抵抗とも言えない抵抗を続ける、眠気限界突破なお子様を引き摺って、絨毯が敷き詰められた長い廊下を行き、辿り着いた客間のドアを蹴り開け蹴り締め、甲太郎は、何時の間にやら綺麗に整えられていたベッドに、九龍をぶん投げた。
「甲ちゃんの乱暴者ー…………」
べっふん、と音と埃を立ててベッドに落とされた彼は、じたばた手足を動かし半寝惚けの声で文句を垂れたが、お子様の駄々捏ねには構わず、甲太郎は彼に伸し掛った。
「うーー……。甲ちゃん、重いー……」
「九ちゃん。朝まで、あんな子供染みたことに付き合わせようとしなくても、もう、俺は何処にも行かない」
「…………知ってる」
上がった苦情も無視し、きつく抱き締めて、緩く背を撫でながら言い聞かせれば、ピタリと九龍のじたばたは止む。
「……知ってるよ。あの夜に、甲ちゃんの人生と未来を貰って、代わりに、俺の人生と未来を甲ちゃんに明け渡したから、甲ちゃんが、もう何処にも行かないなんて、誰に言われなくったって知ってる。甲ちゃんは、もう二度と、馬鹿な真似なんかしないってのも知ってる。…………判ってるんだ。ちゃんと、甲ちゃんの態度にも出てる。何時からだったのか、俺だって正確には思い出せないくらいに何時の間にか、甲ちゃん、銃まで持つようになった。それって、俺だけじゃなくて自分のことも守らないと、俺が泣くって思ってるからっしょ? ………………うん。判ってる。甲ちゃんは、今の甲ちゃんに出来る精一杯のことをしてくれてるって、判ってる。……でも、さ。でも…………」
「……九ちゃん。…………九龍。すま──」
「──あの時、あの件に関しては、もう二度と、甲ちゃんの、すまないだの何だのは聞きたくないって、俺、言った。……憶えてるくせに」
「…………ああ。憶えてる。だが、九ちゃん。俺は……。……あの時、お前は全てを水に流して、お手軽に俺を許してくれたが、何時まで経っても、お前は傷付いたままなんじゃないかと……」
「……うん。そうかも知れない。…………俺も、昨日まで自覚してなかったけど。俺は未だ、あの時のことで傷付いちゃったままなのかも知れない。……けど」
暴れるのを止め、抱き竦められるに任せていた九龍は、互いの囁き声でのやり取りがそこまで行き着いた時、ぎゅっと甲太郎を抱き返した。
「けど……?」
「…………あのさ。甲ちゃん、『Rose』って映画知ってる? 古い、俺達が生まれる前に撮られたアメリカの映画」
つい先程まで、堪え難い眠気に抗っていた者とは思えない力を、甲太郎の背に回した腕に籠めて、彼は、唐突にそんな話を始める。
「いや、知らない」
「一九六〇年代末期が舞台の話でさ。有り体に言っちゃえば、性的にだらしない女性ロックシンガーが主人公の、一応、実在の人物がモデルになってるストーリーなんだけどね。それの主題歌が、やっぱり、『Rose』ってタイトルで。愛は濁流だの刃物だの飢餓だの言う人もいるけど、私は花だと思う。その花を咲かせる唯一の種が貴方だ、ってな感じの歌詞なんだよね。…………俺も、そう思うよ。愛情なんて、濁流とか刃物とか飢えみたいに、抗えないくせに碌でもないものなのかも知れないけど、その為の種が手に出来ればきっちり花が咲く。何も彼も怖がってたら、人生の意味なんて死んでも判らない。……だから、いいんだよ。俺は、未だどっかが傷付いちゃったままなのかもだけど、甲ちゃんは、ちゃんと傍にいてくれる。今夜は朝まで甲ちゃんと帝等を付き合わせようって思ったのは、只の感傷みたいなもんってぇか、俺にだって、そういう夜の一晩や二晩くらいあるやい、って奴。……御免な、甲ちゃん。我が儘言って、困らせて」
数十年前の古い映画の話は、その主題歌の歌詞を経てより、そんな所に落ち着いて、最後に、『今宵のご乱行』を詫びた九龍は、口を噤み、甲太郎の胸にグリグリと額を擦り付けた。
「……なあ、九ちゃん。だってなら、俺はお前の花の種か?」
「ローズって歌の歌詞のノリで行くなら、そういうことになる……と言うか。俺と甲ちゃんの間に、二人で見っけた花の種がある、みたいな? もう、花咲いてる種だけど」
「ああ、確かに。その種なら、疾っくに花が咲いてる。寧ろ咲きっ放しだ」
「んだ。こーゆー言い方すると情緒も何も無いけど、もう、随分前から咲きっ放し。咲きっ放しなんだけどもー。咲きっ放しの逞しい花でも、稀に、昔々に収まった筈の、強風に揺すられることもある訳で」
「だから、今夜は、か。────九ちゃん。もう寝ろ。俺も寝るから。傍にいるから。傍で、番人をしててやるから」
「……番人? 咲きっ放しの花の? ……そっか。…………うん、考えてみれば、甲ちゃん、何時でも番人してくれてるみたいなもんだしね。大人しく、寝るとしますか。──お休み、甲ちゃん」
「……お休み」
むうむうと、額を擦り付ける九龍の頭を抑えて撫でてやりながら、言葉遊びめいたことを言いつつ、寝ろ、と甲太郎が促せば、昨日から、ほんの少しばかり過去に負けていた九龍は、すんなり瞼を閉じた。
眠り始めた彼と抱き合ったまま、身を寄せ合ったまま、脚をも絡めて、瞬く間に上がった九龍の寝息に耳峙て、甲太郎も、又、瞳を閉ざした。
既に午前とは言い難くなった頃、甲太郎が目覚めた時、腕に囲うようにして眠らせた筈の九龍の姿は見当たらなかった。
滅多なことでは寝起き直後からは働いてくれない、眠りの誘惑に負けがちな頭を振って、ゆるりと彼が身を擡げたら、シャッと、勢い良くカーテンが引かれる音と、バタリ、威勢良く窓が開け放たれる音がした。
「おはよー、甲ちゃん!」
それまでは暗かった室内に遠慮なく射し込んできた真夏の陽光に、開き切らない瞼を一層細めた甲太郎の視界の向こうで、カーテンと窓を開け放った当人が、窓辺に佇んでいた。
「おはようってぇか、おそよう? もう直ぐお昼だ、起きろ、甲ちゃんっ」
昼の明るさを背負い、逆光の中佇む彼は、一声目も二声目も、元気の良過ぎる、起き抜けには聞きたくない大声で言い放って、起きろー! と甲太郎を急かす。
「朝っぱらから、うるさい」
「いや、だから。朝じゃなくて、もう直ぐ昼。正午になります、こーたろーさん」
「俺にとっちゃ朝だ。いっそ早朝と言ってもいい。──と言うか。九ちゃん、お前、何時起きたんだ?」
「ん? ついさっき。すっごいよく寝た。もーー、すっきりばっちり。今直ぐにでも例のブツの解読に挑めるくらい、心身共に元気溌剌」
「そうか。なら、解読は任せた。俺は、もう少し寝る」
「えー…………。そんな冷たいこと言わないで、付き合って下さいな、こーたろさん。俺一人じゃ、何時まで経っても終わらないってばさ」
「……っとに…………。専門家じゃないんだ、あんな物、二人掛かりでもどうにもならないとは思うが、仕方無いから、付き合うだけは付き合ってやる」
イラッとする程に起き抜けからうるさくて、売っても尚余るだろう元気を迸らせていて、余計な口ばかりが達者な何時もの九龍が、彼にはこの上無く似合うと甲太郎は信じている真昼の明るさを背負って立ち、常通り、己を見詰めて笑うから。
仕方無い、今日も、互いの掌の上に乗せた、もう三年近くも前から花が咲きっ放しの種の為にも、花守の真似事でもするかと、呆れた風に笑い返し、甲太郎は、名残りを惜しみつつもベッドから抜け出た。
End
後書きに代えて
『柩』の後日談。……のような話、と言いますか、ここまで『柩』の中に盛り込んでしまうのは一寸かな、と思ったエピソード話。
自分で書いといて何ですが、『柩』の終盤の展開は、うちの風邪は引く程度にお馬鹿な九龍でも、天香のこと思い出すんじゃなかろうか、と思いまして、フォローしてみた次第です。
──映画『Rose』の主題歌、『rose』は、本当に名曲(だと私は思う)。最近は、某ジ○リ作品の主題歌としての方が通りがいいか知れませんが、個人的には原曲のが好き。
──それでは皆様、宜しければご感想など、お待ちしております。