「なあ、カナタ。お前って、三年前もそんな性格だったか? ちーっとばかり、歪んだんじゃねえのか? 中身。最近のお前って、何を聞いても、僕はどっちでもいい、どうでもいい、気にしない、好きにすれば? しか云わねえよなあ……」
ビクトールとカナタに限らず。
日中からアルコールと親睦を深めている者の多い酒場で、占領したテーブル席に、女中がエールを運んで来るのを待って。
トン、と目の前に置かれた陶器のコップを取り上げながら、ビクトールは溜息を付いた。
「そうかい? 昔から僕は、こんな風だと思うけどね」
ビクトールと同じく、エールを口に運びながら、傭兵の溜息を、カナタはさらっと流した。
「いーや、違う。ぜってー、違う。俺達が出会ったばかりの頃も、解放軍のリーダー時代も、今よりはもう少し、積極性と自主性が、お前にはあったっ」
常に湛え続ける、穏やかな笑みを崩さず、ちょん、と小首を傾げたカナタに、ビクトールは云い募る。
自分が知っていた、カナタ・マクドールと云う人物と、今、目の前にいるカナタ・マクドールと云う人物には、何処か隔たりがある、と。
「そう、意気込まれても困るんだけどね。そりゃ、三年も経てば、人間少しは変わるだろうし。あの戦争を、気合いと努力と根性で乗り切ったんだもの、暫くの間くらい、僕だって多少は、流されるくらい気楽でいたいと思うさ」
しかし、ビクトールの睨め付けを、カナタはケラケラと笑い飛ばすだけで。
「レオナさん、同じ物、もう一杯頂けませんか」
何時の間にか空にしていたコップを、カウンターの中にいるレオナへと、彼は掲げた。
「気合いと努力と根性、ねえ……。良く云うな、お前……」
「何処が間違ってるって云うんだい。僕が発揮したのは、気合いと努力と根性、そのものじゃないか。間違ったことを云った覚えは、ないんだけど?」
「相変わらず、口だけは良く、廻りやがるよな……」
にこにこ、追加オーダーが運ばれて来るのを待っているカナタをちらりと横目で眺め、ビクトールはげんなりとした顔をする。
あの頃は、否、今だって、気合いも努力も根性も、人前で見せるのを、人一倍嫌がった癖に、と、そんな思いが、傭兵の胸には過ったが為。
──気合いだって努力だって根性だって、三年前の戦争でリーダーを務めていたカナタが、発揮しなかった、と云うつもりはビクトールにはない。
それ処か、見せるのは人一倍嫌がったが、気合い、努力、根性、そう云った類いの物を、カナタは人一倍振り絞ったと言えるだろう。
だが。
それ以上に、あの頃カナタが発揮してみせたのは、さらり、と云うか、ふわり、と云うか、そんな風に、如何なることもこなしてみせる、凡人には近寄り難い言動と、カリスマ……と云うよりは、より神秘に近い、何か、で。
この少年の後を付いて行けば、きっと大丈夫なのだろう、と、そう思わせて止まない、何か、で。
それを、人々に『見せつける』ことで、一軍を率いていた、と云う自覚も、カナタには充分あるのだろうに。
今更、気合いと努力と根性、と云われても、ビクトールにはピンと来ない。
如何に、英雄と呼ばれ続けようとも、真の紋章の持ち主であろうとも、カナタとて、極普通の少年なのだから、特別、と云うよりは、特殊、な感情を、向けたくはないけれど。
ビクトールにとって、三年前のあの戦いは、瞼を閉ざせば今でも色鮮やかに思い出せる、楽しくもあり、哀しくもあった出来事で、心の中の浅い部分、深い部分、それらにひっそりと眠っている思い出の大半に、神秘性のような何か、を持ち合わせたカナタの存在は、絡んでいるから。
様々な意味合いで以て、ビクトールはカナタに、今でも『夢』を見ている。
此度の戦いで。
彼を含む同盟軍の人々が、盟主のセツナに対し、様々な意味合いで以て、『夢』を見ているように。
自分が、あの頃を共にした仲間達が、今でもカナタに『夢』を見ている事実が、カナタにとっては鬱陶しいだけのものなのかも知れない、と、うっすらとした懺悔を捧げたくなっても。
どうしても、『夢』を見ることを、ビクトールは止められないから。
気合いとか、努力とか、根性、とか。
そんな言葉がカナタの口から飛び出ても、その言葉達はどうしても、ストンと、傭兵の胸には落ちて来てくれないのだ。
大人の癖に、だらしねえ、と、自分を叱咤したくなっても。
「あー……そうかもね。口は、達者な方かもねえ……」
先程の女中が、又、エールを運んで来たのを受け取りながら。
口は減らない、と云ったビクトールの言葉に、カナタは軽く頷いた。
複雑な眼差しをした傭兵が、物思いに耽りながら自分を見詰めているのに、気付いているのかいないのか。
にこにこと、唯、彼は何時も通り、笑む。
「でも、いいじゃないの。そう思えるってことは、結局僕は、三年前のあの頃と、変わりがないってことだよ、ビクトール」
「そうかもな……。まあ、どうなっても、お前さんは、お前さんだけどな。唯、なあ……。どうしても、ここにやって来てからのお前は…………──」
僕は、変わってなんかいないよ、と、微笑み続けるカナタへ向き直り。
カナタ同様空にした、一杯目のエールのコップを脇に避け、傭兵は、云い掛けた言葉を飲み込んだ。
本当は、どうしても、ここにやって来てからのお前は、無気力に思える、と彼は云おうとしたのだけれど。
無気力、と云う言葉を、ビクトールは敢えて告げなかった。
「……? どうしたの、ビクトール。口籠っちゃって。らしくないねえ」
そんな彼へ、カナタは微笑みを向け続けたが。
「…………なあ、お前。もしも、この城にいる、お前にも馴染み深い連中が、戦場で倒れたらどうする?」
飲み込んだ言葉の代わりにビクトールは、笑みを崩さないカナタへ、そんな質問をした。
親しい人間の死、と云うものに、遭遇し続けて来たカナタにとってその問いは、禁忌に等しいかも知れない、と判っていて。
「……僕に馴染み深い人間の、死、ねえ……」
すればカナタは。
怒り出すでもなく、機嫌を損ねるでもなく、表情一つ、変えることなく。
不躾とも言える、『馴染み深い』相手の言葉に、ふーん、と首を捻り。
「悲しむ、だろうね、きっと。悲しむだろうけど、時が経てばきっと癒されて、きっと、思い出に出来るだろうね」
酒を嗜むペースも落とさず、彼は問いに答えた。
「……『悔やまず』?」
カナタの答えに。
ビクトールは更に、深まった問いを放った。
「…………悔やまないよ。どうして、悔やむんだい? 馴染み深い者の死に対する責任が、僕にあった場合は別かも知れないけどね。甘んじることは出来ないけれど、受け止めることは出来るんだよ、運命って奴は」
とある一点を進んで目指して行く問いに、さらりとカナタは答えた。
「そうか……」
あっさりとしたその答えに、ビクトールは少し、おかしな表情をする。
「そうだよ」
眉間に皺が寄せられた、何かを云いたいのだけれど、言葉が見つからない、とでも云うような顔になったビクトールに、カナタは笑ってみせた。
「消化不良でも起こしそうな顔してるね、ビクトール。ここの皆が、ルカ・ブライトとの決戦を終えた時、僕は云わなかったっけ? 『何も彼も』、僕にとってはどうでもいいことなんだ、とね」
「……何処まで、本気なんだかな……」
己の湛えた表情に向けたカナタの、受け取りようによっては、激しく果てしなく『冷たい』台詞に、ビクトールは肩を竦める。
「さあねえ? 何処まで、だろうねえ。──まあ、人の生き死には兎も角、ね。この戦争に、僕は直接関わり合いがないから。そう云った意味では何も彼もどうだっていいし、その部分、無気力、なんだろうねえ、僕は」
刹那、返答に詰まった風な態度を窺わせた傭兵を、カナタは再び、ケラケラと笑い飛ばした。
そんなカナタの笑みを見て、笑い声を聞いて。
ああ、そう云えばここ暫く、笑う以外のカナタの表情を見ちゃいねえな、とビクトールは独り言ちる。
「……あ」
「お?」
──と。
ぼんやり見遣っていたカナタが、小さな声を上げつつ、浮かべていた表情をすうっと変えたのを見て。
少年の視線が追った先を、ビクトールも振り返った。