと、新しく与えられたモノとに、一月前以上の『未来』を見たとしても、おかしくは…………────。
「甲ちゃん? どったの?」
──辿り着いたホテルで、月魅と分かれ、九龍と部屋に入っても、そんな風に膨れ上がった想いを黙らせること出来ず、ぼうっと物思いに耽っていた甲太郎を、九龍が訝しんだ。
「……ん? あ、ああ……。別に」
「ほんとかぁ? 何処となく、ボーっとしてるよ? あ、そっか、甲ちゃんも疲れてるんでない? 風呂入って休みなよ。もう十二時じゃん」
他人が聞いたら、後ろ向きにも程がある、と言っただろう、持て余しながらもどっぷり浸かっていた想いより引き戻され、何でもないと甲太郎が誤摩化せば、九龍は彼の物思いを疲れと解釈して、ぐいぐい、バスルームへと背を押した。
「そんなことは。……お前の方こそ疲れてるんじゃないのか。強行軍だったろ? さっさと風呂入って寝ちまえよ。俺は別に朝でも構わない」
「そりゃまー、強行軍ちゃあ強行軍だけど。これしきでへばる程、体力無い訳じゃないよ?」
「……そうか」
「うん。…………甲ちゃん。俺の気の所為かもだけど、何か、様子変だ。本当に、どうしたんだよ。又、何か変なことでも考えてんじゃないだろうな」
「変なこと?」
「思い詰めるようなこと、とかだよ」
「思い詰めるようなこと、な。……ああ、考えてるな。少しだけ」
己を押す彼をやんわりと押し返し、誤摩化しに誤摩化しを重ね。
甲太郎は、前触れなく九龍を腕に抱き込んだ。
「甲ちゃん?」
「一月振りにお前に──恋人に会えたんだ、思い詰めるだろう? 男なら」
「そっちかい! しかもいきなりかいっ!」
「どんな段階踏めってんだよ。…………九ちゃん。九ちゃん……。会いたかった……。九龍……」
「……何か、心配して損した気分…………。──俺だって、会いたかった。すっごくすっごく会いたかった。……甲ちゃんっっ」
心配なんかしてやるんじゃなかった、と雄叫びながらも、九龍も彼を抱き返した。
「ホントだかんな。ずーっとずーっと、会いたかった。も、寂しくって寂しくって仕方無かったんだからな」
「俺もだ。寂しいなんて気持ち、初めて感じた。一人でいることになんか……誰も傍らにいないことになんか、慣れ切ってたのに。どうとも思ったことすらなかったのに。お前がいないだけで……」
会いたかったとの囁きも、寂しかったとの囁きも、縋って来た腕も、酷く暖かく、甲太郎は心地良く感じた。
膨れ上がっていた、悶々とした気持ちが、すっと掻き消える程。
たったこれだけのことで、何と現金な話だろう、と自分で自分に苦笑しつつ、でも、今はこれでいい、これだけでいい、と。
下らぬ、後ろ向きのことなど考えず、九龍が聞かせてくれる言葉、その腕の暖かみ、それだけを信じよう、それだけを現実と受け止めよう、と彼は心に誓って、きゅっ……と音がするまで九龍を強く抱いて、大して広くもないその部屋のベッドの一つに、崩れるように倒れ込んだ。
「九龍……九龍っ」
「あの……、こーたろさん? そのー、いきなりは、ちょーーーっと恥ずかしいと言うか、心の準備が足りないと言うか。それにー……」
「……それに、何だ? 相変わらずうるさい口だな」
「悪かったな。……ええと、さ。このまま行くと、ベッド一つしか使わないですー、ってことになっちゃって、それは、明日の恥に繋がるかと思われますんで、出来れば、そのー……」
「それが、どれ程のことなんだ? こういう時に、『旅の恥は掻き捨て』って言葉を使わずに、何時使うんだよ」
抱き竦められたまま横たわる羽目になったベッドの上で、ぶつぶつごにょごにょ、照れ臭そうに九龍は建前を並べ立てたけれど、弱気な建前は簡単に、甲太郎に一蹴されて。
「そか。……それもそうだ。うん」
開き直ったのか諦めたのか、えへら、と顔を笑み崩した九龍は、甲太郎の首に両腕を絡ませ、自らキスをねだった。
「久し振りなんだから、優しくしてくんなきゃ泣くぞ?」
「努力『は』、してやる」
その、冗談めかした一言が余計だと、片眉を持ち上げ口許を軽く歪め、甲太郎は、組み敷いた彼の襟元に、指を伸ばした。