京主編

横開きの扉を龍麻がパタリと閉めた時、先んじていた京一は、逆に、部屋の窓をカラリと開け放っていた。

西新宿の道場二階が、彼等の現在の住処であるのに間違いはないが、定住している訳ではないから、その部屋は、何時でも何処となく殺風景だ。

荷物も家具も少ないので、窓よりの風もよく通り、ともすると、エアコンのそれよりも涼しい。

だから、文明の利器を作動させるリモコンは手に取らず、京一は、窓より涼を取り込んだ。

「京梧さんは兎も角。龍斗さんはもう少し、恥って言葉を覚えた方がいいと思う」

音もなく、真夏の風が室内に忍び込むのを肌で感じながら、ぽふんとベッドに腰掛けた龍麻は、這々の態で逃げて来たばかりの茶の間で展開されていた、己が先祖達の恥ずかしい光景を思い出し、ぶつぶつ、文句を垂れる。

「馬鹿シショー達の日課にツッコミ入れても、体力と気力の無駄だぜ、ひーちゃん」

自分達の部屋に戻るなり始まった龍麻のボヤきに、「言いたい気持ちはよく判るけど……」と苦笑しつつ、京一は、彼と並び座った。

「そんなこと、俺にだって判ってるよ。嫌って程判り過ぎてるよ。でも、時々、ああいうことに臆面ない龍斗さんが俺のご先祖だと思うと、どうしようもなく虚しくなるんだってば……」

「まあなー……。幾ら龍斗サンが普通じゃなくても、あれは一寸なー……。馬鹿シショーは馬鹿シショーで、わざとああやってる処あるし。確かに、あの馬鹿がてめぇの先祖だと思うと、頭痛てぇよ、俺も」

「だろう? 京一だって、愚痴りたくなるだろうっ!? あーもー……」

「だから。いい加減、開き直っとけって。俺は大分前から、仲良き事は美しき哉、な心境だぜ?」

「…………そんな風には悟れない。そんな悟り、俺は開きたくない。あんなやり取り、聞いてるこっちが赤面する」

傍らに来た京一の眼差しが慰めのそれだったから、龍麻は声高な愚痴垂れを続け、又、先程の光景と会話を思い返してしまったのか、バンバンと掛け布団を叩き始める。

「そうやって、馬鹿シショー達の日課に性懲りも無く喚くお前も大概だと思うぜ? 俺は。あの程度のやり取りなら、昨日のより未だマシだろ」

そうやって、喚きと埃を舞い散らせる龍麻へ、京一は苦笑を深めて、落ち着け、と彼の髪を叩く風に数度撫でた。

「……確かに」

「それに。正直なトコ、俺も一寸興味ある」

「興味? 何が? ……あ、京梧さんが言ってたあれ?」

「ああ。…………な、ひーちゃん。もしも、俺がお前よりも先に逝っちまうことになったら、お前、どうする?」

────けれども、所詮は先祖と子孫、と言うことなのか。

龍麻を宥めるべく言葉を紡いでいた京一の口は、先程の京梧と同じ問いを音にし、だから思わず、龍麻は右手を振り上げ、彼の頬を張り飛ばした。

「……おい。ひーちゃん」

「京一が悪い。高三の時、どれだけ、そういう想いを俺にさせたのか、忘れたとは言わせない」

「………………悪い」

「そんなことの答え、訊かなくったって判ってるだろう……っ!?」

「……まあ、な」

前触れもなく、くっきりと赤い手形が残るまで叩かれ、流石に京一は剣呑な目付きになったが、彼以上に眦吊り上げた龍麻の低く唸るような訴えに、素直に詫びる。

「龍斗さんの科白じゃないけど、そんなに、俺のこと泣かせたい?」

「だから、悪かったって……」

「大体。同じ質問されたら、自分はどう思うんだよ。全く…………」

だが、詫びだけでは気が済まなかったらしく、龍麻は、酷い問いを投げ返した。

「そりゃまあ、いい気はしない。でも、それ絡みの答えは持ってるぜ? 何時からそう思うようになったのかは覚えてねえけど、何がどうなっても、何が遭っても、俺は、お前より先に逝かないって決めてる。絶対に、俺がお前を看取る」

繕い損ねな表情こそ浮かべたものの、京一は、その問いへの答え代わりが、もうずっと以前から胸の中にはあるのだと、さらっと言った。

「……何で?」

「ひーちゃんは、俺よりも後には逝きたくないだろ?」

「へ? それは、そうだけど……」

「だからだよ。俺が、そう決めてる理由はそれだけ」

「ふう、ん…………」

彼の答えが、少し意外で。

その理由も意外で。

酷く曖昧な相槌を龍麻は打つ。

「何だよ、ピンと来ねえ? ……なら、言い換えてやるよ。最期の時が来ても、俺はお前を一人にしない。……これなら納得出来るだろ?」

ならば、と京一は言い方を変えた。

「…………京一はさ」

「ん?」

「そーゆー処、変に格好付け過ぎ」

「俺がカッコ良かったら不満か? 仕方ねえだろ、どう隠したって、俺のカッコ良さは滲み出ちまう」

「……あ、御免。錯覚だった。そうだ、京一は馬鹿だった」

二度目のそれを告げた際の京一は、龍麻にとっては、手形がない方の頬をもう一度張り倒したくなるような、内心羨ましく感じる何かが過ぎてしまって逆に腹立たしくなる雰囲気を纏っていて、彼は拳を固めたが、衝動のままに殴り倒したらいけない気もして、こんな会話は、冗談にして流してしまおう、と決め、

「ひーちゃん……。俺の、繊細な男の部分をバッキリ折って楽しいか?」

「繊細! 京一が繊細! しかも男の部分が繊細! うわー、有り得ない」

「繊細だろうが、何も彼も!」

気配を察した京一もそれに乗り、趣味の良くない会話はふざけ合いになり、笑い合いになった。

「あー、馬鹿。ほんっと、馬鹿」

「ひーちゃんだって、人のこと言えねえだろうが」

「俺は、京一よりは未だマシですぅ」

「うっわ、キモっ!」

「キモいって何だよ、失礼な!」

二つの高い笑い声が部屋中を包んでも、暫しの戯れ合いは続き────でもきっと、今夜の話を真剣に思わなくちゃならないのは、未だ未だずっと、遠い未来の筈だ、と彼等は互いに囁いて、眠るには早過ぎる頃合いなのを承知の上で、部屋の灯りの全てを消した。