56.少年達の願い act.4

己が名を呼び、苦悶に顔を歪めつつ、跪いた彼へ、見開いた瞳向けたシュウを。

ルカは激しく抱き寄せて、彼にしてみれば、女に近いと言える程に薄いその胸に、顔を埋めた。

「…おい……?」

背を掻き抱き、強く額を押し付けて来る彼に、シュウは戸惑ったが。

「…………シュウ……」

ルカは唯、彼の名前だけを呼んで、身を震わせた。

「生きていてくれて、良かった……。失いたくなかった……。──燃え盛る森の中に、お前が一人残ったと聞かされた時。お前だけは失いたくはないと、確かに俺は、そう思ったんだ……。だからっ……。生きていてくれて良かったと……そう……っ……」

苦しげな、声で。

かつては人々に、狂皇子、とさえ言わしめた彼が、己よりも遥かに華奢な男に、縋っていた。

「…悪……かった。……だが、生きている、だろう? 私は……」

そんなルカの態度に、シュウは唯々、戸惑いだけを覚え。

子供を宥めるかの様に、そっと、告げたけれど。

ルカの身の震えは、益々激しくなって。

「あの小僧共に生きろと云われて…こうして不様に、生き長らえて来て……っ。あの城でのあの生活が、俺の中の何を変えてしまったのかなどと、俺自身には判らん……。だが……大切だと思える存在が出来たのは確かで、それを、失いたくない感情が、俺にも芽生えたのは確かでっっ! 大切な者を失う痛み、失う恐怖、それを感じたのも……っ……」

「……ルカ…」

声を揺らす彼へ。

シュウも又、初めてその名を音にしつつ。

そっと、ルカを抱き返した。

すれば益々、背を掻き抱くルカの腕に、力は篭り。

「今なら判る……。あの小僧達が、どうしてあんな事を云ったのか。何故、あんな風に俺を扱ったのか。──俺はっ! …俺は、気付くべきだったんだ……もっと早く、思い出すべきだったんだ……。母上を失った時の、あの痛みをっ……。大切な者を、前触れもなく奪われた、あの痛みをっ……。──どうして、気付かなかったんだろう…。どうして、思い出さなかったんだろう……。『世界』からそれを取り上げようとして、どうして俺は、何も感じずにいたのか……っ。俺は……俺は今まで……何と云う事をして、生きて来たんだ……。後悔した処で、詫びた処で、二度と取り返しなど付かぬのにっ! 死んでしまった者はもう、二度と還っては来ぬのにっ! こんな思いを振り撒き続けて……俺はっ…………」

──何時しか、流し始めた後悔の涙でルカは、シュウの胸許を濡らし。

血を吐く様に、叫んだ。

「……生きて? これを、生きて償えと云うのか? 俺に。償いようもないのに? 生きて……………? ────随分と……難しい事を、突き付けて来たものだ……あの小僧共も……」

「……ルカ。誰かの大切な人を奪い続けて来た罪は、私にもある……。生きていれば多分……何時か、償える日も来る……。そうやって、血を吐く程の後悔をする事も……きっと、償いの一つ…だと私は思う……」

滂沱の様を晒しながら、乾いた笑いをも放ったルカに、シュウは静かに告げる。

「だが。死んでしまった者はもう……二度と、還っては来ぬのだろう……? 取り返せるものなど……何もないのだろう……? 『生きて、償う方が』、か……。あの時……螢の舞っていたあの丘上で、あの小僧が望んだ事は……厳し過ぎる程の『慈悲』だったな……」

「……ルカ。……いいや……。ルカ・ブライト」

何処か、子供の様な辿々しさで、ぽつりぽつり云う彼の背を、何度か撫ぜて。

ルカの頭上で、シュウは云った。

「お前にしてみれば、あの時、あのまま死に絶えた方が、余程幸せだったのかも知れない。でも私は。今、『答え』を出してもいいなら……軍師としての有り様を忘れてもいいなら……、それで良かったと……言える。今、お前がこの世から消えたら、多分又……あの丘上でそうなった様に、私の時も、風景も止まって、移ろわなくなると思う…。あの時以上に、私の全ては、止まってしまうのだと思う……」

「……っ……──

その言葉を受けて、ルカはぎゅっと両手で、シュウの服を握り絞めた。

「遠い昔の恨み辛みを、云いたくない訳じゃない。これが、恋慕の情なのか否か、レオン・シルバーバーグを目指す余り、全てくしてしまった私には、未だ判らない。──今更生き方なぞ、私には変えられないだろう。でも私は、後悔している。くした物を取り返せるかも知れない行き着く先が、直ぐそこに見えても、どうしていいのか判らない自分を、後悔している。……お互い、生きていればきっと、やり直せる日も来る……。嘆いても、苦しんでも……何も彼も、生きて成した方が、マシなのだろう。あの少年達の、云う通り……」

「やり直す……? 何、を……?」

「不幸だった人生、を。──生き長らえて、これまでの何をどうやって償うのだと問われても、そんな事の答えは、私にも無いが。少なくとも、お前が生きていれば、私の時は、止まらなくとも済む……」

裂かんばかりの力で服を掴んだルカを包む腕に。

シュウは、今の己に出来る精一杯の『温もり』を与えた。

────この男の様に、生きる事が出来たら。

それが、想いの始まりだった。

『この男』の様に生きる事が出来たら、何かが変わる気がした。

お前の様になりたかったと、彼はそう云った。

あの男の様になりたいと、『彼』は何処かで、そう願った。

無い物ねだりの、対極に位置する彼に、『彼』は哀れみを感じた。

見知った存在とは違う『彼』に、彼は心惹かれた。

彼は『彼』へ、『彼』は彼へ、互い、己には無いものを求めて、ねだって。

何かを埋めようとしたのが、始まりだった。

幻想だ、と判っていても。

所詮は、傷の舐め合いでしかないのだと、判っていても、止められなかった、想い。

それが、全ての始まり。

…………この『始まり』の夜の、苦さを。

『彼』は忘れた訳じゃない。

行き着く先が見えたからとて。

覚えてしまった後悔を、最早彼には捨てられない。

何も彼も忘れて甘やかに生きてゆける程、彼等の生は優しくはない。

唯、それでも。

『彼』が生きていれば、『彼』が傍にいれば、彼は、安堵を覚え。

彼が生きていれば、彼が傍にいれば、『彼』の時間は止まる事なく。