御免ね、と月魅がこれ以上何かを気にせぬように軽く詫びてから、九龍達は境内に踏み込んだ。

皆神神社は、三人が想像していたよりも広く、境内には社の他に、黒山椒魚の生息している沼もあり、少し予想外だと、彼等は皆、思わず、の態で、ふうん……、と周囲を見回す。

「皆守さんっ。境内で煙草を吸うつもりですかっ!?」

「煙草じゃない」

足を留め、物珍しそうに視線を彷徨わせつつ、ポケットからジッポのライターを取り出した甲太郎を月魅は咎めたが、彼が銜えたのは、アロマのパイプだった。

「お。健在だ、似非パイプ」

「……まあな」

「昨日再会してからここまで、甲ちゃん、一回もそれ銜えなかったから、止めたのかと思ってた。前程は、ラベンダー臭くないし」

「その…………。すっぱりも止められなくて。かと言って、日がな一日銜えてる気にもならなくてな。何と言うか……、未だに『悩み中』と言うか」

「いいんでない? 別に、無理してまで止める必要は無いと思うし、時間掛けて止めたっていいんだしさ」

一服するのしないの、アロマ同盟がどうのこうの、冗談めいたことを言いながら、さらり、九龍と甲太郎はそんなやり取りを交わし。

九龍は一ヶ月振りに嗅いだ、甲太郎は二日振りに漂わせた、『少しばかり懐かしい』ラベンダーの香りと共に、彼等は境内奥へと進み、途中の石段で今度は、天香学園のスカーフ留めを拾った。

「スカーフ留め……。…………おかしいですね」

「え? 月魅ちゃん、何が?」

「それは、間違いなく八千穂さんの物だと思います。でも……、天香学園の制服のスカーフは、結ぶのではなく、それで留めてあるだけですから、何かの弾みで落としたら、直ぐに気付く筈です。留めていなければ、スカーフが胸の前で広がってしまいますから」

「……成程。セーラー服常時着用の女の子だから判る事情って奴ですな」

「八千穂さんは、ここに、『面白そうだから見学する』、それだけの動機で向かったんです。落としたスカーフ留めを拾えない程、急ぐ理由はありません。この場所で、八千穂さんが何かを急ぐとしたら、バスか電車の時間に間に合わないとか、そういうことの筈です。でも、彼女が行方不明になったのは、帰り道ではありません」

甲太郎が拾い上げたスカーフ留めを見遣り、月魅は、それがそこに落ちているのは納得いかない、と言い出し。

「まさかとは思いますが……、さっきの生徒手帳も、このスカーフ留めも、誰かがわざと残したんじゃ……」

彼女は、戸惑いながら、小さな声で呟いた。

「何の為に? 俺達をおびき寄せる為に? ……その可能性がゼロとは言えないけど……、明日香ちゃんがここに来ようと思ったのは、偶然だからなあ……」

「縦しんば、誰かがわざと痕跡を残して、俺達を誘っているんだとしたら、プロの《宝探し屋》と、そのバディの力を見せてやるさ」

「おっほ。甲ちゃん、ナイス発言。その通り。くっだらない、馬鹿なこと考えてる奴がいたら、存分に、思い知らせてやりましょー」

「ま、兎に角、だ。行こうぜ。この道の先へ」

だが、だとするなら、目にもの見せてやればいいと少年二人は言い切り、社の奥へと進んだ。

「何だか…………」

「うん。奥に進むに連れ、空気が冷たくなってる」

「木陰だからって訳でもなさそうだな」

「氣が違うと言うか。理由は判りませんけど」

奥へ奥へと踏み込むに従い、少しずつ、体感温度が低くなって行くのが判り、「確かに今は二月だけど……」と、三人は思わず顔を見合わせる。

「うおっっ!?」

と、そこでいきなり、九龍の携帯が鳴り出した。

「えっ、えっ、えっ? 誰々? この番号、誰っ?」

「試しに出てみろ」

慌てて取り出し、開いた携帯の液晶画面には、見慣れぬ番号──要するに、メモリーに登録されていない相手の番号が浮かび上がっていて、首を傾げながら、九龍は電話に出てみた。

「もしもし?」

『私だ、瑞麗だ』

「へっっ? ル、ルイ先生?」

『皆神山に付いて、面白い情報があるので、それを教えてやろうと思ってね。──皆神山には、その昔、複数の神が降りたという伝承が残っている。村人達に卓越した技術や道具を伝えたと言われていて、あの山の地下にあるという巨大な空洞も、天から降りて来た神々によって齎されたものだそうだ。中々、面白いだろう?』

「天から降りて来た、神々、ですか…………」

『そうさ。《天御子》のような、ね。──松代群発地震の折、当時の通産省地質調査所の調査で、皆神山の中心部は若干重力が少ないことが判明していて、そのことから、皆神山の地下には、縦三千メートル、横千六百メートル、深さ四百メートルの、楕円形空間が存在する、という説が浮上した。昔からの伝承通りに、な。松代群発地震は、二年間で有感地震七万回を越え、一日辺り三百から千回の地震が発生した。内、震度5が九回。群発地震全ての総エネルギーは、マグニチュード6.4に相当する。震源地の殆ど全てが、皆神山の真下三キロから五キロで、火山でない皆神山が何故震源となったのか、未だに結論が出ていない。地下水脈の影響による岩盤の破壊説等、あるにはあるがな。だが、別の地質調査では、皆神山の地下に、水源や水脈は存在しない、との結論が出ている。そして震源分布図は、まるで、山そのものが鳴動している、と言いたくなる代物だ。更に付け加えるなら。松代群発地震に絡むと言われている地震は、未だに、年三十回は起こる』

「……成程。…………『怖い場所』ですな。でも、まあ今回は、明日香ちゃん探し出すのが目的ですんで。深入りはしませんよ」

『そうだな。皆神山には、隠された秘密があるのだろうが……、今は一刻も早く八千穂を探し出して、東京に戻るといい。……ではな』

──電話を掛けて来たのは、瑞麗だった。

彼女は、どうして? と戸惑う九龍を他所に、皆神山のことを語り、言外に、気を付けろ、と匂わせ電話を切った。

「誰からだ?」

「ルイ先生。…………俺、この番号、未だに甲ちゃんと兄さん達以外にはバラしてないのに、何でルイ先生、番号知ってたんだろー……」

「……相手は、只のカウンセラーじゃないからな。──で、何だって?」

「大昔、何人かの神様が天から降りて、あの山に穴掘ったって、《天御子》の話によく似た伝承のある、その伝承通りに中が空洞っぽい、山そのものが四十年前から鳴動し続けてるような、隠された秘密のある、『おっかない場所』なんだってさ、ここ」

通話の終わった携帯を見詰め、うーむ、と唸りつつ九龍は、M+M機関のエージェントな彼女に教えられたことを伝え。

「隠された秘密……か。……確かに、この山では何が起こっても不思議じゃない」

「そうですね。新宿の地下に、あんな、超古代文明にまつわる遺跡があったんですから、この山が同じような遺跡だとしても、私は驚きませんよ」

甲太郎も月魅も、そっと頷いた。

「《天御子》の遺産……か。言われてみれば、ピラミッド伝説に異星人の話。天香遺跡と符合する部分は多いな。もしかしたら、ここも……」

「ま、それならそれで、俺は構わないし? 今日は、明日香ちゃん探すのが最優先だけど、挑んで来られたら挑み返してやる」

「熱血迸らせてんな、馬鹿。……っと」

「きゃあっ!」

「又、地震か……」

深刻な顔付きになった二人に、九龍が熱血を振り撒いてみせた時、又、『地震』が起こり。

「急ごう」

事も無げにそれをやり過ごした甲太郎は、恋人を振り返り、ほんの少しだけ笑みを浮かべると、社の奥へ続く小径に向き直る。

「…………? 甲ちゃん? 何か急に、機嫌良くなったんでないかい?」

「気の所為だろ」

「そっかなー…………」

「……九龍さん。言うのは多分、野暮だと思いますよ」

何故、ここでそんな微笑み? と背を向けてしまった彼を九龍が訝しめば、こそっと、月魅が耳打ちして来た。

「へ? 月魅ちゃん、なして?」

「だって私、九龍さんが、携帯の番号を他には教えてないって洩らした時、皆守さんが一瞬、凄く嬉しそうな顔したの、見ちゃいましたから。相変わらずお二人は、とても仲が良い親友同士なんですね」

「えっ? あ、ああ、うん! 俺と甲ちゃんは、絶好調親友!」

小声で『目撃談』を打ち明け、無邪気な感じで、『親友』と言った彼女に、声を詰まらせつつ九龍は誤摩化し笑いを浮かべ、先行く甲太郎の後を追った。