──ジーン──
「うふふ。いらっしゃい。…………あら、カナタさん、セツナさん。お久し振りね」
相変わらず歳を取った様子のない、妖艶な面差しと衣装で紋章屋を営んでいるジーンの、やはり相変わらずな声に、ビュッテヒュッケ城の片隅にあるその店の扉を開いたカナタとセツナは出迎えられた。
「ジーンさーん。お元気……みたいですねっ」
「変わらないね、ジーンは、何時まで経っても。凄く不思議だよ……」
「……さあ。どうしてかしらね」
突然の懐かしい顔に訪れられても、ジーンは顔色一つ変えず、
「二人の訊きたいことなら、私には判らないし、答えようもないわ。先に、お伝えしておくわね」
どうやって知ったのか、制するように、カナタとセツナが訊いて歩いていることを封じた。
「え? どうして判るの、ジーンさん。僕達が訊きたいこと」
「おーや。そう来るかい? ジーン」
だから、セツナは目を丸くし、カナタは渋い顔を作る。
「ええ。だって私には、答えようがないもの。例え、『彼』を見掛けていたとしてもね。私は唯、こうして生きているだけだもの。誰にも、何も、言えないわ。言ってあげられることがないの。『彼』にも、他の誰にも」
それぞれの、『らしい』反応を見せた二人に、にっこりとジーンは笑って。
「又、何時かね」
別れの言葉を告げると、彼等を己が店から追い出した。
──フッチ──
レストラン側の庭先で、随分と大きくなったブライトと戯れていたフッチを見付け。
「フッチーーーーっ。ブライトーーーーーっ!」
きゃあああ、と悲鳴に近い歓声を上げながらセツナは走り、
「元気だったっ!?」
ガシっと白竜ブライトの首筋に縋って、満面の笑みを浮かべた。
「…………え? は? えっと………セツナ……さん?」
奇声を放ちながら突然視界の中に飛び込んで来た少年に戸惑い、一瞬の後、その正体に気付き、フッチは辿々しく問い掛ける。
「久し振り」
と、ポン、と後ろから、そんなフッチの肩をカナタが叩いて。
「うわっ、カナタさんっっ」
「……うわっ、て何、フッチ。その態度」
「いや、その。言葉の綾と言うか、何と言うか…………」
混乱さえ覚えそうになって、フッチは、嬉しそうにブライトと遊び始めたセツナと、にこにこと立ち尽くすカナタを、少しばかり悪くなった顔色で見比べる。
「元気、だった? フッチ」
逃げ腰になったフッチを、逃げることないのに、とカナタは笑い、
「久し振りー、フッチ。ブライトー、会いたかったーーっ」
白竜を構い続けながら、セツナもフッチを見た。
「あ、ええ、そりゃあ元気ですよ。お二人も……相変わらずそうで……」
「うん、僕等はね、昔通り。──ねえ、処で、フッチ? 『彼』に……会った?」
中々にして強烈な性格をしている二人組に何かをされるのではないかと怯えた顔色を元に戻して、自分達を見比べて来たフッチに、カナタは、それまで懐かしい人々に繰り返して来た質問を、そこでも放つ。
「……フッチは、どう思った? 今の『彼』見て」
セツナも又。
ヨジヨジと、勝手にブライトの背に跨がりながら、同じ問いを。
「…………………会いましたよ。……会いましたけど……見掛けましたけど……。見ていたく、ないです……。俺は、あんな『彼』、見ていたく、ない」
……すれば、フッチは、聞き取り辛い発音で思いを告げて、遠い目をした。
「トランでもデュナンでも、散々、あいつには虐められましたけどね。……口悪くって、性格も悪くって。いっつも、つっけんどんで。何を言ってやっても、馬鹿にしたような態度ばっかり取ってましたけど。俺は……好きだったし。あれでいて結構、優しかったし。……ずっと……ずっとずっと、友達だと思ってて……一緒に戦った月日を忘れたことは無かったし、色褪せたこともないし……」
「……そう」
遠い目をした彼に、カナタは揺れる瞳を向ける。
「ええ。────ねえ、カナタさん、セツナさん。憶えてますか?」
揺れているけれど、嘆いている訳でもなく、唯、澄んでいる、としか言い様のない瞳を向けて来たカナタを見詰めて、フッチは今度は、思い出を語り始めた。
「何を?」
「何時だったかな……。やたら『彼』の機嫌が悪かった日、セツナさんがグレッグミンスターまでカナタさん迎えに行くって言い出して、それに、俺や『彼』や、ビクトールさんやフリックさんがくっついてった時。バナーの峠を下ってた時に……ほら、虎だったか何だったかに襲われて、『彼』が怪我して。それを癒す為にセツナさんが紋章使って……倒れちゃった時のこと」
「…………ああ。あったね、そう言えば、そんなことも」
「俺、あの時のこと、良く憶えてるんですよ。あの時、カナタさんや『彼』が言ってたことも。……風に流れて、途切れ途切れにしか聞こえて来なかったけど。『何も彼も砕いてしまえば、棄ててしまえば、紋章なんてこの世から消えて、自分も消えて、救われるかも知れないのに』。……そんな風に、『彼』は言ってて。カナタさん、貴方は、『君は一人じゃないんだよ。いいね?』……って、そんな風に言ってたのを。俺はね、良く憶えてるんですよ……。……『彼』は……一人じゃなかったですよね。一人なんか、じゃ。──あの時あいつが言ってたことは、カナタさんとセツナさんのことだと、そう思ってたけど…………。あの頃から、彼がそう思っていたなら、吐き出してくれれば、良かったのに…………」
十五年前。
めくるめく日々を過ごしたあの頃のことを、鮮明に思い出しながらフッチは、立派な竜騎士になったというのに……未だ幼かった頃のように、『彼』に嫌味を吐かれてムキになっていた少年だった頃のように、泣きそうな色を頬に浮かべる。
「一人じゃ、ないんだけどね。今でも『彼』は、一人じゃないけど……。『一人』だと、そう思っているのかもね」
ぽんぽん、と顔を歪めたフッチの肩を、カナタは何度か叩いて、苦笑を洩らした。
「御免ね、フッチ。……何か、ヤな話、しちゃったかもね……」
それまでじっと、フッチとカナタの二人を黙って見詰めていたセツナは、ポンとブライトの背中から飛び下りて、申し訳なさそうにフッチを見上げた。
「ヤな話なんかじゃないですよ。唯一寸、悲しくなっただけで……」
あの頃から十五年が過ぎたから。
その年齢に相応しいだけ成長した体躯を何処となく持て余しつつ、フッチはセツナに淡い笑みを送った。
「……色々と、話させて、悪かったね、フッチ」
「じゃあ、又ね」
薄く笑った竜騎士の青年に、カナタもセツナも曖昧な笑みを返す。
そして彼等は、フッチにくるりと背を向けて、又、歩き出した。