35.アレとの関係 act.1
思うがままに生き抜いた、と。
今際の際にそう告げて、死出の旅路に発った男を。
人々は、暫しの間、夢の中の出来事であるかの様に見詰め。
「俺達は……ルカ・ブライトに……」
「勝った…のか……?」
実感として捕らえる事が難しい現実を、言葉にする事で確かめ合い。
全員で迎えた一瞬の沈黙の後。
彼等は、咆哮にも似た勝鬨を上げた。
「勝ったっ! 勝ったんだよな、俺達っ」
「ええっ。あの、ルカ・ブライトにっっ」
先程、躊躇いがちに呟かれた、勝利を確認する声とは違い、確かな喜びと、現実の手応えを掴んで、彼等は勝ち得た事を噛み締め合う。
「やったなっっ。大した奴だよ、お前って奴はっっ!」
そしてそのままの勢いで、同盟軍の戦士達は、ルカを討ち取った盟主を取り囲んだ。
「……シュウさん。『亡骸』……どうするの……?」
が、少年は、大将首を取った喜びなど微塵も表さず、じっと、シュウを見上げる。
「……ルカ・ブライトの亡骸、ですか?」
「うん」
「それなら……──」
「──首を、落とすんだろ?」
少し、瞳を曇らせて、見上げて来た少年に、遺体の行方は決まっていると、シュウは云い掛けたが、誰かがあっさり、それを遮った。
「…………そうなの?」
討ち取られた大将の首は晒されるものだと告げた、誰かの声を受け。
少年は顔色をも曇らせる。
「いえ。そうは致しません。棺に納めて、ハイランドの皇都、ルルノイエへ送り届けます」
どうしてこの少年は、こんなにも苦しそうな顔をして、『ルカ』の行く末など案じるのだろうと、不思議に思いながら。
シュウは答えた。
「どうして? そんな必要ないだろう? あのルカだぞ、ルカっ」
「俺もそう思う。あいつの悪行に、礼で答えてやる必要なんて、ないんじゃないのか?」
──ルカの亡骸をどうするか。
それに関する彼の考えに、異議を申し立てたのは少年でなく、ビクトールとフリック。
その必要はない、と、主張しつつ。
しかし、もっともな異議の一つだ……と、内心ではシュウ自身も頷き掛けそうな意見に、彼は首を振った。
「ハイランドの理不尽に屈せぬ為に立ち上がった同盟軍が、狂皇子と同じ事をする必要はない。狂った皇子に対してさえも、慈悲を与えられると示すのも、手の一つだ。……人の心と云うのは、そうやって掴んだ方がいい場合もある」
「…………成程、ね。大将首の利用方法は、一つじゃないって事か」
「だが……棺なんて……」
「それなら、用意してある。負けるつもりで、この戦いに挑んでなどいないからな」
告げつつも、若干詭弁か? と胸の中だけで苦笑した言葉に、それでも人々は頷きを返したから。
さらりとシュウは、話を続けた。
「大した自信家だよ、あんたは。──ま、いっか。兎に角、疲れたよ。戻ろうぜ、俺達の城に。折角、ルカも倒した事だし。ここは一つ──」
「──宴会、と行くかっ」
暗に、後始末の段取りは付けてある、と云ってやれば、彼等はもう、少年を取り囲み、本拠地へと踵を返し出したので。
ぞろぞろと歩き出した彼等の後ろ姿に安堵し。
「……ああ、ルック」
「…何さ」
もう残り僅かな今宵を使い切って、祝杯を上げる為、束の間の休息を得る為、住処へと戻り始めた人々の中に混ざる、魔法使いの少年を、さも、今思い出した様な感じを装い、シュウは呼び止めた。
「頼みが、あるんだが」
「……? 珍しいね、命令じゃなくって、頼み?」
呼び止められた、余り口の良くない少年は、訝しげにシュウを見上げる。
「私の云う事だ、どちらも似た様なものさ。──紋章を使って、あれの亡骸を凍らせる事は出来るか?」
疑い深げな瞳に、臆する事もなく、シュウは告げた。
「アレ? ああ、ルカの死体? 出来なくはないけど、又、何で?」
「もう、こんな時間だから。あの遺体をルルノイエに送る手配が整うのは、明日以降になってしまうだろう。が、今は夏だからな。道中、腐られても困る。腐乱した肉の固まりと骨を向こうに届けるだけでは、ハイランドと同盟軍の差を、知らしめる事は出来ない」
「ふーん……。そういうもの? ま、どうだっていいけどね。仕方ないから、やってあげるよ。僕はもう戻るから、準備出来たら呼びなよ」
「そうさせて貰う」
ルックは、シュウの説明に、何処までも訝しげな顔を崩しはしなかったが、元来、他人と関わり合うのを嫌う傾向にある彼は、興味対象外だからどうだっていいさと、最後には承諾を見せて、随分と先に進んでしまった仲間達の後を追うべく、シュウに背を向けた。
人々へと追い付く為に、ルックは瞬きの魔法を用いたから、魔法の気配と、光と、風の揺らぐ音と共に、シュウの目の前から、掻き消える。
「瞬きの魔法で棺桶が運べるなら、苦労はしないんだがな…」
たった今まで、ルックが立っていた、今はもう何者も存在しない空間を見詰め、ぼそり、シュウは呟き、踵を返し。
こと切れたままの姿で打ち捨てられた、狂皇子の亡骸、その傍らに立った。
後始末の為に、今宵の決戦場に居残った兵士達が、辺りを行き来する中、唯、立ち尽くして、彼は亡骸を見下ろす。
ルカの体はうつ伏せの姿勢で大地に倒れ込んでいるから、伏せた面が如何なる死に顔をしているのか、見下ろすシュウには窺えなくて。
触れたい……と、彼は思った。
今この場に跪いて、手を掛けて、もう二度と瞼開かぬ顔を眺めて、そして。
……そして?
────けれど。
ルカの顔を覗き込んだ後、自分が一体何をしたいのか、掴みかねた彼には、亡骸へと跪く事も、冷たくなった体に触れる事も出来ず。
言葉一つ、生む事も出来ず。
この決戦が始まる前、己が整えた手筈に従って、兵士達が、敵大将の遺体を、棺に納めて運んで行っても、微動だに出来ず。
視界の端を、確かに掠めた筈の、ルカの面差しも、霞んでしまって、良くは見えなかった。