44.『日常』の始まり act.4

トンファーと、模擬剣が打ち合う音は、随分と長い間、訓練所に響き続けた。

時折、剣を弾く棍の音を混ぜさせ。

ニ対一の立ち合いは、人々が息を飲む中、終わりを見ない風に、続けられていたが。

「……あっ。御免」

盟主のトンファーが、降り降ろされた剣を弾き、体勢を立て直そうとしたルカの退路を塞いだ隙に、マクドールが突き出した棍の先が、ルカの頬を掠めながらフードを払い落とした時、彼等三人の動きは、ぴたりと止まった。

「目、大丈夫?」

頬骨辺りを掠めた棍に、擦過の傷を拵えられて、ルカは顔を押さえた。

否、それは本当は、剥がれてしまったフードの替わりに、顔を隠す動作だったのだけれど。

マクドールの台詞も手伝い、見物人達の目にその動作は、目許を気遣ったとしか映らず。

「おいおい、どうした。何をらしくない事を」

珍しく、手許が狂ったか? と英雄を揶揄しながら、傭兵コンビも二人の騎士団長も、訓練場の直中に立ち尽くした三人へと近付いた。

「大丈夫ですか? ルカさん」

──その時。

人々が近付いて来たのを見計らったかのようなタイミングで、盟主が、『遊歴の戦士』の名を口にした。

「……は? ルカ?」

少年が音にした、狂皇子と同じ名前に、事情を知らない者達は、きょとん、とした顔をし。

ビクトールとルカ本人は、まずい、と云う顔をしたが。

「あ……。あのね、それがねー…………」

盟主は、てへっと舌を出し。

「ルカさんね、生まれはトランの方だそうだけど、お父さんとお母さんが、ハイランドの出身なんだって。でね、年もね、あの狂皇子と同じくらいなんだって。だから、ルカさんの御両親は、故郷の皇子様から、ルカさんの名前を取ったんだって。でも、ほら、デュナン辺りでは、ルカって名前は……でしょ? だから、名前の事、黙ってて欲しいってお願いされてて。そっかー、って思って、皆には名前は云わなかったんだけど。うっかり、喋っちゃった。御免ねー」

悪びれもせず彼は、今まで『遊歴の戦士』の名を誤魔化し続けた事、が、今うっかり、舌の根に乗せてしまった事、を告げた。

「ああ……。あの狂皇子と、同じ名前なのかい、あんた。だったらこの地方では、名乗りたくないよねえ」

少年の説明を受けて、その輪に加わっていたアニタが、納得の表情を見せた。

「成程、良くある話だが……肩身が狭かろう、あの皇子と同じ名では……」

アニタの隣にいたバレリアも、又。

「しかし、彼はもう討たれたのだから、気にされずとも良いのでは?」

「そうだね。同じ名と云うのは、良くある事なのだし」

そしてマイクロトフとカミューは、そう云ったが。

「それがねえ……。皮肉なんだけど」

今度はマクドールが、口を開いた。

「何だ?」

「これが又。彼、あの皇子様に、良く似てるんだ、顔、が」

「顔? どれどれ」

英雄の苦笑を横目で見遣り、フリックが、ルカの顔を覗き込んだ。

「………ほー、確かに、似てるな」

「でも、似てるけど、と云う程度ですよね」

見物人達に混ざっていた、槍使いのツァイも、フリック同様、ルカの面差しを窺った。

「リューベの村が焼き討ちされた時、近くであの皇子を見ましたけど、彼はもっと、禍々しい顔してましたものね」

「遠目から見れば、間違える者もいるだろうけどね」

「俺もそう思うな。ニ週間前、あの丘上で対面したあの男とは、随分印象が違うし。この城の者なら、難民達は兎も角、貴方をルカ・ブライトと見間違える者はいないだろう」

ツァイの両脇から、ルカを覗き込んで来たカミューもマイクロトフも、彼と同じ意見を述べ。

「そう……だろうか……?」

人々の感想を受けた当人は、それはそれは不思議そうな表情になった。

「だから、何度も云ったのに。誰も、貴方をルカ・ブライトと間違えたりしないよって。なのにルカさん、すっごく気を遣うんだもん。まあ、ここは同盟軍の本拠地だから仕方ないのかも知れないけど。でも、これでもう、気にしなくってもいいよね? ルカさんっ。あんなに強いのに、ルカさんが宿星じゃないって、残念なんだけどー。急ぐ旅じゃないなら、ゆっくりしてって下さいね。マクドールさんみたいな…えっと……食客? でしたっけ、になってくれたら、凄く嬉しいし」

「あ、それは頼もしいかもね」

『死んだ』己と比べられ、ちゃんと別人だと判る、と太鼓判を押され、酷く複雑な顔になったルカの背を、バシバシ、盟主は叩き、マクドールと目線を合わせて、にっこりと微笑む。

「………………何も彼も、わざとかよ……お前等……」

少年達が湛えた微笑みの示す真実に、唯一人気付いたビクトールが、ほそり、呟いたが。

残念ながらその時、傭兵の呟きを聴き止めた存在は、皆無だった。