42.なりたかったもの act.2

絶叫に近い声で、何かを云い、燃え続ける森へと駆けて行こうとしていたアップルや、不安げな顔をしていた盟主達に、無事な姿を見せ。

命を投げ出そうとしていた事を詫び。

少しだけ休むから、と人々に告げたら。

問答無用で、ビクトールとフリックの二人に、陣幕の中へと引き摺って行かれ。

話を聴いて、待ち構えていたのだろうホウアンに、子供を叱るかの様な勢いで怒鳴られ、逃げの一手を打とうとしたら、マイクロトフとカミューに、退路を塞がれて。

「私は、疲れたから少し休む、と云っただけなんだが……」

この上もなく不機嫌そうな顔をし、シュウは簡単に組み立てられたベッドに、横たわった。

と云っても、上半身は起こしたまま、逃がすものかと顔に書いて、己を取り囲んだ仲間達を、睨んではいたけれど。

「全く……どうして、あんな馬鹿な策を……」

散々怒鳴り飛ばしてすっきりしたのか、何も云わずに治療に専念し始めたホウアンの手伝いをしながら、ぶつぶつカミューが苦情を申し立てた。

「カミューの云う通りです、シュウ殿。後は、ルルノイエの王宮を落とせばいいだけだと云うのに、勝利を目前にして、正軍師が命を落として、どうするんです」

カミューの勢いを借り、マイクロトフも、又。

「ま、レオンのおっさん相手に戦うんなら、本当に奇策って奴じゃなきゃ、駄目だったのかも知れねえがな。俺とフリックは、三年前のトランで、あのおっさんの怖さを目の当たりにしてるし。だが、それにしたって……なあ?」

「ああ。だからって、死ぬ事はないだろ、死ぬ事は。あの森の中にあんたがいるって知って、アップルは取り乱すは、家のリーダーも助けに行くって言い出すわで、大変だったんだぞ」

陣幕の中に無造作に置かれた木箱に腰掛けた、ビクトールもフリックも、シュウを非難した。

だが、何を云われても、シュウは口を開こうとはせず。

「……あのよー。別に、云って欲しいって訳じゃないけどよー。俺達…特に俺とフリックは、あんたがここの軍師になってからずっと、付き合いがあるんだぜ? 心配掛けて悪かった、とか言えるくらい、殊勝になれねえのかよ」

やってられねえ、とガリガリ、ビクトールが頭を掻き。

方々から溜息が溢れそうな沈黙が、一瞬、陣幕の中を支配したが。

「…………疲れたんだ…」

この沈黙は長引くかも、と、男達が覚悟を決め始めた頃、漸くシュウが、ぽつり、云った。

「疲れた? 何に」

「何も彼もに、だ……」

「おいおい。そんな、自殺したくて仕方ない奴等が云う様な事……──。シュウ?」

「……ああ。…………死んでしまいたかったのかも……知れない……」

呟きを聴いた彼等は皆、何をらしくない事を、と苦笑を浮かべたけれど。

何時しかシュウは、遠くを見詰めながら。

死にたかったのかも知れない……と、呟きを続けた。

「……レオン・シルバーバークの様に……あの男の様に、なりたかった……。ずっと、そう思っていた。だから、この道に入って……。でも。あの男に憧れるばかりに、師・マッシュの思想と私の思想は、相容れなかったからな……。破門、されて……それでも、あの男の様になりたいと、思い続けて……。でも、な。ある日、突然。気付いたんだ。自分の中から、何もなくなった、と云う事にな……。カレッカの虐殺の真相を、知った日……だったな、確か……」

「何もない……って? カレッカの虐殺って、あれだろう? 俺達が潰した赤月帝国と都市同盟が、未だ継承戦争をしていた頃に起きた虐殺だろう? レオン・シルバーバーグが指揮したって云う。都市同盟の仕業って事になってるが、占領されたカレッカを焼き討ちしたのは、レオンに命じられた帝国側の奇襲部隊だった…って。自分達で自分達の国の連中を……って奴」

「……ああ。あの虐殺が本当は、都市同盟の仕業ではなくて、憧れた人の策略の一つでしかなかった、そう知った時に。……ふっと、気付いた。私は、あの男の様になりたかった。でもそれは、軍師としての道の上での事であって。一応でもある事はある、私の正義とは交わらない事で……。なら、私が憧れて来たあの男は…私が選ぼうとしていた道は、何だったのだろうとな……ふっと……考えて、振り返ってみたら。私の中には、何もなかったんだ…」

──カレッカの虐殺。

今を遡る事十二年前に、もう滅びてしまった帝国で起きた、一つの出来事を思い出したフリックに、ふっと笑い掛けて、シュウは一層、遠い目をした。

「帝国が勝利を収める為には、その策以外になかったと云うなら……私があの男の立場にあったらきっと、同じ事をしたんだろう。勝つ為に必要なら、何でもするのが、軍師と云う仕事だ。私もこの戦いで、ピリカを盾にして…キバを犠牲にして来た。でも、本当にそこまでして、戦には勝たなければならぬのかと……あの虐殺の真相を知った時に、そう思ってしまって……。なのに、な。戦争など……ああ、人間の命を如何様に扱うかなど、所詮、盤上のゲームと同じ、と云ったあの男と同じ様にしか、私には、思えなかった。今でも、思えない」

「シュウ殿。それは……貴方の立場にある者には、或る程度、仕方のない……──

──ああ、仕方がない、のだろうな。そう思うのが、当たり前なのだろうな。だから、私は今でも、そう思っている。戦争も、人の生き死にも、人生も、世界も。所詮は、盤上のゲームと同じ事で。他人をそこに乗せたからには、勝つ以外に降りる道はないのだと。そして我々は、その盤には決して上がらず、思う様に、駒を動かすのが仕事。それは或る意味で、神の所業に、等しいのだろう。あの男の云う様に。でも私は……神になりたかった訳じゃない……。神になりたい訳じゃなかったし……神になる気などない……。なのに……それなのに。何も彼もが、盤上のゲーム、としか、未だに私には思えなくて。己に与えられた知と云う才で、盤の上の全てを、己の思う通りに動かせる筈だと云う、思い上がりが捨てられなくて。そんな自分が……嫌で嫌で、堪らなくて……。下らない思い上がりが捨てられないのなら、この世から、私と云う存在を消してしまいたいと思い詰めてしまう程、自分が、憎くて……」

「だから。疲れたから。死んでしまおうと、思った……と?」

余り、抑揚を変えず。

随分と長い間、抱えて来たのだろう事を、ぽつぽつ話し続けるシュウに、カミューが静かに云った。

「いいや。そうじゃない。それだけの事で、死のうと思い詰める程、私は繊細には出来ていない」

「なら……?」

「自分が嫌で……どうしても、愛せなくて。軍師としての道を歩んで行く事も出来ず、かと云って、知を揮う事を、捨て切る事も出来なくて、交易商など営んでみて、な……。……そんな時……ルカ・ブライトに、巡り会った……」

もう、取り囲んだ仲間達の、誰一人も見遣ろうとはせず。

遠い目だけをして、長らく抱えて来た事を、少しずつ語りながら。

シュウは。

ルカ・ブライト……と云う名を、ぽつり、吐き出した。