13.咆哮の中で
薄い、蒼の様な紫の様な色に、銀色を滲ませた様な、そんな色調の輪郭をした異界の獣が。
甲高く、尾を引く咆哮を、何時までも何時までも上げ続ける中。
ルカは、こみ上げる笑いを堪えるのに、苦労していた。
もうすぐ義弟となる、たった一人の少年の裏切りによって、呆気なく陥落したミューズの街。
魂の底から憎んだ、都市同盟の盟主だった街。
その街に住まった者達が皆、『獣の紋章』から生まれ出る物の怪に、捧げられて行く。
魂を屠られ、肉体を失くし、滅びて行く。
こんなに楽しい事が、未だかつてあったろうか。
「……そうか。別に、笑いを堪える必要など、ないのだな」
何に遠慮し、何に憚って、腹の底からの笑いを自分は堪えていたのかと、それすら堪らなく可笑しくて。
とうとう、ルカは大声を挙げて笑った。
何時しか、幾多の魂を飲み込んだ、獣の姿が掻き消えても。
ジョウストンの丘に響き渡る、ルカの狂った様な笑いは、絶えなかった。
やがて、一歩下がって、隣に控える少年ジョウイが、何か物言いたげに、見上げてくる視線に気付いて。
ルカは漸く、けたたましい笑いを止めた。
微かに顔を持ち上げて、こちらを見やる少年が、何を云わんとしているのか、彼には薄々、察しが付いた。
静かな色を湛える瞳の奥に、義憤と憤りと、非難の想いが見え隠れしているのも、判っていた。
けれど相手は、想いを言葉にはしようとしなかったから。
ひょっとしたら、自分と同じように、父親、と云う存在に負の感情を抱いているかも知れないこの少年なら、己が体を駆け巡る、堪えきれない焦土を、幾許かでも共有してくれるかも知れないと、淡い期待を抱いて、ルカはジョウイに言葉を掛けてみた。
だが、聞き及んだ、彼の父が義父であると云う噂を取り沙汰してみても、少年は、父が自分を育ててくれた事に、感謝している、と云う、ルカにしてみれば、偽善と例えるしかない台詞が、返されただけだった。
「フン……まあ、それもいいさ……」
苛立ちを募るだけのジョウイの言葉に、ぽつり、ルカは云う。
期待した自分が間違いだったのだ…と。
彼はミューズの空高くを見上げた。
──判る訳がない。
きっと、誰にも判らない。
理解して欲しい、そんな甘い感傷など、気紛れにも抱えた事は、数少ない。
己が狂っていく自覚があって。
けれど、この身を巡る焦土と疼きから逃れる為に、狂っていく事を止められないでいる、そんな想いの源など、きっと誰にも…理解など、出来ない……。
──幸せ、だったと思う。
少なくとも、あの出来事が起こるまでは。
暖かな家庭、と云う枠の中で、生きていたのだ、とも思う。
けれと、あの悲劇が、全ての世界の色を、塗り替えてしまった。
幸福も、暖かさも、彼方の世界に消えてしまった。
決して……そう、他人の耳には矛盾と聞こえるかも知れないが。
誰かを、恨んでいる訳では、ない……。
憎んでも憎みきれぬ程…蛮族の途を、呪っている訳でもない……と思う。
恨んでいるのは、恐らく己自身だ。
呪っているのも、恐らくは、己だ。
そして。
悲劇の果てに生まれた、たった一人の妹を、不憫に思っている訳でも、愛している訳でもない。
今は亡き母の、痛ましい姿を忘れられずに、涙を零す訳でも、ない。
ならば何故、お前は人を殺すのだ、と、そう尋ねる者がいるだろう。
だが、その様な事、尋ねられても、困る。
もう自分にも、判らなくなってきているのだから……。
…仕方ないではないか……。
もう…己が心は…如何な憎しみへも、如何な愛情へも、傾く事がないのだから。
なのに、焦土だけは。
疼きだけは、この身から消え去る事が、ないのだから。
蛮族の使途を恨む振りをして、憎む振りをして。
人の生き血と肉を屠って、魂を食らわない限り。
この焦土も疼きも、消えそうにない。
だから……だから、人を殺しているだけ………────。
多分……そう云う事なのだ、と思う。
「ふ……」
良く晴れた、ミューズの空を見上げて、ルカはそんな事を思って。
薄く、笑った。
嘘だ。
嘘を吐いている。
俺は、自分で自分に、嘘を吐いている。
馬鹿馬鹿しくて、下らぬ、偽り。