45.『日常』の始まり act.5
終わった時にはもう、その宴を開こうと言い出したのが誰だったのか、何者にも判らない状態だった。
それくらい、その夜の宴会は、或る意味では『盛り上がった』。
レオナの酒場にて催された、ルカ・ブライトに似た面差しの、名前も同じ、『遊歴の戦士・ルカ』を歓迎しようと云う名目で始まった、その宴。
彼の強さを目の当たりにした者達が、やたらと口数の少ない彼を取り囲んだ事が、『盛り上がり』のきっかけだった。
……が。
やはり、と云うか、何と云うか。
紋章の所為で不老であるマクドールは、生まれてから過ごした年月だけを鑑みるなら、既に成人に達しているので、まあ、それは良いとして。
十五才程度の年齢であるにも拘らず、杯の飛び交う席に、ちゃっかりと混ざった盟主が、トランの英雄と共に、折角だから隠し芸大会でもしようか、楽しそうだから、『命令』ね、と言い出したが為、盛り上がりは、どうしようもない方向性を持たされた、一種異様な『盛り上がり』を見せ。
悪乗りした少年達の思惑の所為で。
踊らされる者、歌を披露しろと囃し立てられる者、そんな事は出来ないと異議を申し立てて、ならば詩の朗読か剣舞の披露、と云われる者、それすらも嫌だと、『勇猛果敢』な抗議をした挙げ句、傭兵コンビとの飲み比べを強いられる者、と、数々の犠牲者を生み、騒ぎを聞き付けて駆け付けたシュウが、思わず目を被った程の『盛り上がり』の中、正軍師の命による強制解散と云う形で、累々たる酔っ払いを拵えた宴は、幕を閉じ。
漸く、同盟軍本拠地は、夜の静寂を取り戻し。
「…………何とかしろ、あの馬鹿共を……」
──潰れてしまった者達を、未だに素面な者達が宿舎へと運び終えるのを待って、ほっと息を吐いたシュウに、荒れ果てた酒場に未だ残っていたルカが、ぼそりと云った。
「不様な告白だが、私に彼等は止められない」
人々の姿が消えたのを確認してから、シュウはルカを振り返った。
「だろうな。俺も無理だ。あの二人には、どう接していいのか、判らん。……ここの連中にも、な」
真夜中、久方振りに、シュウと二人だけの時間を迎え、唇の端に嗤いを浮かべたルカは、ふるりと軽く、頭を振る。
「……多少は酔ったのか?」
「あれだけ飲まされればな。踊れだの、歌を歌えだの……云われた処で、俺に出来る筈もないから、何とか逃れようと思ったんだが。せめて、飲み比べくらい付き合えと、あの集団に取り囲まれれば、俺でも付き合わざるを得ない。不快だからとて、今の俺の立場では、斬り捨てる訳には行かぬだろう……?」
「斬り捨てて、殺されてみるのも、一興だと思うが?」
余程大量の酒を飲まされたのだろう、二度、三度と頭を振るルカを静かに見ながら、シュウは悪趣味な事をさらりと云った。
「雑魚共は兎も角。お前の主である小僧だけしかいなければ、それも考えるが。あれでいてあの小僧、一筋縄では行かぬ相手だ。況してや、あれには何時も、トランの小僧が付いている。あの二人を一緒に相手にしたら、俺が誰かを斬るより先に、さり気なく邪魔されるのがオチだろう。……もう、ここに、生きて留まらねばならぬ限り、無駄な事はしないと決めた」
が、ルカは、苦笑を浮かべるだけで。
「……懸命だな。──私はそろそろ、戻る」
彼を残して立ち去ろうとするシュウの表情にも、変化はなかった。
「俺も倣おう。噂の小僧共が、こちらを気にしているようだし」
酒場の入り口に、ちらりと視線を流し、ルカも又立ち上がる。
彼の視線の先には、何時しかやって来ていた少年達の姿があった。
キバと、クラウス親子の姿、も。
「難儀な話だ」
隣に並んだ男の見詰めるモノを、己の瞳にも捕え、シュウが歩き出した。
ルカは黙って、その後に付き従う。
「お休みなさい、シュウさん、ルカさん」
「お疲れ様、二人共」
何も云わず、酒場の入り口を抜けようとした彼等に、少年達の声が掛かった。
「……お二人共、いい加減に就寝なされて下さい。明日に差し支えます。……キバ殿も、クラウスも」
立ち止まれ、と云わんばかりの彼等の挨拶に、シュウは溜息を零し、足取りを止め、顔を向けた。
狭い入り口で交わされるやり取りは、自然、軍師の後ろにいたルカの足をも止め。
「………………ルカ…様…」
老いた頬に、何処か憐れむような色を浮かべたキバが、ルカを呼んだ。
「同盟軍の将軍に、様、と呼ばれる覚えはないが」
老軍人をちろりと見詰め、ルカは肩を竦めた。
「お変わりに……なられましたね、僅かの内に」
クラウスは、些細な事で激しい憤りを見せていたかつてのルカの中にはない仕種に、ほう……と呟いた。
「…誰と比べている? クラウスとやら。『ルカ・ブライト』はもう、死んだのだろう?」
だがそれでも。
同盟軍の者達とは違い、かつてはハイランドの将だったが故に吐かれたクラウスの台詞に、ルカは瞑目しつつ答え。
「…………飲み足りん。付き合え」
目の前で立ち止まったままのシュウの背中を、彼は急き立てた。
「…大丈夫なのでしょうか……父上」
酒場を後にし、廊下の闇の向こうへと消えて行く二人を目で追い、クラウスが云った。
「『あの』ルカ様……いや、あの青年なら、問題なかろう……。今、は」
息子が見詰める背中と同じそれを眺めつつ、キバは呟いた。
「──あの。と云う訳なので。宜しくお願いします」
ルカの正体を、この二人には誤魔化しきれぬと踏んで、事情を語り、彼等をここへ連れて来たのだろう盟主が、そんな彼等へと、ぺこり、頭を下げた。
「気にしなくても平気だと思うよ。少なくとも、今夜はね。あの二人、何事もなく、何も語らず、グラスでも眺めたまま、朝を迎えるだろうから」
マクドールは、何処か不安げな二人に、一つの予言を与えた。
──────トランの英雄の予言通り。
その夜、ルカとシュウの二人は。
籠ったシュウの部屋で、一言も語らず、ワインで満たされたグラスを挟んで向き合い。
用意された酒精を嚥下するでなく、眠るでもなく、唯、息だけをして。
朝を、迎えた。