40.動かぬ日々
ルカ・ブライト、と云う存在が、世界から消えても。
シュウの送る『日々』は、毛筋程の変化も、見せなかった。
ハイランドでは、ルカ亡き後、盟主の親友だったジョウイ・アドレイド──現・ジョウイ・ブライト、が皇王の座に就き。
明らかに罠としか思えぬ平和条約が申し込まれる、と云った風に、世界が、流れて行く歴史が、多才な変化を見せても。
シュウの中で流れる『日々』は、一向に、変わってはくれなかった。
親友を信じているから、それが罠なんて筈がない、と、申し込まれた和平交渉に望む為、盟主はミューズの丘上へと向かい。
蓋を開けてみれば、予想に違わず、罠でしかなかったそこから盟主を救い出す為に、かつて、ジョウイが可愛がっていた、彼には絶対に殺せぬだろう幼子──ピリカを盾にする、と云う策を、平然と立て。
「許さないんだからっ! あんな小さい子を、戦争の道具にしてっっ。絶対に、シュウさんの事、許さないんだからっっ!!」
それに憤りを感じたナナミに、泣きながら罵声を浴びせられても。
少しだけ悲しそうに、何も云わぬ盟主に見上げられても。
「貴方も、私を恨んで下さって、構わないのですよ」
そんな台詞だけがさらりと、彼の口からは出て来た。
ティントでの戦いを終えても、グリンヒルやミューズの解放に成功しても。
──何時しか、それまで以上に、ノースウィンドゥの古城に集う、仲間達が増えて。
ロックアックスの城を攻め。
その為に、死ぬしかない作戦の犠牲者として、キバ将軍を選んでも。
死地に赴く父の背中を黙って見送り、戦死の報を受けても、何も云わなかったクラウスを見詰めても。
盟主と、そこに姿現したジョウイを庇ったナナミが、死に掛けても。
一命を取り留めたナナミに、自分は死んだ事にしておいて欲しい、義弟の為にも、と懇願され、それを承諾しても。
ナナミが死んだと信じて悲嘆に暮れる、盟主や仲間達の姿見ても……シュウの中の『何一つ』、動いてはくれなくて。
疲れたな…………と。
唯、そんな事だけを、日々、彼は思う様になった。
確かに日々はうつろいで、季節も巡って、歴史は流れて行くのに。
どうして、目の前の『風景』は、何も変わらないんだろう、それ程にまで自分は、疲れてしまったのだろうか、と。
頭の片隅で考えて。
その夜、シュウは、一切の書類の消えた、己の執務机の上を、眺めていた。
明日は、とうとう、ハイランドの皇都、ルルノイエを攻める日。
最後の、攻防戦を行う日。
その戦いの為の策をどうするべきか、と思いつつ。
彼は机を眺めていた。
机上にあるのは、次の戦争に勝利する為の策を、一文字で表した、三枚のカード。
何が書かれているのかは、シュウ本人しか、知らない。
「シュウ兄さん。明日の……──」
眺め続けたそのカード達に背を向け。
少しばかり大きくなって、もう、肩に乗せてやる訳にはいかなくなった子猫を抱え、シュウが、窓辺に立った時。
明日の事に付いて、とそう云いながら、アップルが彼の部屋を訪ねて来た。
「……アップル。すまないが、そこのカードをどれか一枚、引いて貰えないか」
…………もう、疲れてしまったから。
三枚のカードのどれかを裏返す『仕事』を、彼女に手助けして欲しいと、そう思って。
それが後々、どれだけ彼女の負担となるか、判っていたのに。
声を掛けて来た妹弟子を振り返りもせず、シュウは云った。
「え? ……あ、はい…」
兄弟子の頼みに、戸惑いを覚えながらもアップルは従い、三枚の内の一枚を、表に返す。
「何と?」
子猫を抱く腕に、少しばかりの力を込めて、彼は尋ねた。
「火、とだけ……」
「…………そうか。すまなかったな」
「いえ、そんな。……あの……シュウ兄さん?」
「アップル。では、又明日」
「……では、明日…」
書かれていた文字、シュウの態度、それらに、不審を覚えたのだろう、アップルは、何か言いたげに、彼の名を呼んだが。
その気配を突っぱねて、シュウは、部屋から彼女を追い出した。
パタリ……と。
彼女が、静かに閉めていった扉の音が消えて漸く、シュウは振り返る。
「結局……お前には、名前を付けてやれなかったな……」
心底申し訳なさそうに、腕の中の猫へと告げ。
子猫を撫でていた指先を伸ばして、彼は、残りのニ枚のカードを裏返した。
そこに書かれていた文字は。
アップルが読み上げたそれと、同じ文字だった。
もう、疲れてしまったから。
何も彼もが、どうでもよくなりそうで。
『世界』も、『日々』も、変わらないから。
きっと、世界が幕を閉じても。
何一つ、変わらなくて。