『穴の底』にて感じた嫌な視線を、再び九龍は感じた。

「ん…………。だ、れ……?」

そんな風に俺を見下ろすのは誰だ、と彼は身を捩って、何とか起き上がり。

「あれ…………? うっそ……」

やけに明るい、と四つん這いになって頭を振りつつ辺りを見回した彼は、そこが、例の枯井戸の脇だと知って、瞳を見開いた。

「又、誰かに運ばれた……? って、甲ちゃんっ。明日香ちゃんっ。月魅ちゃんっ」

が、疑問は一先ず後回しにし、もっともっと強く頭を振って、彼は、己の目の前に倒れていた甲太郎達を揺り起こす。

「九……ちゃん……? ここは…………」

「あ、良かった。気付いた……。甲ちゃん、大丈夫か?」

「ああ。一寸くらくらするくらいで……。……それよりも、どうして俺達は元の場所にいるんだ……?」

掛かった声に、最初に意識を取り戻したのは甲太郎で、怠そうに起き上がった彼は、九龍同様、己達のいる場所に驚き唖然となったが、返せる言葉はないと、九龍は唯、肩を竦めた。

「う、うーん…………」

「痛……。……ええと、ここ……」

そうしている間に、明日香も月魅も目覚め、やはり、どうして? と二人の少女は不思議がったけれど、少年二人には、判らない、としか言えず。

「今、何時だ?」

「……午後四時になる処……ですね。私の時計では、ですけど……」

「そっか…………」

「こうしてても仕方無いから、帰ろう。確か、境内の方の看板のどれかに、タクシーの電話番号書いてあったよね? 急がないとヤバいからさ、タクシー呼んで、駅まで連れてって貰って。……東京に帰ろう」

「そうだな……」

「……ええ」

「うん……」

気を取り直す風に言い出した九龍に促されるまま、彼等は制服に着いた土埃を払いつつ立ち上がり、文字通り、追われるように皆神山を後にした。

辿り着いた松代駅で、折良くやって来たローカル線に乗り込み、一行は東京への帰路に着いた。

その方が近いので、長野駅ではなく上田駅を目指して乗った屋代線の車内の座席に腰下ろしたら、明日香と月魅は大分落ち着いたのか、「八千穂さんが無事で良かったです」とか、「心配掛けて御免ね」とか、そんなやり取りを笑いながら始め、だが、甲太郎と九龍は厳しい顔付きで、車窓の向こう側を流れて行く、皆神山へと眼差しを注ぐ。

「八千穂は見付かったんだ、一件落着って奴なんだろうが……」

「そうだね。明日香ちゃんは無事だったし、俺達も、ちょーっと不思議体験はしちゃったけど、怪我一つなかった。だから、そういう意味では事件解決だけどさ……。……甲ちゃん。あの空洞──地下道、何だと思う?」

「…………古代からある回廊や玄室かも知れない。戦時中に造られた地下壕かも知れない。真相は……解らない」

「あの、『時間経過』の不思議は何なんだろう。……例えばあそこが、甲ちゃんが兄さん達に引き摺ってかれてる真神学園の旧校舎みたいな、不思議空間だとするじゃん? だったら、時間の流れが外界とは異なるから、明日香ちゃんの体感──あそこでの一時間が、外界での二日に相当してても、まあ、納得はするけど。だとしたら、俺達があそこで過ごした一時間近くの間に、外界では更に二日、時間が経ってなきゃおかしい。でも、あそこでの一時間の間に外界で流れた時間は、同じ一時間だった。何がどうなれば、そんなことが起こり得るんだろう。……それに…………」

「……それに? 何だ?」

「…………ううん。何でもない」

少しずつ、少しずつ、小さくなって行く皆神山を見詰めながら、二人は小声で語り合い。

途中で、九龍は言葉を飲み込んだ。

何故、彼が続きを語ること止めたのか、甲太郎にも薄々想像は付いたが、敢えて、彼は先を問わなかった。

彼も又、地下道で、枯井戸の脇で、失った意識を取り戻す直前、表現し難い気配と視線を感じていたから。

九龍の、「それに……」に続くのは、そのことかも知れない、と思ったが故に。

「皆神山。神の御名を冠する山、か……」

互い、紡ぐ言葉を失った時、丁度、電車は緩いカーブを描き、車窓から皆神山が消え、甲太郎はそれを切っ掛けとして、窓辺より視線を外したが。

九龍は何時までも、見えなくなった皆神山の方角を見据えていた。

「九ちゃん?」

「…………あ。何? 甲ちゃん」

「どうかしたのか?」

「……何でもないよ。…………うん。何でもない」

頑とも見えたその態度を訝しみ、声を掛けた甲太郎に九龍が見せたのは、誤摩化しだ、と甲太郎には一目で見抜けた笑みと、濁す為の言葉だった。

「おい、九──

──あーーー、落ち着いたらお腹空いて来たーー。上田駅着いたら駅弁買うぞ、甲ちゃん!」

「お前、又それかよ…………」

「うんっ! かーまーめーしー!」

「……好きにしやがれ……」

「甲ちゃんは?」

「カレーがあったら考えてやる」

これ以上、隠し事をするなと言い掛けたそれも、何時もより少しばかりオーバーな能天気声に阻まれて。

追求を諦め、馬鹿騒ぎに乗る振りをして、甲太郎はそっと、溜息を零した。

上田駅に着き、次の東京行き新幹線の発車時間を確かめるや否や、「駅弁買って来るっ!」と九龍はダッシュで駅構内を駆けて何処へと消え、甲太郎達三人は、待合室で待ち惚けを喰らわされる羽目になり、ギリギリになって、四人分の駅弁だの茶だのが入っているらしい大きな袋を下げて戻って来た彼を、甲太郎はホームへと蹴り込んでやった。

痛いとか愛が無いとか、みーみー九龍は泣き真似をしたが、情けを掛けてやるつもりなど甲太郎には更々なかったので、延々、小突く風に、滑り込んで来た新幹線に乗るが乗るまで蹴り続けてやり、明日香や月魅は、本当に二人は相変わらずだと笑い転げ、やっとの思いで落ち着いた座席で、そこそこ旅情のある食事をしながら暫くは賑やかに過ごしていた彼等は、やがて、一人一人、眠りに着いた。

寄り添いながら眠る仔猫のように、少女達が頭をくっ付け合って寝てしまったのを幾度か確かめ、えへー、とにやけつつ九龍は甲太郎に凭れて懐いて、でも、そのままの姿勢で『H.A.N.T』を取り出し何処かへとメールを打ってから、やはり、寝てしまった。無論、甲太郎も。

そんな四人が乗り込んだ、午後六時台前半に上田駅を出た新幹線が、東京駅に着いたのは午後七時半過ぎで、下車するや否や、このまま、羽田に行かないと、と残念そうに言い出した九龍に、明日香が、「羽田まで一緒に行く!」と主張したので、一同はそのまま羽田空港へと向かい。