──アップル そして、三人の『英雄』──
「何をしているかと思えば…………」
──星辰剣、トウタ、ジーン、フッチ、ビッキー、と。
かつての『彼』──ルックを良く知る者達に、今のルックのことを尋ね歩いて、又、城内をトコトコと歩き出した二人を、アップルが捕まえた。
どうやら彼女は、それまで彼等がしていたことを見守っていたらしい。
大して広くはない城内の、軍師部屋前の廊下を歩いていた二人をアップルは捕らえ、室内に引き摺り込む。
「そんな風に、溜息付かれるようなこと、僕達してませんよねえ? カナタさん?」
「そうだね。僕達は、昔話をして歩いてるだけ。共通の友人の今を、尋ねてるだけなんだけどね」
強引に自分達を部屋に入れるや否や、呆れたような息を吐いたアップルに、悪びれもせず二人は言い返した。
「それを聞いて歩かれて、どうするんですか? 余り、変なことをなさらないで下さい。そりゃ……ルックのことは、私だって気になってますよ? トランでもデュナンでも、彼とは一緒でしたから。でも、ここでは彼は、仲間ではないんです。彼は『破壊者』なんです。今も一緒に戦ってくれてるフッチやビッキー達を、惑わすようなことは仰らないで下さい」
別に、悪いことなんてしてもーん、と。
声を揃えて言った相変わらずの二人に、厳しくアップルは告げる。
「……ふーん……」
「あーあ、アップルさんに叱られちゃった」
少しばかり怒ったような顔をしているアップルと、自分達を黙って見詰めているシーザー達と、そして、やはり意識を注いで来ているカラヤ族の衣装を纏っている褐色の肌の少年、銀色の甲冑を着込んでいる女騎士、傭兵風な身なりの男、といった初見の三人を順番に見比べながら、カナタとセツナは、にっこお……と微笑んだ。
「残念なことですけど。あの頃と今は、違うんですよ……。でも、あの頃そうだったように。私達は勝たなくちゃいけないんです。ルックが何を考えているかは、先日私も知りましたけど。彼の思いがどうであれ……百万の命、この大陸、それを滅ぼすことなんて、許せる筈も有りませんから。──貴方達は、ルックのことを聞いて、どうするんです? 彼を、止めるつもりなんですか?」
過去の経験により、この少年達がそんな笑みを浮かべる時は、大抵碌なことを考えていない、と知ってはいたが、ここで怯む訳にはいかないと、アップルは続けざま、厳しい声を放った。
「えー、別に? 僕達、そんなことなんてこれっぽっちも考えてないよ?」
……強張りを解かないアップルの追求を受けて、にこにこっ……と、笑みを深めてセツナが言った。
「ルックのやろうとしてること、止めてどうしろと?」
愉快そうに唇の端を歪めながら、カナタは言った。
「だって、ルックがやりたいことなんでしょ?」
「百万の命とこの大陸の運命? そんなこと、今はどうだっていいね、少なくとも、僕には」
「セツナさん……。カナタさん……。貴方達は……っ」
不気味、と称しても許されるだろう笑みを浮かべ、『楽しそう』に言葉を放つ二人に、アップルは更に顔を歪める。
「……どうして? どうして、そんなこと言うんだよっ! 百万の命もこの大陸も、どうだっていい? あいつのやりたいことだから止めない? よく、そんなことが言えるなっっ」
────と。
二人の言うことを、それまで黙って聞いていた一団の中から、若い声の叫びが飛んだ。
「えっと……」
「誰?」
声音が放たれた方を、二人は見遣る。
「ヒューゴ。カラヤクランのヒューゴっ」
のほほんと、今の声は誰? と首を傾げる二人に、若い声の主──ヒューゴが、ムスっとした顔をして進み出た。
「ああ。君がヒューゴ君? ルシアさんの息子さんなんだってねー」
「確か、炎の英雄の跡目だよね? 君。真なる火の紋章の継承者」
ズンズンと、一種の迫力を持って近付いて来たヒューゴに、ポンと手を打ち合わせて二人は話し掛ける。
「そんなこと、今は関係ないっ! それよりもっ、さっきの台詞っ! ──アップルさんに聞いたっ。お前達は、トランとデュナンの英雄なんだって。それぞれ、国を救ったんだって。なのに、そんなこと言うのか? お前達がゼクセンの人間でもグラスランドの人間でもないからかっ!? でも俺達はここで生きてて、ここを守る為に戦ってるんだっっ」
二人ののほほんとした風情に、ヒューゴは更なる激高を見せて、剣を抜かんばかりの勢いで訴えた。
「うん、だから。それならそれで、いいじゃない。だから君達は、戦うんでしょ?」
「あー……。やっぱり、誤解してるね、君。僕達の言っている『どうでもいい』は、君の思っている『どうでもいい』とは、一寸違うんだけどね」
しかし。
ヒューゴの怒りをさらっと流して。
「あ、その前にー。ヒューゴ君、一寸訊いてもいーい?」
「君の話は後で聞くから。君、ルックと話をしてるんだろう? あいつ、何て言ってた? どうして、この戦いを起こしたって言ってた?」
セツナとカナタは、グッと身を乗り出し、ヒューゴの顔を覗き込む。
「な、何て……って言われても…………」
ズイっと二人に顔を近付けられて、それまでの勢いは何処へやら、ヒューゴは後退り、口籠ったけれど。
「あいつの持ってる、真なる風の紋章と自分を破壊したいからだ……って。その為に、百万の命とこの大陸を犠牲にしてもいい、って。紋章から逃れられない世界で生きてる俺達は、鎖に繋がれた囚人みたいなものだ、とかも……。──で、でもっ! だからって、ゼクセンやグラスランドを滅ぼしてみたり、百万の命を奪ってもいいってことにはならないだろっ!!」
最初は辿々しく、最後には力強く、彼は言った。
すれば。
「うん、そうだね。だからって、この大陸や百万の命を滅ぼしてもいいってことには、ならないよねー」
「どちらが『正義』で、どちらが『悪』かなんて、一目瞭然だねぇ」
微笑み全開のまま、二人はヒューゴに同意した。
「だったら……何で……?」
てっきり、かつての仲間だったというルックを庇う台詞を吐かれると思っていたヒューゴは、見た目だけは自分と大差ない年齢に見える二人の態度に肩透かしを喰らい、がっくり項垂れる。
「でもね、ヒューゴ君。それは、君達の事情でしょ? 僕達や、ルックの事情じゃないもん、それ」
「君から聞いた処によれば、ルックのやろうとしていることは、凄い馬鹿だけどね。ルックにはルックの、事情がある。僕達にも。勿論、君達にも。それぞれ、事情って奴がある。──ルックと戦うか否かは、それを悪だと判断した君達がすることで、君達の戦い。僕達の戦いじゃない。だから、百万の命もこの大陸の運命も、『どうだっていい』。僕達にはね」
「…………。じゃあっ! あんた達はあいつがやろうとしていることを、悪いことだとは思わないのか? 昔の仲間だったから、あいつに沢山の人達が殺されても、見ない振りをするって言うのかっ!」
調子を狂わされ、項垂れた途端、微笑みも口調も変えず投げ掛けられた言葉に、ヒューゴは再び怒鳴り声を上げた。
「ブラス城で、あいつ言ってたんだっ。そんな目をした、そんな思いを持った人に、夢を託していた頃もあったってっ! 懐かしいってっ! それって、あんた達のことなんだろうっ!? グラスランドの為に戦う俺達の事情、あんた達の事情、あいつの事情、そんなの、どうだっていいっ! 全てを破壊する、百万の人々を見殺しにする、この大陸を壊す、そんなこと、俺は見て見ぬ振りなんて出来ないっ! 誰がどう考えたって、悪じゃないか、そんなのっ! なのにどうしてっ? あいつが、一度は未来を託してもいいとすら思ったあんた達は、どうしてそんなこと言うんだっ」
「………………あのね、ヒューゴ君。僕達はそんなこと、言って無いと思うんだけどな」
「だから、言ってるだろう? 僕の言う『どうでもいい』は、君の思っているような『どうでもいい』とは違うと」
────と。
ヒューゴが叫び終えた瞬間。ふっ……と、セツナとカナタ、双方の面より、湛え続けていた微笑みが消えた。
「それを、いいと思うか悪いと思うか? それが訊きたいの? ──ルックのやろうとしてることは、良いことじゃないと僕も思うよ。でもね、悪いことでもないと思うよ。唯、間違っているだけで」
「紛う事無く、罪だね。ルックが選んだ、願いを叶える為の手段は。……けれど、これだけは判ってやってくれないか。ルックにはルックの、『運命』があったんだ……と」
一切の表情をなくして、二人は。淡々と、ヒューゴに告げる。
「……運命って! 運命って、何だよ、それっ! 運命運命運命、それが、どれ程のものなんだよっっ!」
すればヒューゴは、運命、という言葉を怒鳴り飛ばし、怒りで身を震わせ、
「それは、俺も同感だな。──運命だ? お前達はそんな碌でもない言葉で、何を片付けようと言うんだ? お前達がそうであるように、俺達も真の紋章を宿していた。あいつが見たという未来を俺は見ているし、ヒューゴもクリスも何れは見るんだろう。お前達も、それを知っているのかも知れない。だが、それが何だと言うんだ? あいつが嘆く未来を見るのも、真の紋章などという厄介物を背負っているのも、あいつだけじゃない」
「高が運命などという言葉を引き合いに出して。この大地を、民を失うかも知れない未来を描くあの男を、解ってやれと言うのか? それの、何を解れと? あの男が、如何なる苦しみを抱えているかは知らない。如何なる未来を見ているのかも知らない。だが、運命を、『運命だから』などという言葉で片付けられては堪らない」
そんなヒューゴに味方するように、傭兵風の男と女騎士の二人が、前に進み出た。
「……えっと……?」
近付いて来た二人に、セツナが誰? と首を傾げる。
「俺は、ゲド」
「私は、クリスと言う」
「御親切に、どうも。でも、言ったら申し訳ないけど。お話にならないね、そんな理屈じゃ」
セツナの問いに答えて名を名乗ったゲドとクリスの二人に、クスリ……、とカナタが笑いを送った。
「……何だと?」
カナタの言葉に、ゲドが憤った。
「正しいと思いますよ? ヒューゴ君が言うことも、ゲドさんが言うことも、クリスさんが言うことも」
ぴくりと片眉を吊り上げたゲトに、浮かべ直したやんわりとした笑みを送って、セツナが言った。
「ああ、そうだね。セツナの言う通り、君達の言うことは正論だ。僕も、そう思うよ。運命なんて、所詮運命。紋章なんて、所詮紋章。それだけの物でしかない。今は奪われたままみたいだけれど、君達も真実紋章を宿していて、遠い未来を見たかも知れない。それは、僕達も同じだ。故に、ルックの行いは、それはそれは馬鹿げていると断言出来る。でもね、僕達とルックには、決定的な差が一つだけある。僕が言っている、解ってやって欲しい彼の運命ってのは、それ」
「決定的な……差?」
「そう。……ま、今はこんな問答してみた処で、多分無益に終わるから、これ以上はもう語らないけど。────処で、アップル?」
表情に色を取り戻したセツナの肩を抱いて、一転、三人の『英雄』の存在を無視したカナタは、アップルを向き直る。
「………………何ですか?」
二人がヒューゴとやり取りを始めた辺りから唯黙って成り行きを見守っていたアップルは、名を呼ばれ、何処となく不機嫌そうに彼を見た。
「訊きたいんだけど。アップルは、今のルックを見て、どう思う?」
そして、人々に尋ね歩いたことを、ここでも、カナタは。
「……どう……って……。私にとって、彼は。少なくとも……今の彼は、倒すべき相手です。このゼクセンとグラスランドに災いを齎そうとしている、倒すべき相手です。それしか、私には言えません」
──カナタに問われたことに、アップルは、そう答えた。
「そう。判った。有り難う、アップル」
「じゃあ、又ね、アップルさん。お騒がせしましたーー」
重たく、辛そうな、低い声で告げたアップルに、カナタは軽く右手を上げて、セツナはぺこりと頭を下げて。もう、ここに用は無いと、くるり踵を返し。
「……あ、おいっ!」
追い縋ったヒューゴの声など聞こえていないとでも言う風に、二人はその部屋から消えた。