37.アレとの関係 act.3

ルカ・ブライトがこの世から消えたとは云え。

ビクトールにしてもクラウスにしてもリッチモンドにしても、云いたい事は色々あるのだろうし、未だに勘繰っている事もあるのだろうから。

例え僅かの間でも、平然と、何時も通りの己で、広間には顔を出した方がいいのだろう、そう思いつつも。

今宵が命日となった男と共に、『お終いの日』を過ごした丘上から本拠地へと戻っても、シュウは、思い通りの事が出来ず。

ルカの亡骸を、明日まで安置する事になった墓所にて、立ち尽くしていた。

時折、見張りの兵士が入り口付近を通り過ぎる以外、誰も訪れぬその場所は、冷たく、暗く、『重く』。

蓋が開けられた棺を、シュウは静かに見下ろし続けた。

漸く、瞳に映す事が叶う様になった、ルカの死に顔。

亡骸の面は、一切の表情がなくて……でも、何処か安らかそうに見えた。

棺に納められて尚且つ、己が言い付けた通り、ルックが施してくれた魔法の力で、うっすらとした氷の膜で被われているから、『触れる事』は叶わなかったし、又、触れよう、とも思わなかったけれど……何故か、立ち去り難く。

長い……長い間。

もう、どれだけそうしているのか、シュウ自身には判らなくなる程長い間、唯、佇んでいただけの彼は。

叶う訳でもなく、望んでいる訳でもないのに、もしかしたら自分は……と、開いた棺の中に収まる、凍り付いた亡骸へと、そっと手を伸ばした。

身を屈めた訳でもなく、跪こうとする訳でもなく。

馬鹿みたいに真直ぐ手を伸ばしてみても、指先が、ルカへと届く訳でもないのに。

彼は手を伸ばして。

「……あ…」

どうするべきかと躊躇った瞬間、お終いの日の夜に覚えたむかつきが、胸を遡って来るのを知り。

墓場の隅にうずくまって彼は、込み上げる物を吐き出した。

濁った、水の様な吐瀉物が、辺りに散り。

『神聖』な墓場を汚しても。

吐き出す物などなくなっても。

動く事が出来ず。

「そこにいるのは……シュウ殿? シュウ殿? どうされたのですか?」

彼を探しに出たマイクロトフに、肩を揺すられた時には、このまま醜態を晒すなんて、冗談じゃないと思いながらも、意識を手放し倒れ込むしか、彼には出来なかった。

「ホウアン先生、一寸」

例えめでたい夜であろうと、傷付いた患者達はいるのだから、宴会に付き合う訳にはいかないと、懸命に断わったのだけれど、それでも、服の裾や袖を掴まれ、強引に混ぜられてしまった宴会の席で、溜息を付いていた医師は、カミューに呼ばれ、これ幸いと立ち上がった。

「どうかしましたか?」

はて、彼は、先程、親友の騎士と青雷の傭兵と、出て行った筈なのに、一体何があったのだろうと、首を傾げながらも、ホウアンは、手招かれるまま、廊下へと出る。

「……ってーな。何だよっっ」

「いーから、一寸来いっっ」

馬鹿騒ぎの中心になって騒いでいたビクトールも、カミューと共に戻って来たフリックに引き摺られているのが見えたから、盟主の具合に急変でも、と、ホウアンは若干、顔色を変えたが。

騒がしい喧噪を遮る様に、バタリと閉められた広間の扉の前にて。

「どうしたんです?」

「実は……シュウ殿が」

カミューに囁かれた事に、ホウアンの顔色は、訝しげなものへと変わり。

「シュウが、どうしたって?」

彼と共に宴会場から引き出されたビクトールの声音も。

「……今日の戦いでは、シュウ殿には怪我一つなかったと思いますが?」

誰も気付かぬ内に、その輪に混ざっていたクラウスの声も、酒宴の事など綺麗さっぱり拭い落とした、冷静なそれへと移った。

「それが……。マイクロトフの話では。嘔吐している所を見掛けたんだそうですが……そのまま、倒れてしまわれたようで……」

本来、ホウアンだけがいれば事足りた筈なのに、やけに人数が膨れ上がってしまった一団を、シュウの部屋へと促しつつ、歩きながらカミューが説明を始めた。

「怪我ではなく…病、ですか?」

「さあ、それは、我々には何とも……。──マイクロトフと、『何故かは知りませんが』、騒ぎを聞き付けてやって来たリッチモンド殿が、シュウ殿の部屋の方に運んで、付き添ってる筈です」

事情は判らないが、の部分に、やけに力を込めつつ、ちらりとビクトールを見遣りながら、彼は話を続ける。

「そうですか。取り敢えず、看てみない事には何とも。…まあ、幸い、皆さんが解放してくれなかったお陰で、診察道具も持ったままですしね」

カミューの話にホウアンが頷き。

「……殺したって死なねえタマだがなあ、あいつ」

ビクトールは、意外そうに呟いた。

「マイクロトフ。入るよ」

──そうこうする内、どやどやと廊下を進んだ一団は、シュウの部屋へと辿り着き、付き添いの、マイクロトフとリッチモンド、ベッドに横たわったままのシュウ、そして、主の枕元から離れない、子猫、と対面する。

「未だ、気付かれてはいませんね。……診察を始めますので、皆さんは、退いていて下さい。フリックさんが、ビクトールさんを引き摺って来たと云う事は、将の皆さんには色々、話し合う事があるからでしょう?」

はい、貴方も、と。

入室するなり、人々を退けて患者の枕元に立ったホウアンは、邪魔です、と人々を追いやり、猫を抱き上げて床へと降ろし。

医師としての仕事に取り掛かった。

「……仰る通りで」

故に、邪魔者扱いされた残りの一同は、所在なげに部屋の隅へと固まったが。

彼等に医者の手伝いが出来る訳ではなかったし、ホウアンが云った通り、ルカを倒したばかりの夜、盟主に続き、正軍師までが倒れたとなると……と、それぞれ、適当に座る場所を探すと、これからどうするべきかを、話し始めた。