──ビッキー──
トランでもデュナンでもそうだったように。
城の正面玄関を潜って直ぐのホールの片隅に、その少女は立っていた。
あの頃のように、大きな姿見の傍らで、ロッドを抱えて。
「ビーーッキッ」
「やあ、ビッキー」
その少女──ビッキーを見付けて、フッチとブライトの元から去ったセツナとカナタは、名を呼びながら近付く。
「あー、セツナさん、カナタさんー。迎えに来てくれたんですか? 御馳走食べようとしたらくしゃみしちゃって、飛ばされちゃったんですよー」
足早に近付いて来た二人を見付けて、にこっと笑って、のほほん、とビッキーはそう言った。
──彼女が操る瞬きの魔法は、時に、時空を越える。
彼女の意志に反して。
デュナン統一戦争が終わった時に催された祝賀会の席にて、彼女がくしゃみをし、その場から掻き消えてしまったのはセツナの記憶にもカナタの記憶にもあったから、きっと又彼女は時を越えてしまったのだろうと、二人には察せられた。
トランの戦争が終わった時も、そうだった。
だから多分、その台詞が物語るように、彼女の中であの頃のことは、『昨日』の出来事なのだろう。
「迎え……っていうのとは、一寸違うんだけど……」
──あれから『数日』が過ぎた今、姿を見せたカナタとセツナが迎えに来たのだと思っているビッキーに、セツナが困った顔をする。
「そうなんですか? んー、でもー、今はここにお世話になってるからー、戦争が終わるまで、デュナンにもトランにも、帰れないですぅ」
そんなセツナの表情を見ているのかいないのか、ビッキーはのんびりと、今は何処にも行けない、と告げた。
「ああ、それはいいんだけど。…………ね、ビッキー。ビッキーは最近、『彼』に会った?」
そうじゃなくってね、とマイペースを崩さない彼女に、カナタが語り掛けた。
「……『彼』? 彼って誰ですか?」
すればビッキーは、カナタ達の言う『彼』が誰を指しているのか皆目見当が付かない風に、えへ、と首を傾げた。
────『彼』。
この城の中で『彼』の名前を出すのは良くないかと、カナタもセツナも、敢えてその呼び方で表現して来た人物。
他の者達は、何も言わずとも、それが誰なのかを察した人物のことを。
それだけでは判らない、と彼女は。
「…………ルック。ルックのことだよ、彼って」
故に仕方なく、セツナがここに来てより初めて、『彼』の名前を口にした。
「ルック君ですか? 会いましたよ。何か、変なお面被ってた時と、お面を取った後と。あ、髪の毛、短くしてました、ルック君。何時切ったのかなあ。知らなかったなあ。前の方が好きだったのにぃ」
と、ビッキーは漸く、ああ、と頷いて、変わらぬ調子でルックのことを話し始める。
「いや、あの……髪型のことはどうでもいいんだけれど……」
「えー、大事なことですよ? だって私、ルック君とは良く会うんですもん。良く会うルック君なんだから、私の好きな髪型しててくれた方が、私は嬉しいですもん。でもー。ルック君は今、何か変なことしてるんですよ。何であんなことしてるのかなあ。何時もみたいに、石版も守ってないんですよ。いいのかなあ、ルック君、石版の前にいなくって。怒られたりしないのかなあ。ここには、シュウさんみたいな怖い人はいないけど。……怒られないといいですね、ルック君」
「……うん、そうだね。怒られないと、いいね」
ぽやっ……と、楽しそうに、不思議そうに、ルックの今を語るビッキーに、訊きたいことはそれではないのだけれど、と思いながらも、カナタは相槌を返した。
「凄く心配なんです。ルック君が石版の前にいないからなのかも知れないけど、ああ、それともルック君が変なことしてるからなのかな、ここの人達は、ルック君のこと、あんまり良く言ってくれないんです」
「……そう」
「あ、でも、アーサーさんって人がいて、その人は新聞を作ってて、アーサーさんにルック君のことを訊かれたから、私、ちゃんと言っときました。ルック君は何時も石版の前に一人で立ってて、寂しいのかなって思ってピクニックに誘ったら断られちゃって、でも、後でルック君はちゃんと、『今日は天気が悪いから行きたくない』って言いに来てくれたんだよって。悪い人じゃないんだよ、ルック君はって。だから、大丈夫ですよね? ルック君、私には結構、優しいんですよ。だって……お天気の良かった日に、もう一度ピクニックに誘ったら、嫌そうな顔してたけど、付き合ってくれましたもん……」
「うんっ。そうだよね、ビッキーっ! それ、僕も知ってるよっっ。ビッキーとナナミと、後、えっと……ああ、ニナとアイリとリィナさんとっ! メグもミリーも、フッチもテンプルトンも一緒だったよねっっ。皆でピクニック行ったことあったよねっ。それに、ルックが付き合ったの、僕知ってるっ」
ビッキーにとっては『先日』の、カナタとセツナにとっては十五年前の、仄かな思い出を語って、どうしてここの者は皆、ルックのことを悪く言うのだろうと俯いたビッキーを励ますように、明るい声をセツナが出した。
「そうなんですぅぅっ。サスケ君もチャコ君も一緒だったんですよー。ユズちゃんもいたんですよー。トウタ君もトモちゃんもコーネル君もキニスン君もー」
「ねっっ。シロもフェザーもムクムク達も一緒だったんだよねっ。ジークフリードも付き合ってくれたんだよねっっ」
「はいっ。皆々、一緒だったんです。皆で、近くの野原まで、ピクニックに行ったんです。ハイ・ヨーさんにお弁当作って貰って。後で、シュウさんに怒られちゃいましたけどねー。すっごく、楽しかったですっ」
すればビッキーは瞬く間に元気を取り戻して、明るく、あの頃のことを再び語り出し。
「ルック君は、ルック君です。髪の毛切っちゃっても、変なお面被ってても、変なことしてても、ルック君は、ルック君なんです。ピクニックに付き合ってくれたルック君です。…………それって、『隔たり』ですか? アーサーさんにこのこと話したら、新聞に、ここの人達の知ってるルック君と、私の知ってるルック君には隔たりがあるって書かれちゃったんです。ルック君は、ルック君なのに」
ルックはルックでしかないのだと、彼女は言った。
当たり前のように。
「いいや。ルックは、ルックだよ。何時まで経っても、ルックはルック。────有り難う、ビッキー」
「……じゃあね、ビッキー。又ね。今度、ピクニック行こうね」
私、おかしなこと言ってませんよね? と眼差しで問い掛けて来たビッキーに、カナタは柔らかい、セツナは明るい、笑みを送って、
「はーーい。お天気の良い日に行きましょうね、ピクニックっ」
手を振ったビッキーの元を、二人は去った。