東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編
『デートをしよう』
二〇〇八年 晩春。
若干曜日の巡り合わせに恵まれなかった、その年の黄金週間の中日に当たった四月最終日の東京都心の天候は快晴で、最高気温は平年より高い摂氏二十五度を超えた為、汗ばむような感があり、
「あーー、かったりぃ……」
出掛ける前に天気予報を確かめておけば良かった、こんな陽気になると判っていたなら、もう少し薄着をしてきたのに、と愚痴を零しつつ、蓬莱寺京一は青空を振り仰いだ。
「大体。こんなこと、壬生や如月の仕事だっつーの。何で俺達に押し付けるんだよ、御門のヤロー……。人の足下見やがって」
神刀・阿修羅と天叢雲剣、その二振りを持ち歩かなくてはならない都合があった所為で、何時もの紫色したアレでなく、玉虫色した錦織の刀袋を手にする彼は、今度は仲間であり友である者達への愚痴を洩らしてから、手のそれを肩に担ぎ直す。
「連中の都合が悪りぃなら、村雨だっていいだろうが。醍醐だろうが紫暮だろうがっ! …………マジでかったりぃ……」
午後一時を少々過ぎたばかりの今、京一が辿っているのは新宿・歌舞伎町裏手の路地裏だった。
二十四時間、人も賑やかさも絶えない繁華街だが、真の活気を取り戻すには未だ早い頃合いだから、右を見ても左を見ても、一坪店舗と見紛うばかりの小さな飲み屋やキャバレーが並んでいる狭い通りは、場所柄もあり閑散としていて、行くのは彼唯一人。
そんな、昼日中にぶらついても余り益はなさそうな道を彼が辿っているのは、「最近、その辺りに『面倒臭いモノ』が湧いているから何とかして欲しいと頼まれたので、貴方達が代わりに」と、表の顔は現代版財閥の若きトップで、裏の顔は関東以北を統べる陰陽師の頭領且つ宮内庁陰陽寮・陰陽頭と言う、『派手』過ぎる肩書きを持つ仲間の一人、御門晴明よりの依頼を受けたからだ。
何が面倒臭いのかを御門は教えようとしなかったが、『面倒臭い』だけで、退治そのものは至極簡単だろうとの話だったから、そんなこと、それこそ面倒臭いし、かったるい、としか思えなかった京一は、依頼が持ち込まれた直後から、「自分達でなくとも……」と文句たらたらだったし、一度は謹んで辞退もしたのだが。
「愚痴一つも零さず、どんな小さな『闇』だろうと払拭すべく身を粉にしてくれる彼等の手が空いているなら、文句だけは一人前の貴方達になど頼みはしません。それに。感謝されこそすれ、文句を言われなくてはならないような依頼だとは思えませんが? 貴方達の現在の懐事情を、私が知らないとでも? 西新宿の道場のローンも、宝探し屋の彼等に頼りがちらしいですね、情けない。まあ、貴方達には歳相応の経済力などないでしょうが、だからこそ人一倍、労働に精を出したらどうなんですか。仕事への文句や贅沢は、この不景気な今日日でも、日給に換算すれば破格と言える依頼料が支払われる話を容易く蹴り飛ばせる立場になってからにした方が、いいと思いますけれどもね」
浜離宮恩賜庭園内の、例の屋敷にまで呼び付けた挙げ句に、御門がそんな風にぶつけてきた、イガグリのように棘だらけな嫌味と、『現実』を的確に抉る指摘の前に、ぐうの音も出なくなり、結局、彼よりの依頼を、京一達は引き受けざるを得なくなった。
御門からのそれは、京一だけでなく、彼の様々な意味での『人生の相方』である、緋勇龍麻にも振られた仕事だったのだが、間の悪いことに、御門から、依頼実行日に指定された当日──即ち今日は、彼等の現在の塒である西新宿の道場に、拳武館高校の空手部員達が稽古にやって来る曜日に当たっていたので、龍麻は、道場の現・家主の片割れで、彼の先祖の緋勇龍斗と共に部員達を指導しなくてはならなく。
一方、京一は、午後四時から拳武館高校で行われる剣道部の練習試合に顔を出す以外に所用がなかった為、どの道出掛けなくてはならない京一が、拳武館に行きがてら歌舞伎町に立ち寄ればいいのでは、と彼の祖先でもあり師匠でもある道場家主のもう一人、蓬莱寺京梧が龍麻に入れ知恵したものだから……────。
「馬鹿シショーの奴が、ひーちゃんに余計なこと言いやがるから……。龍斗サンは大抵、馬鹿シショーの味方だし、ひーちゃんもひーちゃんで、笑顔全開で馬鹿シショーの案に乗っかるしよー……。後で、拳武館の方に自分も顔出すから、なんて、取って付けたような機嫌取りしたって、魂胆見え見えだっての」
────どうしても気分の乗らない依頼をたった一人で片付けるべく、その道を行くしかない京一は、又、溜息付きでボヤき、せめて夜にこうしていれば、そこらのキャバレーのネーチャンか誰か捕まえて、からかって、憂さ晴らしの一つも出来るのに、と独り言
「……あれ?」
「…………あ。あれ? もしかして、キョーイチくん?」
と、やる気のない態度と足取りで進んでいた京一の前で、酷く間口の小さい、ケバケバしい外装の施された店のドアが開き、勤め先に泊まり込んでしまった様子の女性が出て来た。
雑魚寝でもしたのだろう、寝崩れた髪を更に乱す風に乱暴に頭を掻き、落とし忘れた濃い化粧の剥げ掛けた面に、夜の蝶独特の疲れを刻んでいる彼女を、条件反射で一瞥した京一は、思わずの声を出して立ち止まり、その声に振り返った彼女も又、京一を見詰めて声を上げる。
「え、嘘!? ホントにキョーイチくん? うわぁ、久し振り!」
「よう。久し振り。……えーと、九年振りくらい、だっけ?」
相手は、ここ歌舞伎町に入り浸っていた高校生だった頃、道端で行き合えば立ち話程度は交わしていたホステス嬢で、余り見られたものではない寝起きの顔に驚きを浮かべ、声のトーンを跳ね上げた彼女へ、京一は、軽く片手を上げて応えた。
あの当時、立ち話をしたり、一杯奢って貰ったりする程度の仲のホステス嬢など、十指に余る以上彼にはいたが、女性を筆頭とする興味対象に対して発揮される彼の記憶力は抜群だから、もう九年も前になるあの頃、主に道端で過ごした、彼女との僅かなひと時の折々を鮮明に思い出しながら、彼は、上げた片手をひらひらと振りつつ、余所行きの笑みまで浮かべた。
「高校卒業して以来、お見限りだった生意気坊やと、寝起きに再会出来るなんて思ってなかったわー。ご無沙汰だった間に、すっかり大人の男になっちゃって。キョーイチくんが歌舞伎町に来なくなっちゃってから暫く、キョーイチくんと仲良かったおねーさん達、寂しがってたのよー。勿論、あたしも」
「そんなこと言ってるけど、どうせ、からかい相手の小僧が消えて詰まらなくなった、ってのが本音だろ?」
「やーだ、バレてる。あはは。でも、寂しかったのはホントよ? キョーイチくん、面白い高校生だったもの、いなくなっちゃって詰まらなかったのよぅ。……ヤだなぁ、こんなことなら、お化粧くらいちゃんと直しとくんだった」
「面白い? 格好良いの間違いだろ? 酷ぇなあ。……でも、あれから九年も経ったのに、未だ歌舞伎町にいたんだな」
そうして、あの頃のひと時を鮮明に思い出したのと同じノリで、今尚バッチリ覚えている彼女のスリーサイズを脳裏に思い浮かべつつ、職業から来る癖なのか、肩に撓垂れ掛かったりしながら昔話を始めた彼女に、京一は、爽やか笑顔で付き合う。
「しょーがないわよ、夜の仕事以外出来ないんだもん。せめて、もっと稼げる所に移りたかったけど、あたし、馬鹿だから世渡り下手だしねー。働き口あるだけマシよぅ。キョーイチくんこそ、何処行ってたの?」
「んー? 色々。それよりもさー……────」
九年振りの再会を果たした顔馴染み相手にするには自然だろう、彼女よりの過去と今を問う言葉に、「真っ当に答えています」と言う顔をしながら、誤魔化し、又は躱しつつも、時間にして十五分程の立ち話を続け。
余所行きの、爽やかな笑顔を浮かべたまま、彼は、そうするのが当然であるかのように、肩に担いでいた刀袋を下ろし、口を留めている組紐に、左手の爪を掛けた。