東京魔人學園伝奇+九龍妖魔學園紀 捏造未来編
『新宿を往く』
二〇〇五年 初秋。
カレンダーが、九月に入ってほんの少しばかり経った頃。
彼は、休日の新宿駅近くの雑踏の片隅で、一人、半ば呆然と立ち尽くしていた。
晴天の秋の日、休日のひと時を楽しむ家族連れやカップル達で、そりゃーもーごった返している、歩行者天国となっている新宿通りの隅っこの、自動販売機の影に身を小さくして所在な気に立っている彼は。
名を、緋勇龍斗と言う。
性別、男。年齢は、二〇〇五年秋現在、三十二〜三歳。実年齢・不明。
今は遠き昔の幕末の頃に生まれ育って、お年頃だった二十歳の頃、当時は江戸と呼ばれていたこの東京は新宿にて、結構過酷でした、と表現しても罰は当たらないだろう運命と宿命に、洗濯機に放り込まれて脱水掛けられた洗濯物のよーに翻弄され、だってのに、運命と宿命の翻弄を漸く乗り越えてみれば、翻弄の最中
挙げ句、何がどうしてどうなっちゃったんだか、剣術馬鹿は、『刻の道』とやらに巻き込まれ、二十世紀後半の世界に飛ばされちゃったらしいよー? と知らされ、途方に暮れ、毎晩毎晩、こっそり枕を涙で濡らしちゃったりなんかした過去を持つ、冷静に考えれば、不幸、と言うよりは、不憫、と言った方がより相応しいだろう運命を辿って来た男、それが、緋勇龍斗なのだが。
彼は、何処までも、唯ひたすら、どうしようもない剣術馬鹿ではあるけれども己にとっては『運命の男』でもある彼への愛の為、気合いと根性で百四十年近くの刻まで駆けて、この世の理をも引っ繰り返し、無事、『運命の男』と再会し、二十一世紀初頭の今この時を、『運命の男』と共にラブラブモードで生き抜いている、ガッツのあり過ぎる人でもあり。
少なくとも二〇〇五年秋現在は、大変幸せだったりするので、多分、彼の運命に於ける禍福のバランスは取れている。
……あくまでも、多分。
────と、まあ、そういう事情で、幕末生まれの龍斗は、二〇〇五年秋の新宿は新宿通りの片隅にいて。
一人、途方に暮れていた。
………………龍斗は、『少々』、人とは違う質
彼の言葉を借りるなら『皆
『ヒト以外の全て』のモノの意思を受け取ることも出来る。
要するに、生まれついてのシャーマンのような男なのだ。
但、この、ヒト以外の全ての声が聴こえ、意思を受け取ることが出来るという質を持って生まれてしまった所為で、彼には、人の声が『遠く』、人の想いが『遠い』。
『皆』の声が『大き過ぎる』から。
『皆』の想いが『近過ぎる』から。
目の前にいる相手に話し掛けられても、『皆』の声に打ち消されてしまって、何を言っているのかさっぱり判らなかったり、感情をぶつけられても、『皆』の想いとは違い過ぎて、どう返せばいいのか判らなかったり、ということが頻繁で、意思や自我の弱い人間との会話は、通訳がいなければ、ほぼ不可能。
そういう相手の声や言葉は、『皆』のそれには決して勝てないから、彼にとっては、繁華街で流れているBGMと同レベルなのだ。
勿論、声も想いも『遠くない』者達が龍斗の傍には沢山いてくれるし、運命のお相手の彼ともそんなんだったら、彼の運命の男は、そもそもからして運命なぞにはなっていないので、そこの処はノープロブレム、なのだけれども。
彼とて、その気になれば、『皆』の声も想いも、自身の意思で遠ざけることが出来るし。
…………だが、そんなこんななもんだから。
彼が頻繁に会話を交わす相手は、彼の運命のお相手である『彼』や、彼が心を許した者達や、意思も自我もしっかり持っている者達以外では、精霊の皆さん達ばかりで、しょっちゅう話し掛けてくる精霊の皆さんと、和気藹々、話に花を咲かせてしまう彼は、一歩家を出た途端、迷子と化す。
精霊の皆さんとの会話に興じる余り、道も場所も時間も、ロストしてしまう。
ノリとしては、インカムのヘッドホン越し、大音量で話し掛けてくる相手と延々会話をしながら、周囲の状況も時計も見遣ることなく、例え車に牽かれそうになっても、ひたすらひたすら、何処までも歩いて行く人物を想像して頂ければ宜しい。
………………そう。
龍斗が今、一人きりで途方に暮れている理由は、そういうことなのだ。
直ぐに迷うんだから、一人では余り出掛けるな、と周囲の者達から言い付けられているにも拘らず、ほてほて出掛けてしまった龍斗は、案の定、迷子になっているのだ、幼稚園児のように。
新宿駅近くで、龍斗が盛大に迷子になったその日の、三日程前。
龍斗の運命のお相手であり、対外的には神夷京士浪と名乗っている、本名の方は蓬莱寺京梧という、生まれてからこの世で過ごした年月だけを数えるなら御歳四十六歳の、でも肉体のご年齢や見た目は三十八歳前後の、実年齢はきっぱりはっきり謎、ってな剣術馬鹿の彼は、愛の巣に龍斗を残し、お仕事に出掛けた。
刻を駆けてまで後を追って来てくれた龍斗と再会するまで、京梧は、京梧の子孫であり剣の弟子でもある青年に曰く、宿無しの穀潰しな生活をしていたらしいが、「性別は男」の部分だけを無視すれば、嫁、と例えても多分きっと差し支えない龍斗と共に暮らすようになってより、それなりには真っ当に働き始めた。
一家の大黒柱たる者、働いて、おまんまの種を稼いで来なかったら嘘だ、ってな自覚が出来たのだろう。
だから、片付けるまで二、三日は掛かる仕事に京梧は一人赴いて、龍斗は留守番をすることになった。
本当は、京梧の仕事にくっ付いて行って手伝いをしたい、と龍斗は思っていたのだけれど、現代にやって来て五ヶ月程度しか経っていない彼には、未だ、仕事に挑むには支障があったから。
そういう訳で、京梧のいない家は寂しい、とか何とか思いつつ、龍斗は留守番を務めた。
…………初日は、何の問題もなかった。
前日に京梧と二人買い物を済ませていたから、冷蔵庫の中身はパンパンで、一歩も家から出ずとも楽勝だったし、彼等が借りているマンスリータイプのマンションの部屋のベランダを訪れる小鳥だの、マンションの庭に侵入してくる野良猫だのと言った『皆』──動植物も、『皆』の内である──が話し相手になってくれたから、退屈もしなかった。
家の中を磨いたり、洗濯をしたり、という仕事もあった。
二日目も困らなかった。
買い出しに行く必要はこれっぽっちもなく、開け放った窓から流れて来た風や、夕方近くに少しだけ降った俄雨が構ってくれた。
でも、家事は片付けてしまっていたから、余りすることがなくて、一寸彼は退屈だった。
そして、三日目。
余りにも天気が良過ぎた所為か、動物達は遠出をしてしまったようで、訪れるモノはいなかった。
草木は、陽光を浴びるのに忙しい風だったし、風も水も、皆、昼寝を決め込んでしまって、会話にならなかった。
だから龍斗は、テレビを点けてみた。
見てもよく判らないし、うるさい、と思うことが多いから、彼も京梧もテレビは余り見ないけれど、時折やっている時代劇は嫌いではなかったし、落語や歌舞伎は好きだったから。
でも、その日の午前中は、時代劇も落語も歌舞伎も放送していなくて、うるさいだけだ、とテレビを消した龍斗は、時計に目を走らせた。
京梧が帰って来るのは夕方の予定で、でも、その時、時計の針は、午前十時半過ぎを指していて。
かなり時間があるから、近所に散歩にでも行こう、と龍斗は立ち上がった。
夕餉の材料には困らぬが、疲れて帰って来るかも知れない京梧の為に、少し美味い物を拵えたいから、店を覗きに行ってもいいし、近所を一周するくらいなら、迷うこともないだろう。
私とて、もう、ここに五月も住んでいるのだから。
……と、そう思って。
……………………けれど。
それは、激しく間違いだった。