46.『変化』 act.1
『ルカ・ブライト』がこの世から消えて。
狂皇子に良く似た、狂皇子と同じ名を持つ食客が、同盟軍を仮の住まいとしてから。
一月程が過ぎた頃。
様々な意味を含む『変化』を、様々な人々に齎す事件が、起こった。
──ルカ・ブライト亡き後、彼の妹ジルと婚姻を結んでいたが為、皇王の座に就いた、ジョウイ・アドレイド──現・ジョウイ・ブライトより同盟軍へ伝えられた、和議の申し出。
ハイランドの占領下にある、かつてはジョウストン都市同盟の盟主市だった、ミューズの街の丘上で、と云うそれを、知らせを聴いた誰もが、罠だ、と勘付いたけれど。
幼馴染みのジョウイの云う事に、卑怯な企みが隠されてる訳がない、と盟主の義姉・ナナミは言い張り。
恐らくは、大人達の云う通りだと判ってはいるのだろうが、ナナミも連れてミューズへ行く、と笑った盟主の決断により。
ハイランドとの和議交渉の場を持つ事となった、その一連の流れが。
『変化』を齎す事件の発端、だった。
ナナミ以外の誰もが、罠だ、と信じて疑わなかった和平交渉の席にはやはり、ハイランド側の軍師、レオン・シルバーバーグが筋書きを書いたのだろう『企み』が、潜んでいて。
デュナンの地に平和を齎す為、同盟軍側が無条件降伏を受け入れなければ、今この場で、親友である君と云えど討ち滅ぼす、とジョウイは宣告し。
無表情となった盟主の少年は、一言で、それを退け。
ならば、とハイランド兵士が構えた弓が鳴る寸前、シュウの密命を受けていたビクトールが、ジョウイには絶対に殺せぬピリカを盾として使い、窮地を凌ぎ。
帰城したナナミに、あんな幼い子供を戦争の道具に使うなんて、絶対に許さない、とシュウは罵られ…………────。
約束の石版の置かれた、本拠地一階広場にて。
貴方も、私を恨んで下さって、構わないのですよ、と。
盟主の少年に告げてはみたものの。
そんな事は有り得ない、と微笑まれたシュウは。
盟主と分かれた後、表情も、足取りも、常のそれと違えず自室に向かい……が、後ろ手に扉を閉めた瞬間、誰もいない部屋で、僅かに肩を落とした。
トトっ……と歩み寄って来た、この部屋のもう一人の主である子猫を抱き上げ、薄く、彼は笑う。
──人々の感情が何処にあろうと。
これを以て、ハイランドとの和平交渉は白紙に戻り、戦争は、今まで以上に激化する筈だ。
ならば、人々──少年少女の想い、己の想い、その行き先や、やり切れなさを量るより先に、人殺しのやり合いに勝つ方法を考えなければならない、と。
彼は微かに笑って。
…………が、子猫を抱き締めたまま。
ツ……と目線を、天井へと持ち上げた。
真上に位置する、盟主とその義姉の部屋、を。
もう、被る必要のなくなった、鬱陶しいマントを脱ぎ捨て、腰に大振りの剣を下げた姿で。
ルカは、広場の片隅に身を顰めるようにして、始まった騒ぎを見守っていた。
部下の一人だった男、クルガンが、ジョウイの使いとして和平交渉の申し入れにやって来たと、マクドールに聞かされた時から。
レオン・シルバーバーグの考えそうな罠だ、と、彼は踏んでいたし。
背後に潜むものなど看破しているだろうに、ミューズに行く、と旅立った盟主の少年を、どのような手段を用い、シュウが守ろうとしたかも、知っていたから。
あの小僧は、どんな様になって帰って来るのやら、と、壁に凭れて彼は、事の成りゆきを眺めていたのだけれど。
騒ぎの中心から聴こえて来た言葉は、
「許さないんだからっ! あんな小さい子を、戦争の道具にしてっっ。絶対に、シュウさんの事、許さないんだからっっ!!」
……と云う、ナナミの叫びと。
駆けて行く、彼女の足音と。
「貴方も、私を恨んで下さって、構わないのですよ」
そんな台詞を紡いだ、シュウの、静かな声、だった。
彼等を見据えた瞳を、少し凝らしてみれば、シュウの言葉に、微笑みを浮かべながら首を振る、盟主の少年の姿が、ルカには良く見えた。
慰めようと思ったのだろう、義姉の後を少年は追い掛け、一拍程を置いて、姉を慰めに走った少年を慰める為、マクドールがその後を追い。
いたたまれない雰囲気だけが、広場には漂い。
気まずそうに、人々は散る。
散り散りになった人々同様、そこから立ち去る為に、くるり、踵を返したシュウが、階段を昇るのを見届けて、ルカは、後を追った。
何を、どうしようと考えての行為ではなかったが。
何故か、追おう、と思った。
放っておきたくはない、と、そう考えて、彼は大股で階段を昇り、ノックもせずに、正軍師の部屋の扉を開け放つ。
踏み込んだ部屋には。
いたく可愛がっている子猫を抱き締めたまま、薄く笑いつつ、天井を見上げているシュウの姿があった。
「何か用か」
不躾な侵入者に、シュウは一瞥をくれ、すっと表情を消す。
そうして彼は、やらなければならない事、考えなければならない事が、山のようにあるのだ、と暗に告げる仕種で、ルカへと背を向けた。
「……何を見ていた」
執務机と進み始めたシュウを止めるべく、ルカは細い肩に手を掛けた。
強く引き、振り返らせれば、甲高い声を放って、シュウの腕の中から、子猫が逃げた。
「別に。何も」
遊ばせる形になってしまった両腕で、シュウはルカの手を、振り払うべく掴む。
が、軍師の腕の力になど、びくともせずルカは、空いていた右手で、彼の頤を掴み、上向かせ。
「あの小僧の事なら、気に懸けるな。あれには、トランの小僧が付いている」
心配は要らぬ、と告げた。
恨もうとしなかったあの少年が心配でならなくて、だから、天井を見上げたのだろう、と、ルカはそう踏んだから。
「…ほだされたか? あの、不思議な性の彼に。気持ちは、良く判る。私も、その一人だから。盟主殿の心配なら、ああ、しなくても大丈夫だろう。マクドール殿がいる」
「確かにあれは、変わった小僧だと思うが。そう云う意味で、俺は云ったんじゃない。あの小僧の事を考えるよりも先に…………────」
しかし、シュウは、ルカの想いの根幹を、誤解して受け取ったようで。
声を苛立たせ、ルカは云い募ったが。
「先に? 何だ?」
「……いや。いい。捨ておけ。……お前は何一つ、間違ってはおらんだろう。…俺の云いたい事は、それだけだ」
語り掛けた言葉を飲み込み、別の想いを告げ、彼は、シュウの部屋より立ち去った。
あの小僧の事を考えるよりも先に。
何を考えろ、と俺は云いたかったのだろう。
一体、何を云おうとしたのだろう。
いいや、それより何より。
何故、己にも掴めきれぬ『言葉』を、シュウに与えようとしたのだろう。
──あの男のようになりたいと、想った事は確かにある。
惹かれたのやも知れぬ、そう考えた事も、確かに。
だが、それは。
『かも知れない』、と云う感情でしかなくて。
それが、確かな『想い』だったとしても。
こんな己の中に、恋慕の情が潜んだとしても。
こんなに、まろやかなものではなくて。