──星辰剣──
さっさと軍師達の部屋を後にして、ビュッテヒュッケ城の庭に降り立ったカナタとセツナは。
コロク、という名が刻まれたプレートの掲げられている犬小屋の近くで、ぼんやりと空を見上げていた少年、エッジに声を掛けた。
「……君が、エッジ?」
「そうだけど……」
目的の人物を見付けるや否や、ズンズンと一直線に向かい、ズイっと立ちはだかり声を掛けて来たカナタに、一瞬、エッジは逃げ腰になる。
「あのね。一寸、君にお願いがあるんだ」
怯えている風なエッジの態度を察してカナタの服の裾を掴んで引き、セツナはにこっとエッジに笑い掛けた。
「頼み、って?」
「君の持ってる星辰剣と、一寸、お話させてくれないかな」
「……星辰剣……と?」
「うん。僕達ね、その剣の以前の持ち主を、良く知ってるんだ。星辰剣のことも、良く知ってる。だから、一寸だけ。……駄目?」
「………なら、いいけど……」
笑い掛けて来た少年達に、星辰剣との語らいなどという頼み事をされ、エッジは躊躇いを見せたが、昔の持ち主のことを持ち出されて、それならば、と彼は、体から剣を外して少年達に手渡す。
「有り難う」
「御免ね、直ぐ済むから」
すると少年達は、大切そうに受け取り、ストンと、その場所を占める緑の芝生の上に座り込んで、剣を鞘から抜いた。
「星辰剣。おーきーてっ」
「僕達の相手をしない気なら、ビクトールの所に送り返すよ」
その刀身で陽光を弾く、夜の紋章の化身に、セツナとカナタは覚醒を促す。
『……相変わらず、物騒なことを言うな、お主等は。────久しいな、セツナにカナタ。何をしに、この西方の地まで来た?』
すれば、何処か億劫そうに、静かな『声』で星辰剣は喋り始めた。
「訊きたいことがあってね」
「……ねえ、星辰剣。…………『彼』に、会った? 元気だった?」
『何じゃ。お主等が聞きたいことと言うのは、それか。……ああ、会った……と言うよりは、見掛けた。元気そうだったぞ。相変わらずな』
十五年振りに再会した少年達に唐突に揺り起こされ、訊きたいことがあると言われ、何を尋ねられるのかと思えば、それは『彼』のことで。
成程、と意志を持つ剣は会得し、億劫そうな物言いは崩さずに、最近見掛けた『彼』のことを語った。
「元気だったんだ。……良かった…」
『彼』は。
あの頃と、そう大差ないように見えた、と言う剣の言葉に。
少しばかり悲しそうな顔を、セツナはした。
「ねえ、星辰剣。どう思う? 今の『彼』のこと。今の『彼』を見て……どう思った?」
俯き加減になったセツナの頭を撫でて、カナタは剣に問い質した。
『どう……な。────難しいことを問うな、カナタ。言うべきことなど、何もないわ。剣であるこの身には、何も言えん。…………唯。彼奴の思いを、一雫程も汲んでやれぬ、という訳ではない、それだけは、思う。この身でも、な』
カナタの問いを受けて、夜の紋章の化身は、僅か躊躇いを見せたが。
言うべきことは何もない、と告げ、
『もう良いか? 「眠り」の続きをしたいからな』
この話はこれでもう、終わりにしよう、と言った。
「……そうだね。有り難う、星辰剣」
「御免ね、邪魔して。……又、何時か、ね」
星辰剣の申し出に、カナタも、そしてセツナも、頷く。
『……………カナタ、セツナ。もしも、彼奴に会うことがあったら。伝えておいてはくれないか。時は、無益ではないと』
剣を掲げたカナタ、鞘を支えたセツナ、その双方に、眠りへと帰される瞬間。
星辰剣は、まるで遺言のように、『彼』への伝言を二人へと託し、その意識を沈めた。
──トウタ──
星辰剣をエッジへ返し、次にカナタとセツナが向かった場所は、騒ぎを起こした酒場の向いにある医務室だった。
正午に程近いその時刻、まろやかな光の射し込んでいる医務室に患者の影はなくて、そっと開いた扉の隙間から、看護婦らしき女性と語らっている医師、トウタを二人は窺い見る。
「ト・ウ・タ・先生」
「……トウターーーっっ」
覗き見されていることに気付かない医師に、くすり忍び笑いを洩らして、トントン、とお義理程度に扉を叩き、応えが戻るよりも先に、トウタ医師の名を呼びながら、二人は医務室に踏み込んだ。
「……は、はい? ……えっと……、え? ええええっ??」
からかいのトーンと懐かしさ全開のトーン、その二つの声に呼ばれ、慌てて振り返り、見遣った先にあった、あれから十五年の月日が経とうとも記憶に鮮明な二人の少年の姿に、トウタは目を丸くする。
「カ……カナタさん? セツナさんっ?」
「そうだよ。僕だよ、セツナだよっ。元気だった? トウタっ」
「立派なお医者様になっちゃって。見違えたね。ホウアン先生とは連絡取ってるの? 元気にしてる? ホウアン」
思い掛けない再会、思い掛けない姿に、思わず二人を指差してしまったトウタに彼等は破顔して、椅子から動くことも出来ないトウタの前に歩み寄った。
「何時、こっちに? ……ど、どうしましょうね……。何を言っていいのやら……」
眼前に立ち、懐かしそうに差し伸べて来たカナタとセツナの手を取って、若干、トウタは涙ぐむ。
「何も言わなくていいよ。三年前にも、少しだけ会ったじゃないか。──僕もセツナも元気で、今、こうしてる。それだけで、充分だろう? それよりも、トウタ」
「トウタは、今度の戦争で、『彼』に会った?」
瞳を潤ませたトウタに、二人は慈愛に満ちた眼差しを注いで、先程、星辰剣に尋ねたそれと同じことを、ここでも繰り返した。
「『彼』? …………ああ…。『彼』、ですか……」
会ったか、と彼等が訊いている相手が一瞬誰のことだか判らず、トウタは首を傾げたが、直ぐに、二人の指している人物に思い当たり顔を曇らせる。
「ブラス城であった戦いに、軍医として同行した時……見掛けましたよ、一寸だけ。相変わらずそうでしたね。相変わらずの、彼でしたよ。……但……十五年前よりも、少しだけ寂しそうで……少しだけ、大人しそうな印象でしたけどね」
「……そうなんだ」
「……ええ。──悪い人じゃなかったですよね、『彼』。あの頃は、私も子供でしたから、その程度のことしか感じられませんでしたけど。一寸、近付き難い人でしたし、怖かったし、あの性格だったから。口も悪かったし。でも、今は……。…………悪い人じゃ、ないんですよね……。悪い人じゃ、なかったのに……。年月って、人を変えてしまうんでしょうか。少しだけ寂しそうだったけれど、『彼』はあの頃とそう変わらない風に見えたのに……。──間違いだったらって。今でも思いますよ。あの『彼』が、『彼』でなかったら……って。でも。『彼』なんでしょうね……」
暗い顔をして、トウタは。
戦いの最中、ちらりと見掛けた『彼』のことを、二人に聞かせた。
「……トウタ。トウタは、どう思うかな、今の、『彼』のこと」
トウタの、悲しげな顔を見詰めながら、カナタが尋ねた。
「……………悲しい人だなって。そう思いましたよ。でも、同情は出来ません。ヒューゴ君……ああ、真なる火の紋章を継承した、カラヤの少年なんですけどね、ヒューゴ君って。ヒューゴ君が『彼』から聞かされた、『彼』が戦いを起こした理由を知っても、同情しようとだけは、思えませんでした。戦いを起こしてしまった『彼』に対する同情だけは、持てませんから。医師として」
すればトウタは、十五年前の面影は余り窺えぬ青年の横顔に哀愁を窺わせて、けれど、きっぱりと言った。
「……そっかぁ……」
彼の答えを聞いて、セツナは天井を見上げた。
「…………うん。判った。アリガトね、トウタ」
「邪魔して御免。久し振りに会えて良かったよ、トウタ。それじゃあね」
そうして、暫しの沈黙の後。
セツナとカナタの二人は、バイバイ、とトウタに手を振って、医務室より去った。