9.依頼はパーフェクトに act.1
トゥーリバーで繰り広げられた、ハイランド軍第三軍団の、キバ親子との戦いを乗り切り、同盟軍のリーダーである少年が、落とされたグリンヒンへ潜入する為に、本拠地を発って暫くした頃だった。
ラダトの街で事務所を開いていた、今は、同盟軍に与する探偵、リッチモンドは、一週間程前、同じ街に居を構えていた誼に免じて、どうしてもやって貰いたい事がある、と、腹の中に逸物も二物も隠した様な笑みを湛えた正軍師に頼まれた仕事の報告書を抱えて、アダリーとか云う、サウスウィンドゥのマッドサイエンティストが拵えたエレベーターなる代物に乗り込んだ。
正規の依頼料さえ支払って貰えれば、どんな依頼であろうとパーフェクトにこなす自信はあるし、確かに今回もそうしたが……と、三階にある軍師シュウの部屋に向かいながら、リッチモンドは軽い溜息を吐く。
銜えた煙草が、今日はどうも、苦かった。
あの軍師は、何を考えてこんな依頼を……と云う思いが、どうしても、消せない。
依頼人の事情と云う奴を、詮索する様な下衆な三流探偵ではないと信じているから、向こうが抱える都合などに、興味を示さない様に努力はしたが、今回ばかりは、如何なリッチモンドと言えども、シュウに対する不信感の様な物を、押し殺す事が出来なかった。
──悩む内に。
エレベーターは、早くも三階に到着し、チンと、口を開き、彼を吐き出す。
溜息付き付き、リッチモンドは、覚悟を決めて、シュウの部屋のドアを叩いた。
「開いている」
ノックの音に、感情を読み取れない、冷たい返答が返って来た。
「邪魔するよ」
報告書を抱え直して。
リッチモンドは室内に踏み入った。
もう、午後の陽射しも柔らかくなった時間帯。
何かと忙しい軍師は、机に向かって執務中かと思いきや、開け放った窓辺に腰掛けて、子猫を膝に抱えていた。
…おや、意外な光景だ、と、喉元まで出掛かった言葉を飲み込んで、探偵は、依頼人に歩み寄る。
「先週、あんたに頼まれた依頼の報告書、届けに来たぜ」
リッチモンドの声に、外界の景色を見やっていたシュウが振り返るよりも早く、膝の上の猫が、首を擡げた。
「ニァウ」
「…お前に言ってんじゃないんだよ、俺は」
まるで、シュウの代理に応えた、と言わんばかりの子猫に、リッチモンドは云う。
「手間を掛けさせたな」
漸く、訪問者を見やったシュウが、一応の労いを放った。
「別に。それが、俺の仕事だから、礼を言われる事じゃないがよ。…………こんな事…聞くのは野暮だって、判っちゃいるんだが…。あんた…そんな事を知って、どうするんだ?」
「…依頼人の都合には、興味を示さないのが、探偵の信条じゃなかったのか?」
「………ご尤も」
ついつい、好奇心に負けて、依頼者の事情を尋ねてしまった探偵に。
シュウは、やはり抑揚のない声で、釘を刺した。
仕方なし、リッチモンドは、肩を竦める。
「あんまり、良い趣味たあ云えないぜ?」
「余計な世話だ。お前が何を思おうと勝手だが。他言は無用。それだけ守ってくれればいい。……言われなくとも、判っているな?」
「愚問だね。全ての事を、パーフェクトに。それが俺のモットーだ。………だが……あんた……ルカ・ブライトの過去から身辺から、全て調べ上げて、何に利用しようってんだ?」
「探偵が、気にする事じゃない」
「……へーへー。…そりゃあ、申し訳ございませんでしたね」
取り付く島もありゃしない。
…何処までも、冷淡で素っ気ないシュウの言動に、深く深く、せめてもの厭味の代わりに大仰に溜息を零して。
よれよれのコートのポケットに両手を突っ込みながら、リッチモンドは踵を返した。
「よお、処でさ」
「…未だ、何か用か?」
出口に向かいながら、ふと振り返った探偵に、既に目を通し出した報告書から視線を逸らせず、シュウは云う。
「あんたに、愛玩動物を飼う趣味があるとは知らなかったんだが。…その猫、何て名前だ?」
「…何故、そんな事を聞く?」
「……この城の中で、戦争の事情以外で俺が知らない事があるってのは、気分の良い話じゃねえからさ」
「……………『猫』、としか、呼んでいないが」
「ああ…そうかい……」
随分と可愛がっている風なのに、名前も付けてないのかよ、と、内心でリッチモンドは呆れながら、今度こそ、軍師の部屋を辞した。
「ナァ………」
未だ、この子猫に名前はない、と。
去って行った探偵に告げた事が、気に入らなかったのか。
抗議する様な声を、猫が上げた。
何時になったら、自分に名が付くのだ、と。
「……その内に、な…」
その子猫が、人間の言葉を理解していると、心から思っているのか。
大層珍しい事に、弱冠の申し訳なさを声に滲ませて、そう云いながら。
シュウはそれでも、リッチモンドが届けた、ルカ・ブライトに関する報告書から、目を逸らそうとはしなかった。
──たっぷり、小一時間程の時間を掛けて、厚みのある書類に目を通し。
満足そうな笑みを、彼は浮かべた。
「同情には値するが。だからと言って、戦争の名を借りた大量虐殺をしても良い、と云う道理は通らぬ。だが……これは、使えるかも知れないな…」
やれやれ、人手が足らぬと、軍師である自分さえも、『実働部隊』に回らなくてはならないのか、と。
トンと、自分で自分の肩を叩きながら、膝の上から猫を落として、シュウは執務机の前に戻った。
報告書を机の引き出しの奥底に仕舞い、今度は、現在、同盟軍に参加している主立った人物のリストを広げる。
「………こればかりは…誰かに頼る、と云う訳にもいかないか…。ホウアン殿に頼む訳にもいかぬし…。かと言って…早馬を飛ばして私がラダトに戻ったら…目立つしな。さてさて、どうしたものか」
暫くの思案をした後。
多少の時間は掛かるが、これしか方法はないか、と、彼は、紙とペンを取り出して、一通の書状を認めた。
ラダトにある己の家を、今でも守っているであろう、忠実な使用人に宛てて。
「さて、これで当面の小細工は、済んだ」
手早く認めた書状に封をすると、シュウは、一つ伸びをして。
大分遅い昼食を食堂で取る為に、席を立った。