東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編
『精霊会』
その年──二〇〇七年の、葉月半ばの夕刻。
東京都新宿は西新宿の外れにひっそりと建つ武道場と、片側二車線の公道とを繋ぐ接道の入り口で、緋勇龍斗は、連れ合いの蓬莱寺京梧を責っ付きつつ迎え火を焚いていた。
一昨年──百数十年に亘った眠りの果て、目覚めた龍斗が現代で迎えた初めての夏も、去年の夏も、彼と京梧の住まいは六畳一間しかない狭苦しいマンスリーマンションだったから、真似事程度の精霊棚を拵えることも出来なかったし、住人の殆どが盆暮れ正月にも無頓着な若者だった集合住宅では、迎え火や送り火を焚くのも憚られたし、何より、目紛しい現代での生活や、現在彼等が住まっている西新宿の道場──正式には『拳武館道場 西新宿支部』建設の片棒を担ぐ日々に手一杯で、その手の約束事には頓にうるさい龍斗をしても、盆の支度に勤しむことなど到底敵わなかったのだが。
道場での新生活にも疾うに慣れ、精霊棚を設える場所にも困らぬようになったからと、龍斗はいそいそと、昔々に逝ってしまった仲間達──本来なら、彼と京梧が人生を送り、そして終える筈だった懐かしいあの頃、心から大切に想っていた人々の霊を迎えようとしていた。
京梧は霊魂の為の行事には余り乗り気でない風で、つい先日に一週間限定で開いていた『夏休み子供武道教室』の為に呼び付けた『子供達』──蓬莱寺京一と緋勇龍麻は、やはり西新宿にある京一の実家に顔を出しに行ってしまっており、『盛大な馬鹿』をやらかしに帰国したばかりなのに、数日後には再び日本を発ってしまう『もう一組の子供達』──皆守甲太郎と葉佩九龍は、彼等の友人である阿門帝等の自宅に転がり込んだままだったから、そこは、少々不満だったし。
先月の終わり頃から、
「連中を懐かしがるのは構わねぇが、あいつらだって、盆の支度くらいしてくれる末裔がいるだろうから、『無駄に呼ぶ』んじゃねぇぞ」
……と、口を酸っぱくしていた京梧の言い分は判らないでもないが。
それでも龍斗は祈りを込めて、立ち昇る傍から風に流れて行く迎え火の煙を見詰めていた。
────確かに京梧の言う通り、あの頃の仲間達にも、盆の支度や折に触れての墓参りをしてくれる末裔達はいるのだろう。
実際、京一や龍麻の仲間達の大半は、彼等の子孫に当たる。
存在しているならばの話だが、かつての龍泉寺に縁の者も、又は、かつての鬼哭村に縁の者も、それぞれ、あの彼等を偲んでくれているかも知れない。
だが、そうでない仲間達もいるかも知れぬから。
もしも、年に一度の、折角の精霊会に行き場がなければ不憫だ、と。
死者をも見遣れる己には、懐かしい彼等の在りし日の姿が垣間見れるかも、と。
道端にしゃがみ込んで、面倒臭がる京梧の着物の裾をしっかりと掴みながら龍斗は、何処となく嬉しそうに、煙棚引く迎え火を見守って。
ゆらゆらと揺らめいていた、本来は祖霊を迎える為の火と煙が消えて、龍斗と京梧が道場の中に引っ込んだ直後。
燃え尽きた苧殻の傍らで、燃えるような色した長髪が風に舞った。
龍斗曰くの『皆』──聖なる精霊達とも邪なる精霊達とも想いを交わし、神仏をも目に出来る彼でなければ視えぬだろう、今は亡き者の髪。
生前の名を、九角天戒と言った男の。
…………龍斗の想像通り、昔々に逝ってしまった彼の仲間達の大凡は、仕来りに沿って迎えの準備を整えてくれた末裔達の許に行っている頃だ。
だが、やはり龍斗が案じたように、そのような行き場を失ってしまった者達もいる。
九角天戒も、その内の一人。
幕末時に起こった陰陽の戦いの際、龍斗や京梧は、天戒が率いていた鬼道衆とも仲間の縁を結べたが、二人の子孫でもある龍麻や京一は、天戒の子孫に当たる九角天童とも、天童が率いていた当代の鬼道衆とも、浅からぬ因縁としか言えぬそれを結んでしまい、結果、九角天童は、その若過ぎる生涯を閉じてしまった。
……関ヶ原以前より徳川家に仕え続けた由緒正しい武家だったにも拘らず、江戸時代末期、菩薩眼の娘を巡って幕府に楯突いた所為で御家断絶と相成り。
天戒が村長
直系としては唯一の末裔だった天童もが逝ってしまってよりも数年が経つ今、九角家代々の御霊を祖霊として祀る者も、迎える者もいない。
だから、天戒は──正しくは彼の魂は、今年の精霊会は龍斗の『招き』に乗ろうと決めた。
龍斗や京梧にとって、天戒達が、今も昔も変わらず大切な者達であるように、天戒にとっても、彼等は、霊魂と化して久しい今尚大切な者達で、『魂の還る場所』の一つでもあるから。
それに、果たす為には時代をも越えなくてはならなかった念願を漸く叶えて、寄り添いながら仲睦まじそうに暮らしている龍斗と京梧の日々を、草葉の陰からでなく、大っぴらに覗き見してみたい誘惑にも、彼は駆られていた。
霊魂だろうが精霊だろうが神仏だろうが悪鬼だろうが、余裕綽々で見通し語らう龍斗には呆気無く訪れがバレるだろうけれども、そちら方面はとんと、な京梧には気付かれなかろうし、二人が甚く可愛がっている様子の『子供達』にもちょっかいを出してみたいし、と。
今の今まで焚かれていた迎え火の煙に乗って、あの世からこの世への年一度の帰還を果たした、天戒の魂が取った人形
塵よりも尚軽々と潜り込んだ道場一階の、今は誰の姿も無いガランとしたそこを、天戒はしみじみと眺めた。
家主達以外にも、様々な者の氣が雑多に入り混じった、日没直後の薄暗い武道場の居心地は、中々、と言える程に良く、この場所を、龍斗も京梧も慈しんでいるのが手に取るように判って、彼は、軽く頷く。
二人共を、一廉以上の武道家としても認めていた生前の己の目は確かだった、と改めて証されたように思えて、嬉しいような、誇らしいような気分に浸れた。
『この場所』を、かつての鬼哭村だと弁えた上で二人が愛おしんでくれているのも、彼の気分を良くした。
が、何故か一抹の寂しさも覚えた彼は、あの世の住人となって何十年も経つのに、何がどう寂しいと言うのか、と己で己に呆れながら、詰まらなそうに、緩々と長い赤髪の先が揺れるまで頭を振って、まるで生きている者の如く、二階へと続く階段を昇って行った。