今様式の支度──洋装、という奴は、動き易くて好きだ、と龍斗は思っているから、遠目からは黒にも見えるジーパンと、薄手の真っ白なシャツ、という、二十一世紀の世に下り立った日にいきなり出会ってしまった彼の子孫の青年が調達して来てくれた簡素な服を、抵抗もなく着込んで、ポケットに財布だけを突っ込み。
いざ往かん、徒歩五分の『すーぱー』へ!
……とか何とか、普通なら絶対に必要無い気合いを迸らせて、一歩家を出た途端。
『お出掛け?』
マンスリーマンションの玄関脇の花壇に植わっているコスモスに、おっとり、とした声で話し掛けられた龍斗は、その瞬間、ほわん、と表情を崩して、踏み出したばかりの気合い込めた足も止め、言葉を返した。
「ああ。一寸そこまで出掛けて来る」
『一人で大丈夫? 気を付けてね?』
元々から彼は、彼を知る全ての者に、日溜まりが人の形を取ったらこうなる、とか、春風の化身みたいだ、とか、茫洋が過ぎる、とか、異口同音に例えられてきた、年がら年中ボーーーーーーーーーーーー……っとしている風に見える、『おっとり』にも程があるだろう、ってなタイプなので、決死の覚悟を頬に浮かべつつ出掛けようとしていた龍斗が、にへら、と顔を笑み崩したのをコスモスは気にも留めずに、これ又のんびり話を続け。
「有り難う。気を付けるから大丈夫だ」
『ええ。……あ、そうそう。あのね、この道を北の方に真っ直ぐ行って、三つ目の角を曲がって少し行った家の庭の梅擬がね、今年はもう、実を付け始めちゃったんですって。昨日、三軒先のポチが、散歩の時にそんなこと言ってたの。本当なら、梅擬が実を赤くするのは、霜月の頃でしょう? だから、頑張って、って言いに行ってあげてね?』
コスモスは、これっぽっちの悪気無く、そんなことを言った。
「そうなのか? なら、行って来よう」
……なので。
家から徒歩五分のスーパーに行って、一寸した買い物をして戻って来るつもりだった龍斗は、当初の心積もりをコロっと忘れ、コスモスな彼女に言われた通り、スーパーとは真反対の方角の、真北目指して歩き始めた。
そんなことばっかりしてるから、一歩家を出た途端、道に迷うんだ! と、耳にタコが出来る程、延々と京梧に説教を喰らい続けているのに、相変わらず、これっぽっちの学習も出来ていない彼だった。
真北目指して歩いて、三つ目の角を右に曲がって少し行った所にある家の庭に『居る』、コスモスが言っていた梅擬の許に辿り着いて挨拶をした龍斗は。
『そう言えば、あそこの通り向こうの杉の木達が拗ねていたわよ。最近、貴方が来ない、って。桜の木達もお冠だったわね。冬になって、眠らなくてはならなくなる前に、顔を見せに来い、ですって』
暫しの歓談の後、梅擬にそう言われ、そうか、と誠に素直に、やっぱり京梧には、迷うから絶対に越えるな、と言い付けられている大通りを、さっくり、と渡った。
渡っちゃ駄目だってのに渡っちゃった、通りの向こうの杉の木達や桜の木達に挨拶をしたら、今度は、あっちの雀が、と言われて、何処までも素直に雀に会いに行ったら、そっちにある小さな公園のコオロギが、と言われて、果てしなく素直に、小さな公園を訪れて……──以下略。
…………兎に角、そんなこんなを繰り返しながら、龍斗は、道行く彼の姿を見掛け、先を争うように話し掛けて来る『皆』全てと言葉を交わしつつ、あっちにふらふら、こっちにふらふらを、本当にどうしようもなく続けまくった。
……その頃にはもう、正午となっていたが、時間など気にせず。
徒歩五分、のスーパーに行くつもりだったのも、綺麗さっぱり失念したまま。
二十数年前には共に肩を並べて異形と戦ったこともある、昔馴染みの鳴滝冬吾から依頼された──正しくはもぎ取った──『一寸した仕事』は、その日の午後に終わる予定だったが、思っていた以上に簡単で、又、上手く事が運び、前日の深夜に片が付いたので。
龍斗が、新宿の町をふーらふらと彷徨いながら『皆』と話し込んでいた頃、帰宅した京梧は、家の玄関ノブに手を掛けていた。
「おーーい。ひーちゃん? 龍斗? 帰ぇったぜー」
マンションの外廊下から声を掛けつつ、彼はノブを回したが、扉は開かなかった。
「ん……?」
家を空ける際は流石に施錠をするけれど、京梧か龍斗の何方かでも在宅している限り、その家の玄関に鍵が掛けられることはなく、だから彼は、鍵も取り出さずに中へ入ろうとしたのだが、ドアは、ガチャガチャと鳴るのみで、中からは誰の気配もせず。
「出掛けてるのか?」
おや? と京梧は首を捻った。
「こりゃ、マジで出掛けたっぽいな。…………おいおい。一人でか?」
だが、気配でなく氣をも探っても、室内は無人、という以外の答えは得られず、あいつでも迷わねぇ程度の近所に行っただけならいいんだがな……、と彼は渋い顔を作った。
「あれ? シショー?」
「あ、京梧さん?」
龍斗とは違い、どうにも洋装が肌に合わぬ為、何時まで経っても着物を着るのを止めようとしない京梧が、鍵を突っ込んである懐に手も入れず、ドアの前に馬鹿のように突っ立っていたら、×○スーパー西新宿店のビニール袋をぶら下げた、京梧の子孫の蓬莱寺京一と、龍斗の子孫の緋勇龍麻が、二人揃ってやって来た。
「……何だ。お前等か」
「何だってな、随分な言い種じゃねえかよ。あんたが、仕事に出掛ける前日に、龍斗サンが三日ばっか一人で留守番することになったから、様子見てやってくれ、って言って来たから、こうして来てやってんだろうがよっ」
「まあまあ、京一。──本当は、昨日に顔出したかったんですけど、俺達も、壬生とか御門とかに頼まれちゃったことがあって、そっち片付けてたんで、今日しか来られなかったんですよ。京梧さん、帰って来るの夕方だって話でしたから、龍斗さんと、三人でお昼でも、って思って。……って、随分早かったですね、京梧さん」
「ああ。案外、楽な話だったんでな。予定より早く片付いちまったから、とっとと帰って来たんだが……、龍斗の奴、どっか行っちまったみたいで、いねぇんだよ。例の如く、迷子になってなきゃいいんだが」
玄関前でばったり行き会った、不肖の馬鹿弟子であり不肖の子孫である京一と、龍斗とは、一寸歳の離れた兄弟、としか思えぬ見た目な龍斗の子孫の龍麻に、口々にああだこうだ言われ、
「あー、そう言えば、出掛ける前に、そんなことを頼んだようなー……」
と、放り出しておいた記憶を辿った京梧は、漸く鍵を取り出し玄関を開け放つと、手にしていた小さな荷物を放り投げて、暫し、ジーーーーーー……っと室内を眺めてから、入るでなし、バタム、とドアを閉めた。
「シショー? 入んねぇのかよ?」
帰宅したばかりだと言うのに、ちょっぴり不可解な行動を取った京梧に、京一は首を捻り。
「ちょいと、氣、探ってみたんだがな」
「え、氣? 誰のですか? 俺達のじゃないですよね? 意味無いですもんね」
氣がどうたら、と言い出した彼に、龍麻は、何で? と素朴に問うた。
「誰の……って、龍斗の」
「…………? 龍斗サン、何処にもいねえじゃん。惚けたのか? 馬鹿シショー?」
「この歳で惚けて堪るか。お前の方こそ、寝惚けたこと言ってんじゃねえぞ、馬鹿弟子。──だから。匂いで言うなら残り香みてぇなモンが、氣にもあるだろうが。それを探っただけだ。……あいつ、出掛けてから結構経ってやがんな。……ってことは、やっぱり迷ってるってことか……」
でも京梧は、自身の血を目一杯受け継いだらしい、どうしたって口が悪くて、幾つになっても師匠には突っ掛かりたいらしいお年頃な『馬鹿弟子』を一睨みしてから、さらっと、そんなことを言った。
「えーーーー……っと。……氣にも、残り香みたいなものがあるっていうのは、俺にだって判るし感じられるけど……。……だからって、それが何時のものだとか、そこから、龍斗さんが出掛けてどれくらい経ってるか、とか、何で判るんだろう……。…………京一、そんなこと出来る?」
「氣に関しちゃ俺よりも敏感なお前に出来ねえことが、俺に出来る訳ねえだろ? そりゃ、俺だってその気になれば、氣の『残り香』とか感じられねえ訳じゃねえし、相手がお前なら、多少は何とかなるかもだけど……」
「だよねえ……。俺だって、京一が相手なら、少しは何とかなるかもだけど……」
「……ま、気にすんな、ひーちゃん。シショーには、龍斗サン探知レーダーが付いてるってことだろ。ってか、そういうことにしとこうぜ」
「…………そうだね。うん、そうしといた方が、俺達の心には優しい」
さも、何でもないことのように京梧が告げたのは、二〇〇五年から遡ること六年程前、「この世界を陰の世界に塗り替えてやるんだー!」ってな馬鹿な野望を抱えていた柳生崇高をもぶっ飛ばして世界を救ってみせた、今生の黄龍様でもある龍麻と、今生の剣聖殿でもある京一をして、「は?」と言わしめるようなことで。
持って生まれちゃった宿星と、培っちゃった修行の所為で、氣とか、そういうことのスペシャリストでもある──因みに、龍麻も京一もオツムの方の出来は余り宜しくないので、実戦専門のスペシャリストだが──自分達でも出来ぬことが、幾ら初代の剣聖殿とは言え、何故、京梧には出来るのだろう、もしかして、俺達って修行不足? と思わず二人は落ち込み掛けたが、きっと、常々疑っていた通り、京梧には、龍斗専用の探知レーダーが備わっているからなのだろう、との結論で、彼等は自分達を納得させた。
実際、京梧には龍斗専用の、龍斗には京梧専用の、探知レーダーが本当に備わっているっぽいし。
────という訳で。
修行不足? と落ち込んでしまいそうな自分達を何とか宥めた龍麻と京一は、「で、どうするの?」と京梧を見遣った。
……何となく、この後の展開は見えてるけれど。
んで以て、その展開に、確実に自分達は巻き込まれるんだろうなー、ってのも見えてたけれど。
「ほんで? どうすんだよ、馬鹿シショー」
「……あれ、ですか?」
「当たり前だ。捜しに行くしかねえだろうが」
すれば、どうせ……、と子孫な二人が思った通り、京梧は、確実に迷子になってるだろう龍斗を捜しに行く、と言い出し。
「だと思った……」
「俺も。……龍斗さん、遠くに行っちゃってないといいですねえ……」
やっぱりなー、そうなると思ったんだよなー……、と項垂れつつも、京梧も龍斗も見捨てられない人の良い子孫達は、さっさと歩き出してしまった京梧の後を、慌てて追った。