47.『変化』 act.2

デュナン湖の畔の、丘上で。

螢が舞った、あの夜。

──僕は、ジョウイやナナミと一緒に暮らしてた、あの頃に戻りたくって、その為にこうしてる。それって結構、身勝手な理由だと思うよ。だって、他の事は、僕にはどうでもいいもの。幸せになりたい、それだけだもん」

そう、言い放った少年は。

取り戻したいと願っていた時間の中に、取り戻したかった親友との、『決別』を経て。

少しだけ、人々に見せる態度が、変わった。

それは、極僅かな変化で、余程聡い者でなければ、気付かぬ程度のものでしかなかったが。

幸か不幸か、その些細な変化に気付く事の出来る者は、同盟軍上層部に数人程おり。

トランの英雄も、『遊歴の戦士』にも、気付いてしまう事が出来。

「一寸、ルカ」

和平交渉が決裂した日より、数日が過ぎた頃。

いきなり、ルカは、廊下の直中で、マクドールに呼び止められた。

「何だ」

又、こいつかと、げんなりとした顔をして、ルカは振り返る。

「付き合って欲しい所があるんだけど」

すればそこには、マクドールの湛えた、『満面』の笑みがあり。

笑っているようで笑っていない瞳をした彼に、ルカは、否応無しに従う羽目に陥った。

巨大な、と例えるが相応しいバスケットを携えたマクドールの後に付いて、昇降する箱に乗り込み、最上階で降りて階段を昇れば、ルカ自身は先ず訪れる事のない屋上の扉前へと辿り着き。

「お待たせ」

扉の向こう側へと、明るく話し掛けた少年の肩口から、風の強いその場所を覗き込めば、そこには、グリフォンと戯れる盟主の姿があって。

「あ、マクドールさんにルカさん」

見た目は、あの出来事以前と変わらぬ少年に、彼は出迎えられた。

「今日は、いいお天気だから。ここでお昼御飯を食べようかって話になってね。貴方を呼んだんだ」

座れば? と促されるまま、未だ、グリフォンのフェザーと戯れ続ける盟主と並んで腰掛けたルカに、マクドールが云う。

「……それだけでは、なかろうが」

が、ルカは、馬鹿馬鹿しい理由など聴きたくもない、とすぅ……と瞳を細め。

「判ってるなら、手っ取り早いね。その子に、話してやって欲しい事があるんだ」

英雄は、『大人びた』仕種で、肩を竦めた。

「何を?」

「…………ジョウイ、と云う少年の事、を」

「ジョウイ、な……」

マクドールの申し出と。

ぴくりと顔を上げた盟主の眼差しを受けて、ルカは苦笑を作った。

「語れる事など、少ない」

「…それでも、いいんです。ジョウイ、ルルノイエで、元気にしてたのかな、とか。何考えてたのかな、とか。ジルさん、でしたっけ、ジョウイの奥さん。ジルさんとは、仲良くやってたのかなー、とか……。何でも。──あ、折角だから、御飯食べながら話しません? マクドールさんがハイ・ヨーさんに頼んでくれたんですって」

頬に、暗い色を刷いたルカに、親友の事を尋ねた少年は、にっこり、微笑む。

「あ、美味しそうーっ。何がいいかなっ。マクドールさん、何食べます? ルカさんは? サンドイッチもあるし、ちまきもあるし。お菜なんだろ」

マクドールが開いてくれたバスケットの中身を確かめ、ワタワタと喜び、差し出し。

己に出来る限りの、精一杯の雰囲気を、彼は拵えたが。

「何故、聴きたがる?」

差し出された物を、受け取りつつもルカは、表情も、声のトーンも崩さず。

「えっ……と……」

笑顔を引っ込め、軽く俯き、ぽつぽつ、パンの端を齧りながら、少年は、事情を語り始めた。

「本当にね。本当に、僕は。ジョウイとナナミと暮らしてたあの頃に戻りたくって、その為にこうしてて。幸せになりたくって。他の事なんて、どうでも良くって。僕が幸せになりたいみたいに、皆も、幸せだったらいいなあって、そう思ってて。…………でも、ジョウイは、そうじゃないみたいで」

「だから?」

「もう、僕等だけの問題じゃないって。これはもっと、大きな事なんだって。そんな風に、ジョウイは云ってたけど。だけど僕にはそんな事、どうでもいい。……どうでも良かった。なのに……降伏してくれってジョウイに云われた時、僕、うんって言えなくって。皆の事考えたら、うん、って言えなくって……。──やっぱりね、僕は幸せになりたい。皆幸せなのがいい。でもね、ルカさん。僕はほんの少しだけ、思い直さなきゃ駄目みたいだから。ジョウイとナナミと暮らしてたあの頃に戻るのは……『無理』だから。僕が『見ていられなかった』ジョウイの事、沢山覚えておきたいな、って」

──もそもそ、もそもそ、パンを齧りながら。

少年は、小さく云った。

そんな彼の姿は、何時もの彼ではなくて。

同盟軍の盟主を勤める、何処か不可思議で破天荒な彼でもなくて。

年相応の、何処にでもいる、唯の少年に見えて。

「それは…………諦め…いや、ジョウイを『敵』とみなす為、か?」

ルカは言葉を選び、尋ねる。

「は? 何云ってるの、ルカさん。だーいぶ前からジョウイは、ハイランド軍の偉い人で、今じゃ皇王様でしょ? 敵に決まってるじゃない、最初っから。あ、だからって、ジョウイの事、『諦める』、とかそんなんじゃなくって。すこーしだけ、こうなったらいいなあって僕が思ってた事と、周りの事がずれて来ちゃったから。その、ずれちゃった分を、思い出みたいなもので埋めたいなあ……って……」

あらゆる意味で以て、親友を、敵とみなすか、と云う彼の問いを。

少年は、笑い飛ばした。

彼はもう、『敵』でしかなくて。

でも、諦めた訳じゃなくて。

唯。

どうしても、繋ぎ合わせる事が出来なくなった『部分』を、埋め合わせる物が欲しいだけだ、と。

「…………本当に、語れる事なぞ、少ない。覚えている事と云えば……ああ、何時だったか……それは記憶にないが……。あれは確か、『強さ』が欲しい、と、云っていた覚えがあるな……──

そんな少年の顔を。

マジマジと、ルカは覗き込んで。

己の中にある、ジョウイと云う少年に関する全ての記憶を、語って聞かせた。

飾らず。貶めず。

唯、ありのままを。