「と、まあ、そういう訳でなー……」

「皆守君には申し訳ないと思ったんだけど、警察呼ばれるよりはいいかなー、と思ってさぁ……」

「…………………………あの粗忽者……っ!」

──鳩が豆鉄砲を喰らった表情で、ひたすら黙ーーー……って京一や龍麻の声に耳傾けていた甲太郎は、ギリギリと盛大な音立てつつ似非パイプのマウスピースを噛み、怒り心頭の呻きを吐くと、ガンっ! とドアを蹴り開け、車から飛び出た。

「あ、おいっ。甲太郎っ!」

「……皆守君、頭に、血、上っちゃったっぽいかな?」

「多分な。……って、惚けてる場合じゃねえ」

「お、そうだ。追い掛けないと」

目を瞠る速さで正面玄関へと駆けて行った甲太郎を、「あーあ……」と勢い見送ってしまってから、ああ、そんな場合じゃなかった、と京一と龍麻は後を追い掛けた。

卒業証書入りの筒を何故か二本抱えている、制服の左胸に卒業生であったことを示す造花を付けたままの、怒髪天を突く勢いの高校生に、迫力満点に迫られて、あからさまに怯えた受付の者に教えられた病室へ、甲太郎は足早に向かった。

「頼むから、これ以上騒ぎ大きくすんなよ?」

「こうなっちゃったのは、不可抗力って奴だからさ。ね?」

ぐらぐらという音が聞こえて来そうなくらい、怒りで血を沸騰させているのが手に取れる甲太郎に追い付いた京一と龍麻が、両脇から彼を挟み、まあまあ、と宥めても、焼け石に水にしかならず。

「九龍っ! こっの……粗忽者の激馬鹿っ!!」

辿り着いた病室の扉を開け放つや否や、彼は、腹の底からの大声で怒鳴った。

「あああああ! 甲ちゃんっ! 御免、御免、御免っ! ほんっと御免、御免なさいっっ!!」

「許せる訳がないだろうがっ!」

「謝るからっ! 勘弁してっっ。後生だからっ!!」

ベッドの上の九龍を取り囲んでいた看護師や医師達が、余りの大声に、何事だ? と不躾な視線を寄越すのも無視し、つかつかと大股で歩いた甲太郎は、その人垣を掻き分け、彼が入室して来た途端、ふぇぇぇ……、と泣きべそを掻きながら喚き立てた九龍の胸倉を掴み上げる風にして、捲し立て返した。

「うぇぇぇぇぇ……。も、ギリッギリだったんだよぉぉぉぉ……。連絡してる時間も無くてさ、明け方、やーーーっと全部終わって、慌てて飛行機飛び乗って、連絡するより直接向かった方が早い! とか思って新宿駅でダッシュかましてたら、おばあちゃんにぶつかりそうになって、避けたらエスカレーター真っ逆さまに転がり落ちちゃってさー……。どうしても、卒業式出たかったんだよぅ……。約束破りになっちゃって、御免、甲ちゃん……」

「だからって、こんな騒ぎを引き起こす馬鹿が何処にいるっ!」

「だってー……。うぇー、甲ちゃーん…………」

「ったく…………っ」

病室で騒ぐのは止めて下さいと、医師や看護師達に口挟ませる間も与えず、青年達にも割り込ませる隙を見せず、甲太郎は叱り飛ばし続け、九龍の泣きべそが本泣きになり始めて漸く声のトーンを落とし、ぐったりと肩を落とした。

「あ、の………………」

罵り声と泣き声の応酬が途切れて、やっと、そろ……っと初老の医師の一人が甲太郎へと声を掛けた。

「何か?」

「君は?」

「…………皆守甲太郎」

「え? もしかして……皆守院長の息子さん?」

短い言葉で氏素性を問うて来た相手に彼が名を告げれば、長くここに勤めているらしい、甲太郎には見覚えがあったその医師は、彼が、病院長の『噂の』一人息子だと気付き。

「そうだ。──こいつは、俺の同級生だ。真っ当な奴だってのは、俺が保証する。文句があるんだったら、病院長に直接言ってくれ」

厄介な相手が、と言わんばかりの気配を漂わせた男へ、感情の籠らぬ、一切の抑揚を排除した声で伝えると甲太郎は、ベッドの脇に放り投げられる風に置かれたままの、九龍の荷物を取り上げた。

「それから。こいつはここには入院させない。以前から、こいつが世話になってる所があるから、そこに搬送する手続きと手配を取って貰いたいんだが」

「え? だが、それは──

──俺がそう言ってると、あの男に言えばいいだろう? ここでは、それで全て解決するんじゃないのか?」

数時間前、救急車で運ばれて来たばかりの、偽造パスポート所持の疑いが掛けられている、緊急入院が決定した患者を、転院させる、と無表情のまま言われ、初老の医師は渋い顔で反論し掛け、でも、甲太郎はそれを、呆気無くばっさり切って捨てた。

「京一さん、龍麻さん。すまないんだが、『あそこ』まで付き合ってくれないか?」

「うん。そのつもり」

「判ってるって」

そのまま、自分達を取り巻き続ける医師や看護師達にはどんな興味も失くした風に、甲太郎は青年達と話を進め。

「……えっと、甲ちゃん……?」

「うるさい。お前が口を挟む余地は何処にもないと思え。……九ちゃん? 説教が終わった訳じゃないからな。…………覚悟しとけ」

いいのかなー……? と怖々上目遣いで見遣って来た九龍を、ギロッと鋭く睨み付けて、彼は一人、病室を出て行った。

甲太郎が言った通り、そこでは、病院長の言葉や判断が絶対のようで。

職員の誰一人、御注進、とは出来ないらしい病院長にとって、様々な意味で不幸なことに、もう三年も会っていない一人息子は、未だに引き摺っている亡き妻への行き場のない感情が抱かさせる『八つ当たり』と、或る種の怯えの対象で、血の繋がった実の親子であるにも拘らず、病院長は息子に関わることを可能な限り遠ざけて生きており、又、彼にとってのそういう対象は、たった一人の実子であるが故に、何があろうとも世間から覆い隠してしまいたい『恥部』でもあったので。

甲太郎の言い分も申し出も、薄気味悪い程すんなり通り、彼が病室を出て行ってより三十分程が経った頃には、甲太郎自身も九龍も京一も龍麻も、『あそこ』──桜ヶ丘中央病院へと向かう搬送車の中にいた。

「甲ちゃん……、その、御免な?」

「言い訳も詫びも、後で聞く」

「でもー、さ、そのぅ……。俺がこんなことになっちゃった所為で、甲ちゃん…………。本当は行きたくなかった所で、したくなかった思いしちゃったんじゃないかな、と……」

横たわったストレッチャー毎乗せられた搬送車の中で、しょんぼり、所在な気に九龍はボソボソ言い出す。

「そんなこと、お前が気にすることじゃない」

ボソボソを、甲太郎は素っ気ない声と言葉で蹴り返し。

「…………二人共、そこまで。葉佩君は怪我人なんだし、皆守君は未だ頭に血が上ってるんだから、それこそ、又後で、にした方がいいよ。余分な言い合いしたって仕方無いだろう?」

このままじゃ、要らない波乱の訪れを迎えてしまうかも、と龍麻が間に割って入り、双方を黙らせたので、搬送車の中には沈黙が下りて、それ以降、桜ヶ丘に到着するまで、誰も、何も喋ろうとはしなかった。