「あー……。カナタさん」
それから程なく、果敢に、料理の味の調整にセツナは挑んだが、『芸術的』な味より、何とか食べられないことはない、に格下げにはなったものの、決して美味しいとは言えぬ出来でしかない鍋の中身に白旗を上げ、彼は、焚き火の具合を見ていたカナタは呼んだ。
「何?」
「実はですねえ。ちょーーーーっと、失敗しちゃいまして」
「何を」
「お料理」
「おや、珍しいね。……食べられない程、酷い?」
「いいえ。食べられる、とは思いますけど、美味しくはないです。保証します」
「なら、大丈夫。僕だってたまに、酷いの作るし」
名を呼ばれ、跪いた姿勢のまま立ち尽くすセツナを見上げれば、申し訳なさそうに告白され、カナタは苦笑いをした。
料理が出来ない訳ではないが、セツナ程は上手くないカナタにとって、己の拵えた料理が失敗することなど、ありがちなことだったし、こんな日々を送り始めて久しいのだ、固より、贅沢を云うつもりなどカナタにはない。
美味しいに越したことはないけれど、空腹が満たされることの方が優先事項だ。
「ま、お腹が膨れれば、それでいいよ」
「そりゃあそうなんですけど。不味い物よりも、美味しい物をって云うのが、人情ですよー」
「気にしない、気にしない。たまにはこんなことだって、あるよ」
珍しい、君の料理の失敗も、それはそれでオツなもの、とカナタは云ったが。
かつて、己が城のレストランを任せていた、一流料理人のハイ・ヨーが良く吹っ掛けられていた料理勝負の助手をしていた、と云う『輝かしい』栄光を背負っているセツナには、不味い食事を拵える、と云うのが納得いかないらしく、何時までも、ぶつぶつと口の中で何かを彼は零していた。
「まあまあ。……で? 出来たの?」
「あ、ええ。一応。もう、どうしようもありませんし。これ以上煮ても、溶けちゃうだけだし」
「なら、食べてしまおうか。美味なる食事は、セツナの次の料理当番の時に、期待するとするよ」
だから、食べられればいいんだって、と、むうっと難しい顔を作り続けるセツナを、カナタは促した。
「なら、支度しますね」
食事にしよう、と『相方』に云われ、不味い料理であるのは伝えたのだし、それでも食べると云ったのはカナタだし、なら、いいや、と。
支度──と云っても、唯、皿と云えば皿、な食器の『ような』器に煮込んだそれを盛るだけの支度を、セツナはちゃかちゃかと整えた。
「いただきます」
「いただきまーす」
そうして彼等は、二人並んで火を囲み、声を揃えて挨拶をしてから、夕餉を胃に流し込み始める。
「…………これは又……随分と派手に、しくじったね」
セツナの料理を一口、口に放り込んだ途端、む、とカナタが眉間に皺を寄せた。
「──だから、不味いって云ったのに……」
忠告はしましたからね、とセツナはそっぽを向いた。
「食べられないことはないから、いいけど……。その……」
「その、何です?」
「……………苦い……」
「あははー……。じーつーはー。胡椒の袋と勘違いして、お薬の袋の中身、放り込んじゃったんですよ」
「成程………」
食べ進むにつれ、どんどん深まって行くカナタの眉間の皺に、何故、この料理が苦いのか、その真相を語ってセツナは、誤魔化し笑いを浮かべた。
「まあ、所詮放り込んだの、お薬ですから。体に害はないですよ。苦いですけどね。健康に悪い訳じゃないし、倒れる訳でも…………────」
ほにゃ、と言い訳を告げる為の笑みを拵えつつ、食べても大丈夫、と云い掛け、ふと、セツナは押し黙る。
「…………セツナ?」
「……あ、そっか…………」
ほえほえした笑みを引っ込め、急に口を閉ざし、真剣な顔付きになった彼を訝しがって、カナタが声を掛けたが、セツナはそれに耳を貸さず。
ああ、そうか、そうなんだ……と、一人納得をして俯いた。
「────セツナ」
そんな彼の顔を身を屈めて下から覗き込み、カナタは一つ溜息を付くと、手の中の食器を地面に放り出して、次いで、セツナの手よりもそれらを取り上げ、
「……おいで」
セツナの肩を引き、己が胸の中に抱き込んだ。
「御免なさい…………」
「謝ることはないだろう? 別に」
「そうなんですけど……」
カナタに促されるままその胸に凭れ、もごもごとセツナは詫びを告げる。
ふっと気付いたことの所為で、思わず泣いてしまったことを。
その顔を、カナタに見せてしまったことを。
しかし、謝罪など要らぬと云われ、唯セツナは、カナタの胸に強く顔を押し付けた。
「……思い出し……ちゃって……」
「…ナナミちゃん?」
「………はい」
「そっか……」
「今までだって、お料理に失敗することなんて、あったのに……。何ででしょうね、今日に限って…………。意味なんてないと思ってたんですけど。さっき味見した時、ぽろっと涙が出ちゃったのは、あんまりにも不味い料理が一寸ショックだっただけだと、ホントにそう思ってたんですけど……。僕……ナナミのこと、思い出してたんですねえ…………」
ぐりぐりと。
火の傍に居続けた為に、少しばかり煤けたカナタの上着に頬を、額を押し付け、泣き出した意味をセツナは呟いた。
「そう云う瞬間だって、あるよ。僕達は……人、なのだから」
見回りから戻って来た時に見付けたセツナの涙は、やはり、意味あるものだったかと、セツナの呟きに耳を傾けながら、カナタはセツナを宥めた。
「後悔なんて、してないんですよ? あの頃の……僕が、見掛けだけじゃなくって、中身も子供だった頃、僕が選んだこと、今だって僕は、これっぽっちも後悔なんて、してないんですよ……。……あれから、一寸時間も経って、ちゃんと、あの頃よりもしっかり、あの頃のこと、振り返れるのに……。…………変ですよね、カナタさん。今夜に限って、ナナミのこと思い出しちゃって、ナナミのこと思うと、悲しくなって、涙が止まらないんです…………」
──あの頃と変わらず。
身に染み付いた癖であるかのように、髪を撫でてくれるカナタの指先を感じながら、その胸の中に顔を強く押し付けたまま、セツナは泣き濡れた。
「…………嘘を。吐いてはいない……ね?」
やんわりと、腕の中のセツナをあやしながら、嘘を吐いてはいないかと、カナタは問い質した。
「……嘘な訳、ないでしょう……」
何を以て、『嘘』と云う言葉をカナタが選んだか。
それは、己が呟いた、後悔なんてしてない、と云う一言の所為だろうと知っているセツナは、ふるふると首を振った。
「なら、いいよ……。──仕方がない。泣きたい夜なんて、誰にだってあるんだから」
「……そう、ですね……」
「我慢する必要なんて、これっぽっちもない。思い切り泣いてしまった方が、すっきりする」
嘘など吐く筈がない、とセツナが首を振るから、それが後悔の涙ではないならば、気が済むまで泣いてしまえばいい、とカナタは云った。
「…………そう、します……。思いっきり泣いちゃったら……直ぐに、元に戻ります、から……。だって僕には……カナタさんがいるから……」
だから、カナタの腕に甘えて、セツナは今宵、泣き濡れることにした。
「……ああ。──これまでも、今も、行く末にも。僕はいるよ」
肩を揺らして、喉で声を詰まらせて。
遠い昔に亡くした人を思い出し、泣き続けるセツナに、カナタは囁いた。