東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編

『朝、時折』

未だ、午前七時半になろうかなるまいか、と言う時刻だと言うのに、彼、緋勇龍斗は、そわそわと落ち着かぬ風だった。

のんびりとした手付きで支度を進める、同居人で連れ合いの、やはり『彼』、蓬莱寺京梧の方を、卓袱台の前に腰下ろし、湯飲み茶碗を手にしつつもチラチラ見遣り、「早く支度を整え終えろ」と、無言の圧力さえ掛ける程。

……だが、まあ、それも無理からぬのかも知れない。

その年──二〇〇五年の三月末日、『とてもとても遠い所』から、現代の東京へとやって来た彼が、長らく分たれていた連れ合いの『彼』と無事の再会を果たし、約一ヶ月近くが経った四月下旬のその日は、一言で言えば擦った揉んだの果てに縁を持った己達の子孫の緋勇龍麻と蓬莱寺京一の二人が、漸く新しい暮らしにも慣れ始めて、ゆとりも得始めた『現代初心者』な龍斗を、東京見物に連れて行ってやる、と約束してくれていた日だったから。

故に、彼の頭は、目覚めた時から既に、龍麻や京一が話してくれた物見遊山の予定へと飛んでおり。

『はとばす』と言う乗り物は一体どんな風なのだろう、とか、皇居──かつての江戸城は、どんな風に変わっただろう、とか、今は隅田川と名を変えたらしい大川を、又、舟で下れるなんて、とか、浅草は、昔通りの賑やかさだろうか、とか、そんなことにばかり、繰り返し繰り返し思いを馳せていた彼は、一刻も早く、子孫達との待ち合わせ場所の、新宿駅・西口バスターミナルに赴きたくて仕方無かった。

ともすれば、余り興味無さそうに、さも、付き合い、と言わんばかりのトロさで支度をしている京梧を、置き去りにしてしまいそうなくらい。

尤も、新宿駅・西口バスターミナル、と言われても、それが何処やら、何が何やら、龍斗にはさっぱりだし、家を一歩出た瞬間から迷子になる質の彼が一人で出掛けた処で、無事、目的地に辿り着ける筈も無いので、京梧の支度が整うのを待つしか、彼には術がなく。

「京梧? 未だなのか?」

とうとう、我慢出来なくなったらしい彼は、言葉で連れ合いを急かした。

「もう直ぐ終わるから、大人しく待ってろ。……っとに、何がそんなに楽しいのかねぇ……。大川だろうが浅草だろうが江戸城だろうが、この先、行こうと思えば幾らだって行けるってのに」

が、急かされても京梧は、ひょい、と肩を竦める以上のことはせず、畳の上の博多献上の角帯を、足の爪先に引っ掛け持ち上げる。

「それとこれとは別だ。折角、龍麻と京一が、見物に、と言ってくれたのだし」

光の当たり加減によって、焦げ茶にも紫にも見える帯を、立ち上がり、卓袱台から離れた龍斗はするりと受け取って、至極当然のように絞めてやりながら、軽く、膨れっ面をした。

「判ったから、んな、子供みたいに拗ねるんじゃねぇよ」

そうやって身支度に手を出されるのを、こちらも至極当然のように受け入れつつ、きゅっと、正絹独特の耳障りの良い衣擦れの音をさせながら締まった帯の、具合を確かめる風に、ポン、と腹辺りを叩いてから、京梧は彼を振り返った。

「私は別に拗ねている訳ではない。そうではなくて、唯──

──だから、判ってるっつったじゃねぇか。くどくど言うなって」

「なら、良いけれども。お前は、それ程楽しみではなさそうだから……」

「そんなこたぁねぇぞ。ま、正味の処、俺にしてみりゃ、今更東京見物もへったくれもねぇが、お前は楽しみなんだろう?」

「ああ。龍麻達に誘って貰った時から、ずっと楽しみだったのだ。やっと、あちこち見て回れるし、昔は見知った場所だった所が、どう変わったのかも気になるし、それに、あの頃は馴染みだった『皆』にも、本当に久方振りに会えるかも知れないと思うと、少しばかり、心の臓が早くなるくらいで」

「……はいはい…………。餓鬼共以外の連中もいるから、『皆』と喋り倒すのも程々にしとけよ」

「それは、私とて弁えているけれど……、けれど……ちゃんと、そう出来るかどうかと言われると、余り自信が…………」

身を返した京梧を見上げる龍斗の面は、隙なく、好奇心と期待に溢れていて、が、少々の苦笑を浮かべつつの京梧に、気持ちは判るが、『昔馴染み』との『親睦』は程々に、と釘を刺された途端、百面相が始まって。

小さな子供のように、くるくると表情を移していく龍斗をじっと眺め下ろした京梧は、浮かべたままの苦笑を深めた。

……けれども、彼の、例えるなら遠足に出立する直前の『お子様』を見詰める如くの、若干呆れの色が忍ぶ眼差しは、次の刹那、苦しそうに歪んで、が、その次の刹那には、嬉しそうに細められ、さらさらと、優しく崩れる。

「京梧?」

忙しなく百面相をしながらも、京梧の眼差しの移り変わりをちゃんと見ていた龍斗は、どうした? と改めて彼を見上げ、

「……んー? 何つぅか……」

柔らかく崩した眼差しのまま、間延びした、何処となくだらしのない声で応えながら、京梧は、龍斗へと両腕を差し出し、ぽすりと抱き締めた。

「急に、どうしたのだ」

「ひーちゃんは、あの頃と変わらねぇな、と思ってな。……本当に、あの頃のまんまだ…………」

徐に抱き竦められ、龍斗は訝しみを深めたけれども、京梧は、彼の戸惑いになど頓着せず、腕にした彼の髪に、頬を寄せた。

「変わり様はないと思うが?」

「……ああ。変わり様なんざねぇし、変わる訳もない。でもな、そいつがいいんだよ。少なくとも、今はな。────……この一月近く、バタバタし通しで、しみじみする隙も早々はなかったが、ここの処、今みたいに、あの頃のまんまなお前のザマを見てると、時々、急に来るんだ」

「来る? 何が?」

「何つぅか……、込み上げて来る、みてぇなモンが。……あの頃のまんまのお前が、あの頃のまんま、俺とこうしてくれてるってのは、幸せっつぅか、有り難てぇっつぅかだな、って気持ちが、急に来やがる」

「……そうか」

「ああ。……幸せで、有り難くって。お天道様が昇る度、何遍でもお前に惚れ直せる」

「……それは、私もだ。あの頃のように、何時でもお前が傍にいてくれて、幸せで、有り難くて、お前を見ているだけで、私がどれだけお前を恋しがっているか、何度も思い知る」

「…………成程。そいつは確かに、お互い様だ」

腕にし、頬寄せた彼に、つらつらと、不意に覚えた衝動に似た想いを京梧が告げれば、似たようなことなら自分も考えている、と龍斗が返したから、彼を抱く京梧の腕は、微かに揺れた。

「あーー……。……なあ、ひーちゃん?」

「今度は、何だ?」

「出掛ける気が失せちまった」

「何故?」

「そんなん、決まってるじゃねぇか。未だ、朝の内だが──

──このような刻限から盛ってどうする、京梧。私は出掛けたい」

「……ま、言うだけ無駄だと、判っちゃいたけどよ……。──ほんじゃ、行くとするか」

「そうだな。急がぬと、龍麻達を待たせてしまう知れない。…………ああ、そうだ、京梧」

「ん?」

「戻って来てから、なら」

力が籠り過ぎた、揺れる腕で連れ合いを深く抱き直したら、今度は、不埒な想いが込み上げてきたのだろう。

首を縦には振って貰えぬことなど承知していたけれど、少々、京梧は駄々を捏ねて、思った通り、龍斗より否を返されると同時に、腕を解いたが。

寄り添っていた身を離す寸前、龍斗が、楚々とした声で、当たり前のようにそう告げてきたので、緩い弧を描く彼の頬を、京梧は指の背でひと撫でしてから、ふいっと、左手を、やはり彼の方へと差し出した。

それは、この約一月の間に彼に染み付き始めた仕草の一つで、差し出された手に、龍斗は、直ぐそこに立て掛けてあった『中身』入りの刀袋を握らせてから、卓袱台の上に置いておいた、部屋の鍵を取り上げる。

「……未だ、のんびり行っても間に合う、な」

「そうか? なら、暫し、散歩気分で行くとしようか」

龍斗が、掌の中に小さな鍵を握り締めるのを横目で見遣って、序でに時計も見遣って、帯と共に畳の上に放り投げておいた羽織を京梧も手にした。

「そのように扱ったら、皺が寄ってしまうだろうに」

手にしたそれに袖を通すでなく、だらしなく肩に引っ掛け、玄関へ向き直った彼に従いながら、龍斗は咎める風に。

「んなこと、気にすんなって」

「私は気になる」

「何で」

「私が付いていながらと、龍麻や京一に思われるかも知れない」

「…………ひーちゃん。お前だって、俺の嫁って訳じゃねぇんだから、誰もそこまで言わねぇぞ……?」

「……? 私がお前の身形みなりを気にすることと、嫁と、何の関わりがあるのだ?」

「それはそうだがよ……。……ま、いいか……」

────片方は草履を、片方は靴を突っ掛けて、揃って小さなその部屋の玄関を潜った彼等は、恐らく、酷く賑やかになるだろう物見遊山へと出掛けて行った。

町中の桜が満開になったあの日の夜に、『遠い遠い昔』に交わした誓い通り、再びの巡り逢いを果たしてから。

朝が来る度、時折。

再びの巡り逢いを果たしたひとが、遠い遠いあの頃のまま、あの頃のように、己の目の前に在って、そして、己に寄り添ってくれていることを、この上もない幸と感じる刹那を迎える。

そんな幸を感じられることを、有り難く感じる。

……そうして。

その全てを与えてくれるひとに、惚れ直す。

幾度となく。心から。

その上で、又。

この上もない幸を感じ、そんな幸を感じられることを、有り難く感じ。

時折だけ、振り返る。

『遠い遠い昔』の自分と、みぎわに佇んでいた、あの頃の自分を。

『遠い遠い昔』も、汀に佇んでいたあの頃も、この一月で随分と遠くなったことを。

────この日々が、この生が、良いことなのか悪いことなのか、赦されることなのか赦されぬことなのか、恐らく、この生涯を費やしても解りはしないだろうけれど。

天上から見遣れば、きっと、この世の理を覆しているとしか見えぬのだろうこの生の中で、繰り返し、繰り返しやって来る朝。

時折、俺は。

End

後書きに代えて

現代で二人して暮らし始めてから、一ヶ月弱くらいが経った頃の、うちのご隠居さん達。

』と言う話で、初代・剣術馬鹿な彼を、ちょっぴりだけ苛めたので(笑)、今回は、ちょっぴりだけ良い想いを、と思ったんですが、京梧、あんまりいい想いはしてないかも知れない。

……この先祖達と、あの子孫達と言う組み合わせで、はとバスの東京見物ツアーなんか出掛けて、大丈夫なんだろうか。真面目に不安(笑)。

あ、尚、この話、上記でも出ました『汀』と言う話と、或る意味、対です。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。