35.『子供』の我が儘 act.2

シュウの為なのだ、と。

少年が囁いた刹那。

ルカを看ていたホウアンも、剣を構えていたビクトールも、ばっとシュウを振り返った。

「こ、ここは……。地獄、には見えんな……。…小僧。そこで何をしている……?」

「うおっっ」

数歩程離れた所で立ち尽くす、シュウに気を取られた隙に、ゆらり、ルカに身を起こされて、傭兵が慌てて、剣を構え直した。

「……俺は、死んだと思ったんだが……」

意識を取り戻してからずっと、己を見据えたままの少年の存在にも、喉元に突き付けられた星辰剣にも臆さず、ルカはその場にドカリと座り直し、漸くそろそろと近付いて来たシュウの面を捕えた。

「貴様がどうして生き長らえたか……その理由は、我等が盟主殿に、尋ねればいい。彼が何故、お前を討ち取らず、剰え紋章の力まで使ったのか、我々にも判らないから」

一方、シュウは。

ルカが目覚めると同時に、彼の中の何かが再び動き出したかの様に、何時もの彼に戻って、淡々と告げ、淡々と、ルカを見下ろす。

「そうだ、忘れるトコだったぜ。お前、何でこんな事したんだ?」

「それを、私もお聞きしたいです」

ルカとシュウのやり取りを受け、場に流されるだけだったビクトールとホウアンが、盟主を見た。

「だから。シュウさんの為だってば」

己を見詰めて来る視線達の中より。

ルカのそれだけを見詰め返して、少年は云った。

「だーからっ。こいつを殺さない事の何が、シュウの為になるってんだよっっ」

しっかりと剣を構えたまま、傭兵が苛々と、自らの頭を掻き回した。

…………と。

すっ…と、構えていたトンファーを引いて、少年は。

「御免ね、シュウさん。僕……見ちゃった事があるんだ。シュウさんと、ルカ…………さんが、一緒にいるトコ……」

肩越しに、軍師を振り返り。

云い辛そうに、告白を始めた。

──盟主殿、それは……」

「……僕だって、ルカ…さんの顔、ちゃんと判るから。どうして、シュウさんがって、その夜、眠れなかった。……内緒でお城抜け出して、深夜のお散歩してたって云うのも、あるんだけどね…。──でね。どうして、二人が一緒にいるんだろう……何でなんだろうって……ずっと思ってて。でも、今日になってやっと、気付いたんだ」

「何に、だ? 小僧」

『密会』を目撃したと告げる、少年を、ルカがきつく睨んだ。

「二人が本当はどう云う関係なのか、なんて、僕は……知らないけど。シュウさん、この人……ルカさん、にね、死んで欲しくないんじゃないかなって。昼間、レオンとか云う人が、密告状を持ってやって来てからずっと、シュウさん、ホントに少しだけ…でも、ずーっと、泣きそうな顔してた。戦いが始まってからはもっと、泣きそうな顔してた。だから、もしもシュウさんが、彼に生きてて欲しいって、本当はそう思ってるんなら、僕がルカさんを殺しちゃいけないんじゃないかって……そう思ったんだ」

大人達から視線を外し、ふんわりと、夜空を仰いで。

彼はその場に、トン、と座った。

ルカの瞳を、真直ぐに捉えられる位置に。

「でも。例えシュウさんがそう思ってても、貴方が、どう思ってるのかは判らなかったから、何も云わなかったけど。……さっき、ね。沢山の矢に打たれた時にね、貴方……シュウさんを見ていたから。やっぱり僕が貴方を殺しちゃいけないんだって、そう思った。僕と戦って……倒れる寸前、まで。……ううん、倒れても。貴方、シュウさんを見ていたから。きっと、僕の考えた事、間違ってないと…思う」

────狂皇子。

『かつて』、そう呼ばれた青年を、じっと見据えながら、少年は、語り続けた。

ルカに向かって。

「それは。貴様が俺に、情けを掛けた、と云う事か?」

「違うよ。僕は貴方に、情けなんて掛けないし、そんな事したら、僕が殺されちゃってた。手加減……って、言葉にすればそうなるのかも知れないけど。ホントの事云えば、どうしようもなくなって、貴方を殺すしかなくなっちゃう前に、貴方が倒れてくれたって感じかなあ……。貴方、沢山怪我してたしね」

「それを、情けと云うんだ。…………下らん御託など、俺は聴きたくなどない。何がどうだろうと、お前がどう考えようと。俺がお前に負けた、と云う事、俺が死に損なったと云う事、それだけが、事実だ。とっとと、首を落とせばいいだろうが」

語って来る少年の瞳を、負けじとルカは睨み返し、が逆らう事もなく、激高する事もなく。

首を差し出すかの様に項垂れる。

ルカが身動みじろごうとも引かれる事のなかったビクトールの剣に、彼の首筋が触れて、つ……と、赤い血が流れた。

「……………僕はここで、貴方の首なんて取らないよ。だって……だってね。シュウさんにとって貴方はきっと、大切な人で、貴方にとってシュウさんは、大切な人だって思うから。生きてよ。シュウさんの為に」

「…盟主殿。それは誤解です。……私は……──

殺せ、と云った男に、静かに言い放った少年に、シュウが声を掛けた。

しかし少年は、唯、首を振ってみせる。

「じゃあ、どうしてシュウさん、あんなに泣きそうな顔してたの? 大人の人の事情なんて、僕には判らないけど。大切な人を失っちゃうから、泣きそうな顔してたんじゃないの? 答えてよ、シュウさん」

「私にとって……この男、は……。彼、は……──

答えて欲しい、そう云う盟主の言葉に。

告げるべき応えを、シュウは持っていなかった。

「……あのよぅ、リーダー。シュウにとってこいつが大切な男で、こいつにとってシュウが大切な男だったとして、な? でも、だからどうなる? 俺達は、同盟軍の人間だ。このまま、こいつを見逃す訳にはいかねえし。何よりこいつは、鬼みてぇな所業を繰り返して来た奴だぞ? お前がいた、ハイランドのユニコーン隊だったか? それを犠牲にしたのだって…………」

答えを返しあぐねたシュウの代わりに、ビクトールが少年を説得し出した。

「うん、そうだね」

「おい、それが判ってんなら、何で…」

「だから僕は、この人の事を許した訳じゃないし、許せないかも知れない」

けれど、少年は、にこっと笑って。

「……あのねえ。この間、ね。図書館で、本を読んだんだ。難しくって、僕には全部が理解出来なかったんだけど。マクドールさんの故郷の、トランの事が書かれてた本をね、司書のエミリアさんに、貸して貰った」

少々場違いな話を、彼は始めた。