本来なら、拳武館高校剣道部の練習試合に顔を出さなくてはならなかったのは、京一ではなく京梧だった。
一応、と、外部、と言う二つの但し書きが付くけれども、学生達の師の一人として、今後の指導の為にも覗くだけでもして貰えまいかと、剣道部の顧問や部長や、館長の鳴滝冬吾に乞われ、「なら……」と色好い返事をしたくせに、「要するに建前と義理だけのことだ。それに、葛飾まで行くのは面倒臭い」と、京梧はそれを京一に押し付けて……、だから。
京一とて、そんなことは面倒臭い、との思いがなかったと言えば嘘になるが、剣道部員な彼等に主に稽古を付けているのは京梧とは言え、自身にとっても『通いの弟子達』と言う位置付けが出来る彼等の練習試合の成り行きが、これっぽっちも気にならないと言ったら又嘘だったし、性格上、京一はその手のことに燃える質をしているから、拳武館へ向かう足取りこそ重かったものの、件の試合が始まった途端、京一は、部の顧問や部員達以上に盛り上がり、観戦席より大声の激を飛ばした。
時間も忘れて。
故に、団体戦形式だった練習試合の全てが終わり、勝利を収めた部員達と一頻り盛り上がってから、やっと彼は、道場の隅に掛かる時計の存在を思い出し、ヤバい、と辺りを見回す。
昼間、龍麻が言っていたことが口先だけでないなら、疾っくに来ている筈だ、と。
「……あ、いた」
そうしてみれば、道場の入り口付近の壁に一人凭れ、愉快そうに笑いながら自分を見詰めている龍麻が視界に飛び込んできて、京一は、片手を上げながら部の関係者達に一言二言のみ言い置いてから、その環を離れ、龍麻の許へと駆け寄った。
「悪りぃ。お前が来てるの、気付かなかった」
「だと思った。……ま、気付く筈無いと思ってたけど。京一、盛り上がり過ぎ」
「……そうか?」
「うん。俺達が高三の時に武道館でやった、インターハイの東京都予選で、京一達が優勝した時のこと思い出したくらい。……ほんっと、京一は、試合とかになると燃えるよねー」
「燃えんのが当然だろ、こーゆーことは」
「そりゃまあ、そうだけど。──もう、帰れる?」
「ああ。断りも入れてきた」
京一の盛り上がりっぷりを笑う龍麻と、彼の言い種に、少しばかり口を尖らせ拗ねたような素振りを見せた京一は、その場で暫し他愛無いことを言い合い、帰ろう、とも言い合って、肩並べ、校門目指して歩き出した。
先程までの興奮を未だ引き摺っているのか、今日の試合は何処が良かったの悪かったのと、少しばかり声高に語る京一と、そんな彼の醸し出す雰囲気に引き摺られた風になった龍麻が交わす会話は弾むようなそれで、共に、足取りも早く。
「なあ、ひーちゃん」
「ん? 何?」
けれども、拳武館の校門を潜り終えて直ぐ、ぴたりと京一は足を止め、声まで潜めて龍麻を呼び、だから、名を呼ばれた彼も又、その場に足を留める。
「ちょいと、提案。──デートしねえ?」
「デート? これから?」
「そ。これから」
「……デート、ねえ……」
「嫌か?」
「ううん。奇遇だなって思っただけ。俺も、似たようなこと考えてたから」
「そうなのか?」
「うん。別に、何処で何をって訳じゃないけど、京一とデートしたいなあ、って思ってたんだ」
「成程……。…………ひーちゃん? 何か遭ったか?」
「え、別に何も。京一こそ、何か遭ったんじゃ?」
「いいや。俺が、ひーちゃんをデートに誘うのに、理由なんか要らないだろう?」
「……その科白、そっくり返すよ。俺が、京一とデートしたいって思うのに、理由なんか要らない」
僅かなカーブを描いている長い道の途中にある曲がり角まで続く、拳武館高校の敷地を取り巻く外壁の起点に背中から凭れながら、龍麻は京一を見上げ、そんな彼を囲う風に、白壁に片手を付き、京一は龍麻を見下ろした。
京一が龍麻を、龍麻が京一を、真っ直ぐに見詰める瞳の中には、それぞれ、某かの秘密を溶かし込んだような色が微かに滲んでいて、「これから暫しの逢瀬を」との、甚く軽い、けれど艷めいたやり取りを交わしながらも、両人共に、己が連れ合いがそっと隠した秘密を暴こうと、言外に探り合ったものの。
「……何処がいい?」
「そうだなあ……。うるさくない所なら、何処でも」
「微妙に難しいリクエストだな……。……ま、何とかなんだろ。あ、でもその前に、どっかで飯食おうぜ」
「うん。夕飯……って、あ。そうだ、だったら、夕飯要らないって、龍斗さんに電話しとかないと」
「……これからデートしに行くってのに、色気がねえな……。会話が、何処となく所帯染みてんぞ、ひーちゃん」
そんなものを引き摺り出し、互いの間に晒し合ってみても無意味な行為にしかならないのだろう、と思い直した彼等は、何事もなかったかのように、『軽い』やり取りに戻る。
「仕方無いじゃん。後で龍斗さんに、門限破った子供みたいに叱られるよりも、今、所帯染みてた方がマシ。それとも京一、夕飯が無駄にー! って、龍斗さんのお説教喰らいたい?」
「冗談。んなのは御免だっての。説教モードに入っちまった龍斗サンにゃ、馬鹿シショーだって頭上がらねえってのに」
「なら、グダクダ言わない」
「はいはい……。……ほんっと、血って怖えぇよな……」
「……京一? 何か言った?」
「いや、別に。──じゃ、行こうぜ」
ノリの軽さはそのままに、が、艷めいた雰囲気を、生活感溢れるそれへと否応なく移しながら、佇んでいたそこを、二人は緩やかに離れた。
何時しか触れ合った指先を、同時に絡めながら。
────デートをしよう。
何時ものように、恋人同士の、理由の要らないデートを。
一番始めに目に付いた店で食事を摂って、そうしたら、気の向くままに歩いて。
飾り気も何も無い、寂れているだけの人気ない小さな公園の、古びたベンチを陣取って、自動販売機で買った缶コーヒーを片手に、空が白むまで馬鹿なことを語り合うだけの、細やかなデートで構わない。
そうすればきっと、今日の出来事など、記憶の彼方に消えてしまう筈だから。
……だから、デートを。
何ものにも代え難い君と。
己が瞳を埋め尽くす君と。
End
後書きに代えて
「私は短編が書きたい」衝動に従って書いた話です。
京一と龍麻の、『細やか(多分)な日常』的な話。
この手のことは、うちの彼等的には(何処までも多分)よくあることで、相手には言いたくないし、言う必要性も感じないけど、やっぱり秘密は秘密だし、本当に微かにだけど、心の中に澱みたいな何かは溜まる訳で、だからデートがしたいんだ、みたいな。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。