48.『変化』 act.3
彼の知り得ぬ、手に取れぬもの、を、ルカが語って聞かせてやったのが、多少の慰めにはなったのか。
盟主の少年は、元気を取り戻したようで。
それから又、暫くの間彼は、マクドールの手を引いては、あっちでふらふら、こっちでふらふら、歩き回り。
何処からか仲間を連れて来て、本拠地の中を、賑やかにしていった。
最近、城内で見掛けるようになった新顔達も、それまで同様、やたらとバラエティに富んでおり。
ニの太刀要らずの異名を取る有名な剣士や高名な魔法使い、拳法家や札作り、鍛冶屋など、その辺りは理解出来るとして、ヴァンパイヤハンターや、庭園でお茶をするのが生き甲斐にしか見えぬ得体の知れぬ者、真なる紋章の持ち主とは云え、吸血鬼の始祖など、何故戦いに? と首を傾げたくなるような者達も、城に集い始めていた。
──盟主の少年の性格に良く似た、何処かハチャメチャと云いたくなるその環境に、何時しか、食客である『遊歴の戦士』は、馴染み始めていて。
何故、己がここで生きているのかを、ともすれば忘れ掛ける程の瞬間を、迎える事もあったが。
「もう直ぐ、ロックアックスを攻めるんだね」
シュウの部屋を訪れ、嫌がる子猫を無理矢理抱きながら、少年は、暖かな窓辺を陣取り、中庭を覗きつつ云った。
「ええ。間もなく、準備の方も整います」
「グリンヒルも解放出来たし。ミューズでジョウイと戦って、何か、変なオオカミみたいなのも、倒したし。もう一寸頑張れば、戦争、終わるのかな」
「……ルルノイエを落とす事叶えば」
少年は一体、何を見ているのかと、答えながら歩み寄り、シュウも又、中庭を見下ろした。
──見下ろした中庭には。
沢山の見物人が見守る中、ニの太刀要らずの異名を取るゲオルグ・プライムと、ルカの二人が、真剣を用いて立ち合いをしている光景があり。
「あの二人……っ」
戯れ言に真剣を使うなどと行き過ぎだ、とシュウは眉を顰め、声を張り上げる事で、それを止めようとたが。
「何怒ってるの? シュウさん。平気だよ、あの二人なら」
のほほん、と少年は、軍師を制した。
「ね? マクドールさん」
そして少年は、シュウの気付かぬ内に、室内に忍び込んで来たマクドールの気配に気付き、にこっりと微笑む。
「……マクドール殿、ノックくらい、なさって頂けませんか」
「御免、御免。──あれの事なら、平気だよ。彼の云う通りね。訓練所の中で真剣振り回すのは難しいって、外でやってるから、人垣が出来ちゃって、騒ぎになってるんだろうけど。あの皇子様、随分と変わったし。相手が、ゲオルグだしね」
盟主の言葉でやっと、マクドールの存在に気付いたシュウは、振り返りざま、声に不快感を滲ませたが、英雄は、ゆらりとそれを受け流し、窓辺へと寄ると、少年に並び腰掛け、立ち合いの見学を始めた。
「どっちが勝つと思います?」
「ゲオルグ」
「……即答ですね。でも、僕もそう思います」
「今のルカじゃ、ゲオルグには勝てない」
「ですよねー」
「…………お二人共……」
己の存在を無視するかのように、立ち合い結果の予想を始めた少年達に、いい加減にしろ、とシュウは溜息を零し、が、ふと。
「何故、そう思われるのですか?」
どうして、少年達が勝敗の行方をそう判断したのか気になって、尋ねた。
……すれば。
「だって、ルカさん、変わったもの」
「今の彼は、以前の彼より、弱いよ。相変わらず、化け物みたいに強くはあるけどね。でも、その分……ね」
「そですね。もう一寸、ですかねえ。そうしたら、すっっごく強くなるのに、ルカさん」
「でも……未だ少し、時間掛かりそうだな。『きっかけ』がないと、判らないかも知れないし」
シュウの尋ねた事に、二人は、謎掛けのような言葉を、口々に語った。
「はあ……」
恐らくは。
二人の少年は共に、心の問題を語っているのだろうけれど。
彼等だけが了承している、ルカの心の問題、それが何を指しているのかまでは、シュウにも量りかねたから。
何処までも彼等の回答は、謎めいたものでしかなく。
シュウは黙って、立ち合いの行方を見守る事にした。
見ている者がすっとする程、切れ味の良い、見事な立ち合いが、中庭では繰り広げられている。
本拠地の中にまで届く、甲高い、真剣同士の鍔迫り合いも、耳に心地よいそれを、数ヶ月前まで、狂皇子と云われていた彼の太刀筋は、あんな風だったのだろうか? と、首を傾げながら、シュウは見続けた。
──彼の目には。
ゲオルグとルカの剣の腕には、大差がないように見えた。
例えるなら、迷い、のような。
太刀筋に表れ易いそれを、二人の剣士から窺う事は、彼には出来なかった。
だから。
どちらが勝つかは五分と五分。
少年達の予想を裏切る結果が生まれる可能性もある、と、シュウは踏んだが。
空気を寸断する程に鋭い金属音と共に決着が着いた、勝敗の軍配は。
ゲオルグに上がった。
見物人達の歓声が上がる中、地に落ちた相手の剣を拾い、遠目にも、少し呆然としているのが判るルカにゲオルグが近寄り、何かを囁いて。
立ち合いは、終わった。
「あー……。あれは、堪えるだろうねえ、ルカには」
「かも知れませんねー。でも、ルカさんの方が未だいいと思いますよ」
「同感。進歩があるからね、『誰かさん』と違って」
示された結果に、やっぱりね、と少年達は微笑み合い、語り合い。
「進歩がない誰かさんとは、誰の事ですか」
多分、己の事を揶揄したのだろうと感じた言葉に、シュウはムッとする。
「シュウさんの事。────ねえ、シュウさん? そろそろ、どうするか決まった? ルカさんとの事」
どうして、自分が馬鹿にされなければならないのか、と言いたげなシュウの声音に、楽しそうな顔を作った盟主が、振り返った。
「それ、は……」
問われた事に、シュウは、答えを返しあぐねた。
「僕、沢山時間あげたよ? 未だ、判らないの? ルカさんが『ああ』だからね。急かす必要ないかなって思ったから、今まで黙ってたけど。そろそろ、シュウさんだって……って頃かなあって、思ったんだけどなーっ。ねえ、シュウさん、あのルカさん見て、何にも思わないの? 何か、こう、ああ、とか、思わない? ねえってばっ」
『あれ』から暫しの時が流れたのに。
相変わらず、『答えられない』軍師の態度に、少年がむくれた。
「彼の事に関して問われるならば、多少は思う事も。変わったのだろうな、とは感じますし……。ですが、だからと云って、私の気持ちがどうとか云う問題とは……」
「ちーがーうーっ。そう云う事、云ってるんじゃなくってっっ。これっだけ手間掛けてるのに、シュウさんってばっっ。ルカさんへの気持ちの事聴いてるんじゃなくってぇっ」
ぷっと頬を膨らませて、機嫌を損ねた盟主は、俄然口の廻りを良くし、今一つ、意味の通じない事を捲し立てる。
「何を、矛盾に満ちた事を……──」
「──無駄だって。この軍師様は未だ、戦争の事しか考える余裕がなくって、考える事、放棄したままなんだから」
癇癪を起こしたかのような盟主の態度に、シュウは呆れを示し。
よしよし、とマクドールは、彼の頭を撫でて宥めた。
「もういいもん。シュウさんの冷血漢。──ルカさん、からかいに行ってきまーす。行きましょ、マクドールさん」
どう対処したらいいのやら、そんな表情を拵えたシュウを睨め付け、窓辺から飛び下り、英雄の腕を引き。
捨て台詞を残して彼は、歩き出す。
「じゃあね。お邪魔様」
少年の急き立てに、嫌な顔一つせず、マクドールも又、その部屋を立ち去った。
「…………何がしたいんだ、あの二人は……」
子猫と共に、残され。
パタリと閉められた扉の音に被せるように、シュウは溜息を付く。
彼等が何を企んでいるのか、何を云いたいのか、何を引き出したいのか。
暫しの間彼は、窓辺に佇んだまま、思い巡らせたが。
あの不思議な少年達の深遠など、窺い知る事は到底無理だ、と諦め、書類を片付けてしまおうと、執務机に座り直した。
外界より意識を引き上げ、長らく彼は、紙面に集中する。
が、それはやがて、外界から己を隔離したシュウの耳にまで届いた馬鹿騒ぎに邪魔をされ。
あからさまに不機嫌な色を湛え、彼は紙面から視線を外した。
どかどか、がやがや、賑やかな音が廊下の向こうで続き。
慌ただしく、扉が開かれ。
己よりも尚、機嫌の悪そうなルカの訪問を、彼は受ける。
「随分と、騒々しいな。そちらが何をしようと勝手だが、私の邪魔をするのは、止めて貰いたい」
開かれた時同様、凄まじい勢いで扉を閉め、鍵までも降ろしたルカを、シュウは冷たく一瞥した。
「うるさい。それは俺の台詞だ。お前はここの軍師だろうっ。出来なくとも、無理でも、あの馬鹿ガキ共を何とかしろっ! どう云う地獄耳だ? あいつらは。何故、先程の立ち合いをこの部屋から見ていたと云うあいつらが、ゲオルグに吐かれた言葉を知ってるんだっ。それで何故、俺がからかわれねばならんのだっ! 一軍の長の躾くらい、貴様が付けろ、愚か者っ!」
けれどルカは、強い眼光を放って、シュウの眼差しを退け。
つかつかと机へと近付くと、苦情を叫んだ。
かと云って、シュウの表情に、微塵の変化も、齎される事はないのだが。
ルカとしては、叫ばずには、いられなかったのだろう。
「そんな声を出さずとも、聞こえる。耳は悪くない。お前があの男に何と云われたのかは知らんが、自分の事だろう。何を云われても、自分で抗え」
「俺は、あの二人のお守をしているのではないっ!」
「…………私もだ。……参考までに訊くが。何と云われた? ゲオルグ・プライムに」
あの二人にからかわれて、憤りたくなる気持ちが、判らない訳ではない、と、若干の同情を寄せつつ。
さらり、シュウは、ルカの叫びを受け止め。
原因は何だ? と目で問うた。
「………………うるさい」
「云いたくないなら、結構」
「……うつけ、と云われた」
シュウの問いにルカは一瞬、声を詰まらせたが。
ならば出て行けと云わんばかりの声を掛けられ。
低いトーンで、白状する。
「うつけ?」
「ああ。そう、一言だけ、吐かれた」
「成程。それは、彼等の格好の、からかいの種だな。諦めろ」
落ち込んでいる風な男を、見遣りもせずに、シュウは云った。
何故、ゲオルグ・プライムは、そんな言葉を囁いたのだろう、と頭の片隅で考えながら。