51.行き着く先 act.3

久方振りに、ルカは血を見た。

かつては、己が治める国の民だった者に向けて、彼は剣を振るった。

例え、戦場に立つのが久し振りの事であっても、かつての同胞の命を断っても。

狂皇子と云われた彼の太刀筋が、狂う事も鈍る事も有り得なかったが。

唯。

人を殺す事に、これまでに感じて来た感慨ではない感慨を、彼は感じ。

全身を血で濡らしても、潤いは得られなかった。

──その身の内に過ぎる焦土が、何処かに消えた訳ではなかろうし。

遠い昔に見てしまった『風景』を、忘れてしまった訳でもないのに。

……多分。

蛮族の途を、恨んで恨んで、憎み抜いた彼は、今でも尚、何処かに眠っているのだろうに。

傭兵砦にて、剣を振るい続けていた間中、彼が考えていた事と云えば、何者にも負けはしなかった己の剣を盾にする事で、キバや、キバに従う兵達を、生き延びさせる、と云うそれと。

今頃は、ハイランドと同盟を結んだマチルダの、ロックアックスの城を攻めているだろうシュウ達の事だった。

あちらには、盟主の小僧とトランの小僧が付いているから、何事もなく無事に、戦いを終える事は出来るだろう。

あの、不可思議な少年を支える為に、北国の城に赴いているシュウの為に。

──同盟軍の為には必要な事なのかも知れなくとも、彼がこれ以上、要らぬ思いをせずともいい様に。

かつて、弱いだけの存在でしかない人の世の全てを滅ぼす為に振るった剣を、思うまま、ルカは振るって。

如何なる者の想像よりも、遥かに少ない戦死者を出しただけで済んだ、傭兵砦への陽動を終えて、くたくたになり、デュナンの畔に戻ってみれば。

例えようもなく重たい空気が、同盟軍本拠地には漂っていた。

ロックアックスの城を落とすのは叶ったと聞いているのに、この沈痛な雰囲気は何だ、と、ルカは首を傾げ。

「おい……。何があった?」

俯き加減で行き過ぎる者達の一人の、肩を掴んだ。

「…ナナミ殿が…………──

ガッと、強い力で強引に引き止められた通りすがりの男は、視線を逸らし加減にしながら、北国の城にて起こった事を、彼に告げた。

盟主……──義弟と、その場に居合わせたハイランド皇王、ジョウイを庇う為、放たれた矢を、ナナミが受けたのだ、と。

その出来事の為に、同盟軍、ハイランド、双方共に、兵を引き、倒れた彼女は直ちにここ、本拠地へと連れ帰られ、今、ホウアンが、手当てを施している最中だ、とも。

「ナナミ、が…」

その話を聞き終えて、ルカは。

殊の外うるさくまくしたてるのが癖の、この世の物とは思えぬ強烈な料理を拵える、少し乱暴で、が、どんな時でも朗らかに振る舞っていた明るい少女を思い出しながら、医務室へと足を向けた。

ハイランドの王宮で育った、己が妹とは余りにも質の違う、一人の少女。

あの少年にとっても、この同盟軍にとっても、恐らくは掛け替えのない存在だろう彼女が、その様な事になっているのなら、本拠地内の、この沈痛な雰囲気も良く理解出来るから。

何時もはどの様な音を立てていようが構いもしない足音を、少しだけ控え目にして彼は、医務室の前に集っている人々の様子を窺った。

言い様のない不安と、焦りと、ひたむきな祈りと。

それらが入り交じった、一言で云うならば、苦しげな表情をして人々は、食い入る様に一つの扉を見詰めていたが。

────やがて。

どれだけ時が過ぎたのか、判らなくなって来た頃。

静かに扉は開いて、ホウアンが姿を現した。

………………伏せた眼差しを、上げる事も出来ず。

一人の人間の死を、医師は告げる。

自分の力が及ばなかったのだ、と。

だから、人々の間からは、啜り泣きが沸き起こり。

宣告を信じられぬ呟きが洩らされ。

やり切れぬ思いを、医師へとぶつける声高な声が放たれ。

……だが。

何かを覆す様な出来事は、何も起こらず。