龍斗と龍麻が帰宅してから、一時間程が経った。

先祖と子孫な緋勇一族が不在だった間は、薬の類いは余り効かない龍麻よりも、龍斗は尚、薬などは効かない体質かも知れない、と一抹の不安を見せていた酔っ払い達三名だったが、次第に、そして秘かに、一瓶分仕込んだし、幾ら何でも、そろそろ効いてきてもいい頃なんじゃ……、と固唾を飲み始めた。

しかし。

待てど暮らせど、龍斗の風情は変わらなかった。

酒でなく、水か白湯を飲み干している風にカパカパ猪口を空けながら、本日の散歩のお相手だった熊五郎のことや、散歩の途中で行き会った精霊の皆さん各種のことを、龍麻や、漸くうたた寝から覚醒した九龍相手に、あーだこーだと語り続けるばかりで。

「……まさか」

「足り……ない、のか……?」

「…………幾ら何でも」

態度も口調も表情も、常に等しい彼の様子を盗み見、未だにどうしようもない酔っ払いのままな『旦那衆』三名は、僅か、唇の端を引き攣らせる。

「足りない? 何がだ、京梧。……ああ、酒か? 本当に、好きだな、お前も」

が、彼等の小声の呟きが何を意味しているのか知る由もない龍斗は、何時如何なる時でも耳朶に届く伴侶の言葉を酒の催促と誤解し、再び、一人台所へ向かった。

「龍斗サン、どんな薬も一切効かない、なんてことはねえ……よな?」

「それはない……筈だ。江戸の頃も、こっちに来てからも、龍斗が『普通の薬』を飲んでる処なんざ、終ぞ、お目に掛ったこたねぇが、霊薬の類いは、あいつだって使ってたし、効いてた」

「……なら、単に量が足りないのかも知れない。少し、信じ難い話だが」

彼の姿が視界から消えた途端、京一と京梧と甲太郎は、再び頭を付き合わせてゴニョゴニョを始め、

「京一? 何か企んでる?」

「何々? 甲ちゃん、何の話?」

あ、何か不穏な感じ、と龍麻と九龍も三人のゴニョゴニョに首を突っ込んだ。

「………………あー……。……実はな、ひーちゃん……────

──…………えっ。あれを一瓶っ!?」

「えええええ!? マジでっ!?」

故に、騒ぎが起こった後に叱られるよりは、今の内に叱られた方が未だましか? と渋々、京一が己達の魂胆を白状し、訳を知った龍麻と九龍は、はあ!? と目を見開く。

「うーん…………。龍斗さん、何も彼も普通じゃないっぽいから何とも言えないけど、甲太郎が言ってたみたいに量が足りないだけなんじゃ? どうせ効いてないんだから、もう一寸飲ませてみるってのも手かも」

「……ですな。──と言うか! 幾ら相手が龍斗さんでも、あれが効かないなんて俺のプライドが! プライドが許さない! …………と言う訳で、もーちょーっと盛っちゃえ」

「…………盛大にいっとく? 二瓶分くらい」

「ラジャーです。景気良くいっちゃいましょー」

けれども、ケロっと驚きを引っ込めた龍麻と九龍は、ターゲッティングされているのが己でなければ関係ないしー、と、悪ノリしてしまった風に、とぷとぷ、それぞれ一瓶ずつ握り締めた媚薬を、「龍斗さんだって、少しくらい『あっち』の方も人並みになった方がいい」とか何とか、建前以外の何物でもない言い訳を口にしながら、未だ半分程中身が残っていた徳利に注ぎ込んで空っ惚けた。

「…………………………。……もう一瓶、残ってるよな。シショー、飲んどくか?」

「……何で、俺がそんな物飲まなきゃならねぇんだ、馬鹿弟子」

「俺も勧める。万が一、『あれ』が全部効いたら、多分、京梧さんの『被害』の方が大だ」

仕込み終えた徳利を眺めつつ、龍斗さん、どうなるかなー、とウキウキモードで語り始めた龍麻と九龍を横目で見て、「うわー、容赦ねえ…………」と、己達の所業を棚に上げ、『旦那衆』は顔色を悪くする。

とは言え、三名も、龍麻と九龍のご乱行を留める気は更々なく。

「そろそろ、年末に買っておいた酒が尽きてしまいそうだ。京一、後で買い足して来てくれないか」

四、五本程の徳利の乗った盆を手に茶の間に戻って来た龍斗から、そろー……っと、一同は然りげ無く目を逸らした。

世界最大規模のトレジャー・ハンターギルド、ロゼッタ協会が誇る謎の調合技術を駆使した九龍制作の媚薬を、既に一瓶盛られ済の龍斗が、更に二瓶分仕込まれた徳利の中身を呆気無く飲み下してからも、一時間程が経った。

彼が、最初の一瓶分を飲み干した時点から数えれば、約二時間。

どきどきそわそわ、薬の類いにも滅法強いらしい『メルヘンの世界の人』の様子を窺っていた五人は、俄には信じられぬ光景を目撃した。

『枠』を通り越し、「酒なんか、どれだけ飲もうと水と一緒」な龍斗が、その酒に酔った風に、ほんのり頬を染める、との光景を。

……まあ、彼の頬の色付きは、本当に本当に薄らとしたものだったのだけれども、それでも、普段のメルヘンの世界の人には起こりよう筈の無い劇的な変化で、「これは……!」と、京梧は火燵の中で勝利の握り拳を固め、九龍も、やはり火燵の中にて、「偉大なり、科学!」とガッツポーズを取り、京一、龍麻、甲太郎の三人は、「これで、京梧の念願も叶うだろう」と、手前勝手に心の中で拍手すらした。

「京梧?」

そんな一同を、少しばかり眇めた目で見渡してから、僅かに鼻を鳴らした声で龍斗が京梧を呼んだものだから、五名のテンションは、いや増す。

「な、何だ、龍斗?」

「何故だか、先程から少しばかり暑く感じるのだ。お前達が寒くないなら、少し、火燵を温くしたい。構わないか?」

「おう。んなこと、お前の好きにすりゃあいい」

挙げ句、彼は、手団扇でぱたぱたと襟元辺りを扇ぎ始めもしたので、そんな彼を凝視しながら甲太郎は、無言のまま、一度は座布団の下に隠した最後の媚薬を、そ……っと京梧に手渡し、京一は、「精々励めよ、馬鹿シショー!」とばかりに、キラリンと輝く歯が覗く似非爽やかな笑みを『馬鹿シショー』へと向け、掌に押し込められた小瓶を、ギュッ……と握り締めた京梧は、ちょっぴりだけ鼻息を荒くしつつ、脳内を濁った桃色に染めた──のだけれども。

「……ああ、それから。私には、何のことを言われているのか、さっぱり判らないのだが。先程から『皆』が、お前達にきっぱり言い渡せと責っ付いてくるから、伝えておく」

火燵の中に腕を突っ込み、温度調節のツマミを弄りながら龍斗は、さらっと、電波な人っぽい科白を吐いた。

「あ?」

「だから。『皆』からの言伝ことづてだ。『無駄だから』と、お前達に言っておけ、と『皆』がうるさく言っている」

「………………無駄、な。『無駄だから』、な……」

「そうだ。何を指して無駄と言っているのか、どうしても私には教えてくれないのだけれども、そう言えば、お前達には判る筈だ、と『皆』が」

嫌になる程自然な流れで、しかし唐突に、『メルヘンの世界の人』の本領発揮としか言えぬことを告げられ、京梧も、若人達四名も咄嗟に面食らったが、一同の様子など気にも留めずに龍斗は言葉を続け、

「……火燵の所為ではなさそうだ。飲み過ぎた……などと言うことは、私に限って有り得ぬし……。……ああ、そうか。熊五郎と散歩をして来た所為で、体が解れたのかも知れない。年の瀬や正月は、どうしても怠けがちになるものだからな」

やがて、自身の変調の理由をそうやって納得すると、こくこくと、一人頷いた。

「京梧。そうやって酒を嗜む以外、今日はすることもないのだろう? だったら、少し付き合ってくれ」

「付き合うって、何に」

「決まっているだろうに。手合わせだ。どうにも、私は今、少し体を動かしたくて仕方無いようなのだ。だから、付き合ってくれ、京梧。お前相手でなければ、存分には出来ぬから」

そうして、「ああ、きっとそういうことなのだな」と間違った会得をした『メルヘンの世界の人』は、にっこり微笑み、ほんわかした笑みを浮かべたまま、「えー……?」と今度は馬鹿面を晒し出した京梧を熱烈に見詰め、いそいそ立ち上がると、待てとか、嫌だとか、ブツブツごねる彼を強引に引き立てて、階下の道場へ下りて行った。

そんなご隠居達を視線でのみ見送り、『悪事』には加担したがとばっちりは喰らわずに済んだ若人四名は、心の底から京梧に同情しつつ、今日のこの件は、さっさと忘れてしまおうと、知らん振りして、薄情にも京梧を見捨てたけれど。

────この出来事より数日。

薄情な若人四名は、悪い意味でコントのような日々を送る羽目になった。

外出する度に野良猫に襲われたり、鴉や鳩の糞攻撃を喰らったり。

一寸した物に足を取られて蹴躓いたり、躓いた拍子に棚の上の何かが頭目掛けて落ちて来たり。

風呂場で髪を濯いでいる最中に、いきなり、シャワーの湯が水になったり。

スーパーの特売品が、目の前で売り切れてしまったり。

……そんな風に、余りにも『一寸したアンラッキー』が続きまくったので、始めの内は、「まあ、そんなことだってあるさ」と気楽に構えていた四名も、やがては、ひょっとしてひょっとすると、自分達は、先日の『悪事』絡みで、龍斗曰くの『皆』に総出で罰を当てられているんじゃなかろうか、と顔を蒼褪めさせるようになった。

と、「漸く気付いたか」と言わんばかりに、彼等を襲っていた『一寸したアンラッキー』には拍車が掛かり、勢い、龍麻や九龍は固より、京一や甲太郎までもが、「もう二度と、『あの手』のことで彼相手に何かを仕掛けたりしません」と、聖邪引っ括めた精霊の皆さん各種に胸の中で誓ったら、過激さが増す一方だった『もしかしたら罰』のラッシュは、ピタリと止んだ。

故に、若人四名は、精霊の皆さん各種への秘かなる誓いを、雁首揃えて改めて誓い直した。

江戸の頃から京梧が引き摺っているソッチ方面の願いとやらは、恐らく一生、叶うことはなんだろうなあ……、とか。

ソッチ方面に関しても龍斗が『ああ』なのは、彼が生まれ付いての『メルヘンの世界の人』と言う以上に、精霊の皆さん各種の所為なんだろうな……、とか。

そんな者を生涯の伴侶に選ぶ運命を持ってしまった京梧は、この上もなく不幸な星の許に生まれてる……、とか。

様々、思わなくはなかったし、京梧にも龍斗にも、目一杯、心の底から同情したけれど。

胸に過った様々な想いも同情も、青少年四名は敢えて黙殺した。

もう二度と、その手の下手なちょっかいを、龍斗相手に出すのは止めようとも誓い合った。

ご隠居達の愛の行方──正しくは、幾つになっても枯れない京梧の肉欲の行方よりも、龍斗の電波っぷりよりも、己達の保身の方が、彼等にとっては遥かに重要だったから。

End

後書きに代えて

もう大分以前の話なんですが、某人と「メルヘンの世界の人で電波な龍斗に媚薬を盛ったらどうなるのか」と言う話をしたことがありまして。

「んじゃあ、書いてみようか」と相成った結果が「これ」。

実を言えば、初稿を脱稿したのは去年の今頃で、「でも、お正月過ぎちゃったしねー」と亀よりも鈍い進みで校正を掛けていたら夏になってしまい、季節外れにも程がある、と放置プレイされ、やっと、今回更新出来た。

………………すみません。反省します。

尚、時期的に丁度良い(?)ので、蓬莱寺一族お誕生日おめでとー!@2015年版の代わりにもしちゃおうかな、と。

こんな話が、キャラ達の誕生日記念祝い代わりってのもどーよ、と正直思いますが(笑)。

──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。