東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編

『死を語る』

梧主編

盛夏半ばのその夜は、東京の副都心でも夜空に瞬く星がよく映えていた所為か、西新宿の道場二階の茶の間の窓辺に凭れて、緋勇龍斗は天頂を振り仰いでいた。

「何時まで、夜空なんざ眺めてんだ、龍斗。いい加減飽きるだろうに」

卓袱台の上の、汗を掻いている麦茶のグラスを掴みながら、片手にした団扇で浴衣の胸許に風を送り込みつつ、蓬莱寺京梧は、飽きることなくそうしている窓辺の彼を振り返る。

「空を眺めているのではない」

己の直ぐ傍に置かれている、愛嬌溢れる豚の形をした陶器の口より流れ出る、蚊取り線香の煙をゆるりと手首の返しで払ってから、龍斗は京梧に応え、が、眼差しは夜空に向けたままだった。

「じゃあ、何を見てるんです? てっきり、星でも見てるんだと思ってましたけど」

彼等が今在る道場の辺りは、つい二、三年前に出来たばかりの新しい住宅街だが、そこより少しばかり行った所に、小さな、けれど古くから続く商店街があって、昨夜、細やかな夏祭りを行っていたその商店街の、顔馴染みの店主の一人よりの西瓜のお裾分けを切り分けてきた、龍斗の子孫の緋勇龍麻が、彼等の会話に混ざった。

「死人だ」

「死人?」

「ああ。死人。亡くなった者の魂が、天へと還り往く姿を」

「あー、要するに、幽霊みたいな奴ですか。さもなきゃ、人魂みたいな」

龍麻達の弟分の一人で、もうそろそろお盆だからと、今年も『里帰り』してきている葉佩九龍も、三角形にカットされた西瓜に手を伸ばしながら会話に参加する。

「ふうん……。でも、龍斗サンにゃ、当たり前に『そーゆーの』が視えるんだから、別に珍しくも何ともないんじゃねえの?」

「それとも、何か目を引くことでもあるとか?」

九龍に続き、龍麻の『相方』で京梧の子孫な蓬莱寺京一も、九龍の『相方』な皆守甲太郎も、西瓜を取り上げつつ龍斗へと視線を流した。

「いいや。そういう意味では見飽きている。常と何も変わらない。但、あれが視える者は稀有なのだと思い知って久しいから、見掛けたら、見送るようにしているだけだ」

「成程。鎮魂って奴ですな。……もしかして、昇ってってるのがどんな人だったかも判っちゃったりします?」

「ヒトか否かくらいは判るが、随分と離れているから、生前の人となりまでは判らない。それに、天へ還り往くのは魂のみだから、流石にな」

「…………『魂』のみ?」

「人には魂魄があると言う話を、知っているだろう? 九龍。こんは、天より授かり天に還るもの。魄は、地より授かり地に還るもの。その二つを以てして、初めて人は、『その者』になる。だから、こんのみで、死者の生前の人となりの全てを、と言うのは、少し無理がある。少なくとも私には」

「はあ……。そういうもの、なんですか。へー……」

「……お前等、何時までもそんな話してんじゃねぇ。龍斗、お前もだ。何処の馬の骨とも判らねぇ死人なんざ見送ってんな、辛気臭い」

死人がどうのこうの、魂がどうのこうのと言い出した龍斗に、『子供達』がああだこうだと質問を浴びせた為に続いていく話に辟易したのか、それとも龍斗が己を構わぬことに拗ねたのか、京梧が、彼等の会話を断ち切る風に口を挟んだので、僅かばかり困ったような笑みを浮かべ、立ち上がり、窓辺を離れた龍斗は、時折子供染みた振る舞いをする彼の傍に座り直し、ぴとっと寄り添う。

「どうしようもなく判り易いな、京梧。直ぐに、そうして幼子のようなことばかりを言う。少し、外を眺めていただけのことだろうに」

「お前、俺が、そんなことに拗ねてるとでも思ってんのか?」

「違うのか?」

「違うな。死人だか魂だか知らねぇが、お前が、赤の他人に気を取られてるのが気に喰わないだけだ」

見ている者が暑苦しく感じる程に寄り添って、龍斗は小言めいたことを言い掛けたけれど、表情一つ変えなかった京梧の受け答えの所為で、それは一気に惚気になり、

「あー……、まーーた始まった……」

「構うんじゃねえぞ、ひーちゃん。……ほら、とっとと西瓜食っちまおうぜ」

「京梧さんと龍斗さん、毎日毎日、あんなこと言い合ってて飽きないのかな。どう思う? 甲ちゃん」

「放っとけ、九ちゃん。気にしたら負けだ」

ともすると、三百六十五日──即ち一年中繰り返される、彼等の、何者の目も憚らない惚気合戦に、「毎度毎度のが、今日も始まった」と、外野四人は西瓜を平らげるピッチを上げて、麦茶を流し込んだ。

あれが始まってしまったからには、一秒でも早くこの場より去らないと、エスカレートするだろう惚気合戦に巻き込まれるのが目に見えている。

「それとて、幼子の理屈だ。視えてしまう以上はと、お前曰くの赤の他人に傾ける想いと、お前に向ける想いが、秤に掛けられる筈も無い」

『子供達』が、半ば一心不乱に西瓜に齧り付き出したのも気付かず、龍斗は再び小言めいたことを口にして、が、少しばかり嬉しそうに京梧に懐いた。

「当たり前だろ、赤の他人と秤に掛けられて堪るか。その辺がどっこいだったら、万が一、俺がお前より先に逝っちまっても、お前の態度はあの程度ってことにもなっちまう」

「…………京梧。お前はどうして、そういう縁起でもない例えを引き合いに出すのだ。私を泣かせたいのか?」

「そうじゃない。売り言葉に買い言葉って奴だ。……ああ、でも、ちょいと趣味の悪い興味は覚えるな」

「趣味の悪い興味?」

「…………例えば。もしも、もう一度、俺が、お前を置いて何処か遠くへ行っちまったら、お前はどうするんだろうな、とか。お前を置いて死んじまったら、お前はどうするんだろうな、とか」

京梧も京梧で、京一達が時折、こっそりと、白けた目で自分達を見遣っているのを知りつつも、懐く龍斗の相手をしながら碌でもないことを言い出して、

「趣味が悪い処ではない」

途端、ギリッと、一瞬で顔色を白くした龍斗に二の腕を抓られた。

渾身の力で。

「痛……っ! 仕方ねぇだろう、思っちまったことは」

「そういうことは、思っただけで留めておくものだ。全く…………。……だが、それへの答えならある。もしも、又、お前が何処かに消えてしまっても。私は必ず、後を追う。幾度でも、お前を追い掛ける。……でも次は、私も連れて行って欲しい。もう、離れたくない」

「……そうか」

「そうだ。例えそれが、行くでなく、逝くだとしても、変わらない」

肉が千切れるかと思う程に痛くされたのにも懲りず、京梧は軽口を引っ込めなくて、ツン、とそっぽを向いた龍斗は、それでも、はっきりと問いの答えを返した。

「ならその時は、ちゃぁんと『これ』で、お前の心の臓を刺し貫いてやるよ」

多分、それは、至極満足出来る答えだったのだろう。

右の傍らに添わせ置いた刀袋をひと撫でして、京梧はうっすらと笑んだ。

「期待している。その代わり、私が先に逝く時も、道連れだ」

有らぬ方から京梧へと向き直り、龍斗も又、ひっそりと笑った。

────『子供達』は、もう茶の間から逃走を決め込んだ後だったから、二人のそのやり取りに、声を掛ける者はなくて。